第4話 出会い

 マルタレクスとリーアヴィンは、セリアルーデ姫に散々に引っ張り回された。


 歴代王の肖像画が並ぶ部屋、タイルで描かれた巨大な壁画を持つ広間、秘宝の数々が納められた宝物庫、多くの彫刻で飾られた大回廊――セリアルーデ姫はそのいちいちに丁寧な講釈を熱っぽく繰り広げた。


「ご覧くださいませ、マルス殿下。この大鷲の彫刻は、私の曾祖父、コルナドラ王が作らせたもので、曾祖父は自分の衣装にも大鷲の柄を好んで使わせて――」


 ふむふむと頷いてみせながらマルタレクスは、もっと早いうちに「マルスと呼ぶのはおやめください」と言い出すべきだったと悔やんでいた。今からでも言っていいだろうか。


「セリアルーデ姫……」

「まあ、マルスさま。どうかセリアとお呼びください。私とマルスさまの仲ではありませんか」


 駄目だ、さらに進んでしまった。


「セリアルーデ姫」


 気持ち語調を強めて、繰り返す。


「私はマルスと呼ばれるのは……あまり好きではないのです。まるで小さな子供のようで」


「そんな、マルスさま。すばらしいお名前ではありませんか。戦神の守護マルティ-アレクス。マルスとは戦神の御名そのものです。本当にマルスさまにふさわしいお名前ですわ」

「しかし……」

「それとも、マルスさま」


 ここでセリアルーデ姫はなんと涙声になった。薄すぎるヴェールの向こうで目をしばたたく。


「私にマルスと呼ばれるのは、お嫌ですの?」


 その通りと彼は頷きたかったが、後ろでリーアヴィンが分かりやすい咳払いをしたので、ぐっとこらえた。仕方なく、どうにか話をはぐらかそうとする。


「……ここから見える庭園は、とても美しいものですね。大木も多く見えます」


 無理やりすぎる話題の変更に、セリアルーデ姫は明らかに不快そうな顔をした。


「いいえマルスさま。残念ながらこの王宮の庭は、さほどお見せするところはございませんわ。木々が生い茂るばかりで」


 もっと多くの花々で彩られるような繊細な庭園ならよかったのですが、などと続けるセリアルーデ姫の方は向かずに、マルタレクスは庭園を眺め続けた。


 たしかに咲く花よりも茂る木のほうが目立つ。だが新緑の季節の盛り、木々の葉は午後のやわらかい陽光の中で輝いていた。まるで宝石のように。


 まるで、若葉の姫の瞳のように。


 自分の王宮の庭でグレナドーラ姫と過ごした日を、マルタレクスは思い出していた。成長した今、この目の前の庭で彼女と向かい合ったなら。あの厚いヴェールを外した、グレナドーラ姫と。


「マルスさま?」

「……ああ、いや、失礼」


 マルタレクスの現実逃避めいた夢想は、無遠慮な声であっという間に破られた。内心不承不承、笑顔を作ってみせる。


「少し、疲れたかもしれません」


「あら、私としたことが、マルスさまとご一緒できるのがうれしくて、ついはしゃいでしまって。ではお茶のご用意がございますわ、どうぞこちらへ」


 まだ解放してくれないのか。セリアルーデ姫が背中を向けたすきに、マルタレクスはリーアヴィンに助けを求める視線を投げた。が、彼の友は苦笑とともに肩をすくめただけだった。



 セリアルーデ姫に案内されたのは、大回廊からほど近い廊下の先だった。この辺り一帯が客を接待するための空間なのだろう。目に入る壁や床、調度が見るからに上質で、色合いは金と緑だ。カルメナミドの風物を描いた絵画もずらりと並んでいた。


 ところが、先に部屋への戸口をくぐろうとしたセリアルーデ姫が、いきなりとがった声を上げた。


「何故あなたがここにいるのです? グレナドーラ」


 肩を怒らせ部屋に踏み込んでいく彼女をマルタレクスも急いで追うと、たしかにそこにはグレナドーラ姫がいた。


 グレナドーラ姫は茶器と菓子が揃ったテーブルの横に立っていて、身を縮めるようにして礼をした。


「お父さまが、マルタレクス殿下をおもてなし申し上げるようにと、お命じになられました」


 顔を伏せて答える声も、やはり細い。


「それでも、あなたは控えるべきでしょう」


 セリアルーデ姫の声はますますとがる。


「マルスさまをおもてなしするのは私の役目。この方はあなたではなく、私に会いに来てくださったのよ!」


 いやそれは違う。マルタレクスは口を挟みかけたが、それより前に姉王女が続けた。


「妾腹の分際で、図々しい! 身のほどをわきまえなさい!」


 場が凍った。


 少なくとも、マルタレクスにはそう感じられた。


 ――王族や地位の高い貴族が、正妻以外の女性をそばに置くことは、ままあることだ。そういった女性や、女性との間に生まれた子供がどう扱われるかは、その時々による。特に王がそういったことをする場合は、女性が側妃として立てられ子供もその王子や王女として遇される、あるいは、女性はあくまで日陰の存在とされ子供は正妃の子として扱われる、どちらかに分かれた。


 その時のカルメナミド王室では後者だった。王の亡き愛人が産んだグレナドーラ姫は、あくまで正妃の子として通されている。であるからには、他国の王族が同席する半ば公式の場で、正妃の子が妾腹の子の出自を罵るのは、あまりと言えばあまりだった。


 姉王女を諫めるべきか、それとも何も聞かなかったふりをするべきか。数瞬、息を潜めてマルタレクスは悩んだ。


 しかしそこへ、澄んだはっきりとした声が響いた。


「恐れながら申し上げます!」


 侍従たちの控える衝立ついたての向こうから、歩み出てきた人物