第42話
「ちょっとボス、聞いてるの!?」
そうしていると、とうとう部下の獣人が痺れを切らし、妨害に肩を揺すってきた。
「今いいところだから、後にしてくれ」
「できないわよっ」
「もう引き上げましょうよぅ。あいつが戻ってきたら大変っすよ」
キュルが不安そうに言ってくる。ミネットもそれに続いた。
「そうよ。そしたら今度こそ逃げ場がないじゃない」
ぐるりと見回し、視線で周囲を示す。
確かに部屋はいくつも連なっているが、身を隠せる場所はない。ここへ来るまでの通路も一本道のため、あの怪物が引き返し、通路へ入った時点で打つ手がなくなってしまう。
とはいえジンはそれでも渋る顔を見せた。
「いや、けどな。やっぱりここには秘宝があるに違いねえんだ。むしろ上手いことあいつがいなくなってる今だからこそ、それを見つけねえとだな」
目の前で明確になった野望の達成を、簡単に見逃すことはできなかった。それが例え命の危機であったとしても――そもそも人間を忌避する獣人社会に忍び込んでいること事態、常に命の危機であることに変わりないのだから。
部下たちも、自分が人間であることを知ればどういった行動に出るかわからないのだ。
もちろん、ふたりはそんなことを知る由もなく、実直に反論してきたが。
「もうお宝は違うところで手に入れましょうよぅ」
「そうよ。お宝が欲しい気持ちはわかるけど、ここで怪物に見つかったら意味が――」
と、平行線の議論になりかけた時だった。
言いかけたミネットの耳が、ぴくりと反応を示し、通路へ続く扉の方を向いたのだ。
そしてハッと気付いて言葉を止めると、次いで全身をそちらへ向き直す。遅れてキュルも、青ざめた顔で同じく扉の方を向いた。
ジンが気付いたのは最後である。ふたりが黙し、顔を強張らせる中、嫌な予感を抱いて耳を澄ましてみて……ようやく理解する。
扉の方へ歩み寄ると、それはなおさら明確になった。
音が聞こえてくるのだ。地響きと言うと大袈裟かもしれない。しかしジンたちにはそれくらいの迫力と威圧、そして恐怖感を与えるものとして届く音。
それは足音だった。巨体の動物が、通路を駆けてこちらへと近付いてくる足音なのだ。
「言わんこっちゃない」と誰かが、というより部下のふたりが言ったような気がした。しかし実際にはどちらも口には出していなかっただろう。
それよりも、三人共に急いで扉の近くから逃げ出していた。直後――
「ゥガルァアアアアアアッ!」
すさまじい咆哮と同時に、扉が周辺の壁もろとも、爆発したように破壊された。
石片が室内に飛び散り、部屋の奥へと逃げた三人の身体にもいくつかが当たる。土煙が上がり、振り返ってランプをかざすと、そこにはおぞましい生物の輪郭が浮かび上がった。
紛れもない怪物。禍と名付けられたらしい奇怪の生物が、体液を滴らせながら大口を開け、自分の視界を閉ざす邪魔な煙を振り払うように、腕を振り上げているところだった。
しかしすぐにそれが、未だ獲物を発見できていない獣が取る、視界を晴れさせる行為ではないと理解させられた。
禍は鋭い爪を持つ、黒々とした針の如き体毛に覆われた巨腕を土煙の上にまで突き出すと、部屋の奥へ逃げたまま戦慄に硬直している三人へと、そのまま突進してきたのである。
「のああああああああああ!?」
怪物の咆哮にも負けぬほどの悲鳴を上げて、三人は咄嗟に飛び退いた。
煙の中から姿を現すと同時に振り下ろされた腕が、一瞬だけ遅れてその空間に叩き付けられる。三人はほんの僅かな背後で振り下ろされたその風圧を感じたことだろう。ましてや実際に、叩かれた床が砕け、飛び散った石片をその背に受けていた。
「くそ! まだ秘宝を見つけてねえってのに!」
「もうそんなこと言ってる場合じゃないでしょ! とにかくさっさと逃げないと――」
と、三人は部屋を迂回し、通路へと逃げ出そうとしたのだが。
「あ、あれ? これって……まずくないっすか?」
直前で立ち止まり、キュルが半ば呆然と言う。ジンたちもその隣で、同じ感想を抱いた。
三人の目の前にあったのは、紛れもなく通路へと続く部屋の出入り口である。
いや、そのはずだったのだが――
薄れた煙の中に見えたのは扉ではなく、崩れて積み上がった壁の残骸だった。
それも一部天井の辺りまで崩れ、完全に新たな石壁となっているのだ。
ジンはそれを呆然と見上げ……やがて笑顔で口を開いた。
「これだけ壊れても遺跡全体が崩れないって、すごいな!」
「現実逃避してるんじゃないわよっ」
「ま、またこっち来るっすよー!」
禍が振り返り、再び突進してくる。
ジンたちはそれを再び、間一髪のところで回避した――キュルの羽織っていたマントが、首筋の間近から引き裂かれる程度には間一髪のところで、だが。
そのまま転がるように、左の部屋へと飛び込む。まさしく転がるように、実際にキュルはマントに爪を引っ掛けられたせいで、転びながら逃げ込んだ。
そうして、ぐっと拳を握ったまま笑顔で硬直しているジンを、石像の横に立てる。固まっていたのを、抱えて持ってきていたのだ。
「って、いつまで逃避してるのよ! 起きなさいっ」
ミネットに顎を打ち抜かれ、ジンはようやく「ごぼぁ」と悲鳴を上げながら元に戻った。
冷たい印象の、箱や石像の散らばった部屋。扉は人間サイズ――あるいは獣人サイズと呼ぶべきか――程度しかないものの、禍は壁ごと破壊するに違いなく、とても安全とは言えないだろう。少なくとも開けっ放しの扉の先に、土煙に隠れる怪物の影が見えていた。
「ど、どうするっすか!?」
「どうかしようがあるわけ?」
皮肉めいて、ミネットが引きつった声を上げる。ジンは正気に戻ったとはいえ、なんとかして逃げ出す方法ががないかと頭を巡らせながらも、何も思いつけずにいた。
(壁を掘ってる時間なんかねえし……あいつをぶっ倒しちまえりゃ、それが一番いいんだろうけど、ンな方法あるとは思えねえ)
明確な弱点でもあればいいのだがと目を凝らす。見るだけで恐怖をかき立てられる、原始的な獣めいた姿の怪物、禍。ジンの視界の中で、それはまたこちらを向いたようだった。
それを見て取ると同時に、巨体が突進してくる!
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