第23話 姉弟

 案内の侍女の後ろを黙ってついていく。豪奢な布で包んで隠した大剣とともに。まっすぐ前だけを見てじっと息を詰めたままマルタレクスは歩いた。いつ手に持った物の正体がばれるか分からない。自分の正体がばれても、大変な事になる。チリチリと音を立てる緊張感が四肢の先にまで走っていた。


 やがてどうにか王族の住む棟まではたどり着いた。警備の兵と侍女が言葉を交わしている。マルタレクスは顔を伏せてやり過ごそうとした。しかしそこへ、能天気すぎるほど明るい、最悪な声が飛んできた。


「あら、それは何かしら?」


 焦って目を上げれば、立っていたのはセリアルーデ姫。薄すぎるヴェールの向こうに朗らかな笑顔が見えた。


「コルンヘルム王子殿下へ、ノルフィージャの使者よりの贈り物でございます」


 かろうじてつっかえることなく述べてみせる。だが興味を失ってほしいという彼の願いもむなしく、王女はひどく無邪気に続けた。


「まあ、コルムへ! それなら私がいただいたも同然ね。すぐ見たいわ、見せなさい」


 セリアルーデ姫の腕が伸びてくる。マルタレクスの口の端が震え、とっさに布包みを自分へ引き寄せた。


「し、しかしこれは、コルンヘルム王子殿下への贈り物で……」

「なによ、コルムの物は私が自由にしていいのだもの! いいから渡しなさい!」

「それは……できかねます」


 すると目の前の王女はいきなり地団駄じだんだを踏みだした。まるで幼い子供のように。


「お前、私に逆らう気!?」


 金切り声を受けて、王女の後ろに従っていた侍従たちの一人がこちらへ進み出た。


「カルメナミドの第一王女たるセリアルーデ姫に逆らうとは、なんたる不届き者! よこさないか!」


 乱暴に布包みに手をかけてくる。マルタレクスは抵抗しようとして、侍従との間で揉み合いになる。


 あっと思った時には遅かった。包んでいた布がずれて剣が露わになり、さらに床へ落下した。石と金属がぶつかる激しい音。


「何なの、それは」


 マルタレクスは慌てて剣を拾い上げたが、周囲の誰もがその剣を目にしていた。装飾の欠片かけらもない、無骨すぎる、ただの武器。


「お前、そんな粗野な物を私たちに寄越そうって言うの!?」


 王女が完全に癇癪かんしゃくを起こしてののしりだした。


「なんて無礼な! ノルフィージャはこのカルメナミドを格下に見ていると言うの!? 私たちが、私が下に見られるなんて! こんな屈辱、絶対に許せない!」


 その場の侍従や兵たちが動いた。じりじりとマルタレクスへ近づいてくる。剣に手をかけている兵もいる。このままでは、捕らえられる――!


 一か八か、マルタレクスは逆に一歩前に出た。


「そうではございません!」


 はっきりと殊更ことさらに大きな声を出す。剣を再び捧げ持った。


「この剣はマルタレクス王子殿下より、コルンヘルム王子殿下への贈り物! ノルフィージャの縁戚、マルタレクス王子殿下の義兄君あにぎみとなられる方へ、ノルフィージャの心である剣を贈ろうとなさったのです!」


 自信を込めて明快に述べ立てていく。


「ノルフィージャは武の国、剣に華美な装飾を施すことは致しません! 実戦に用いるための剣こそが、最上の物なのです!」


 しかしセリアルーデ姫は依然怒りに震えたままだった。


「冗談ではないわ、そんな野蛮で粗野な物……私の誇りが許さない! 受け取らないわ、帰りなさい!」


 再び兵たちがマルタレクスに迫った。幾本もの腕が彼の体を突き押し、王族の棟から追い出そうとする。だが逆らってマルタレクスは無理にでも踏みとどまろうとした。複数の兵が剣を半ば抜き始める。


 それでもこんな、子供じみた王女に、彼の望みを――グレナドーラ姫のもとへという望みを、邪魔されるわけにはいかなかった。


 マルタレクスは叫んだ。


「それは、我がノルフィージャへの宣戦布告と受け取りますが、よろしいか!!」


 ぎょっとしたように兵たちの腕が止まる。彼はすかさず前に進んだ。


「ど……どういうことよ? どうしてそんな……」


 うろたえた表情の第一王女へ、マルタレクスは詰め寄った。侍従が止めようとするが振り払う。


「ノルフィージャの者にとって、贈った剣を相手から返されることは、結んだ関係を破棄され以後敵と見なされることを意味します!」


 嘘だった。そんな慣習はノルフィージャにもない。


「カルメナミドの世継ぎの王子が、ノルフィージャの世継ぎの王子が贈った剣を突き返すというのなら! それはカルメナミドがノルフィージャへ戦いを挑んだ、宣戦布告したも同じこと!」


 マルタレクスは渾身の力をこめて、目の前の王女へ向かい怒鳴った。


「カルメナミドはノルフィージャとの戦争を望む、急ぎ立ち帰りそのように本国へ申し伝えますが、よろしいか!!」


 王女は狼狽ろうばいしきっていた。おろおろと周囲を見、救いを求めるように手をさまよわせる。


「そ、そんな……私は、そんな……カルメナミドが、どう、なんて……考えてもいないし……考えたこともないし……」


 周りを取り巻く侍従たちは、誰も彼女の手に応えなかった。ただ、困惑しきった顔を互いに見合わせていた。


「ね、ねえ、そうよね? 私、カルメナミドがどうするかなんて、関係ないわよね?」


 この女は。国の王女たる意味も義務も、誇りも、身に備えてはいないのか。


 マルタレクスはもう目の前の女を無視して、先へ進もうとした。さすがに兵たちが立ちはだかる。それを強引にでも押し退けようと、彼も腕を上げた時。


「――おや、何の騒ぎなのでしょう?」


 突然、嫌みなほど悠然とした声が、後ろからその場に乱入した。マルタレクスは動作を止める。それから、ゆっくりと振り返った。


「戻るのが遅いので、私が自分で行ったほうが良かったかと来てみれば。何をしているのですか」


 笑みさえ浮かべているリーアヴィンが立っていた。


「いいえ、何も」


 マルタレクスも平静を装って答えた。


「ただ、セリアルーデ王女殿下と偶然お会いし、お言葉を掛けていただいていただけでございます」

「そうですか」


 リーアヴィンは王女へ慇懃いんぎんな礼をした。


「私の部下が、何か失礼を致しましたでしょうか?」

「い……いえ……何も……」


 セリアルーデ姫はまともな受け答えもできていない。それに対しリーアヴィンはにっこりと笑った。


「では、コルンヘルム王子殿下のもとへ行かせていただきます。さあ、ついてきなさい」


 後半の言葉はマルタレクスへ向けて。さっさと歩き出すリーアヴィンを、案内の者が慌てたように追いかける。マルタレクスも一歩遅れてその後を追った。


 すれ違ったセリアルーデ姫の顔は、ヴェール越しでも分かるほど真っ青だった。



 案内に続いて余裕の態度でリーアヴィンは歩いていく。カルメナミドでは奇異な白金の長髪が揺れるにつれ侍女たちの視線が集まる。後ろに従っているマルタレクスに目を向ける者は、もういなかった。


 そんな中、リーアヴィンはまっすぐ前を向いたままちらとも振り返らないで、低く呟いた。


「こんなことじゃないかと思いましたよ、マルス」


 マルタレクスは黙っていた。リーアヴィンの声はもう笑ってはいない。


「やはりあなたは――」


 本当に低く、小さな声が言う。だが言葉が続く前に案内の者が立ち止まり、扉を示した。


「コルンヘルム王子殿下のお部屋はこちらになります」


 リーアヴィンが頷くと案内の者が扉を叩いた。マルタレクスとリーアヴィンはすぐに中へ招じられた。


 どうぞ奥へと寝室まで踏み込むことを許される。遠慮をあえて排して進めば、ベッドの上のコルンヘルム王子は侍従に助けられ起き上がろうとしていた。血の気が失せぐったりとした表情、明らかに本物の毒におかされいると分かる肢体。


「王子殿下、どうぞお楽に」


 リーアヴィンが急いで言ったが、コルンヘルム王子は青い顔を横に振った。


「大丈夫で、す……」


 そして手を動かし、不安げな侍従たちを皆下がらせた。残ったのはマルタレクスとリーアヴィンだけ。


 それを確認して、マルタレクスはリーアヴィンの後ろから歩み出た。その場にひざまずいたリーアヴィンの前に立ち、黒髪のかつらを取り去る。


 ベッドの上の王子の顔が、本当に本当にかすかに、笑ったように見えた。


「……よくぞ……ここへ……来てください、ました……マルタレクス殿……」


 マルタレクスはベッド横の椅子に腰掛け、身を乗り出す。


「コルンヘルム殿、そのご様子は、まさか本当に毒を? それにグレナ姫、グレナドーラ姫が捕らえられたというのは」

「はい……毒を、盛られました……そしてグレナが、地下牢へ……アルティドーラでは、ありませ……グレナが、です……」


 マルタレクスの心臓が再び跳ねた。二つの衝撃。捕らえられたのがグレナ姫だということ、そして従姉妹たちの入れ替わりをコルンヘルム王子が承知していたこと。だが今重要なのは、前者だった。


「毒を盛った犯人がグレナ姫だと、そんな――」

「グレナでは、ありません……」


 先を引き取るようにコルンヘルム王子は言った。弱々しい息、それでもはっきりと言い切った。


「私には、分かって、います……」


 マルタレクスは思わず息を吐く。だがついで、群雲のように疑念が膨れだした。


「だとすると、あなたに毒を盛ったのは――?」


 グレナドーラ姫に罪を着せたいと考える者。思いつくのは簡単だったが、しかしまさか。


「私は、知っています……この目で、毒を入れるところを……見ました……から……」


 マルタレクスは絶句した。そんな彼へ、カルメナミドの第一王子は細い声で、しかし淡々と言った。


「私の杯へ、毒を……入れたのは……ソニアルーデ王妃、我が、母……です……」


 ひう、とマルタレクスののどで音が鳴った。そんな彼のことを、毒を盛られたほうの王子がなぜか慰めるように、言葉を続けた。


「致死性の、毒では……ありません……ただ、体がしびれて、呼吸が……苦しく……意識を、失う……そういう毒だった……」


 それでも大変な毒だ。マルタレクスはぞっとする。力なく枕に預けられた赤毛の王子の身体は、盛られた毒の強さを雄弁に物語っていた。


 体が痺れて呼吸が困難になる毒は、量が多ければ死につながる。意識を失い倒れるのは、打ち所が悪ければ死に至る。そんな毒を、母親が、息子に飲ませたのか。我欲で一人の少女を陥れるためだけに。


「母は……気づいてなかっ……たので、しょう……母の、ワインをそそぐ手……を、私が、見ていた……母を、信用して……いなかった、のを……」


 それでコルンヘルム王子は、疲れたようにまぶたを閉じた。しかしリーアヴィンが容赦なく疑問を追及する。


「恐れながら。なぜ王子殿下は、王妃殿下が毒をお入れになったと知っている杯を、お飲みになったのですか?」


 病床の王子は目を閉ざしたまま、震える白い唇で答えた。


「私が、甘かった……という、こと……でしょう……」


 信用していなかった、のでは、ないのだろう。マルタレクスは思った。信じたかったのだろう、自分の実の母を。そしてその気持ちに応えたのは、完全な裏切りの行為。


 なんという――痛ましい王子。栄えある大国カルメナミドの世継ぎを、マルタレクスは直視することができなかった。

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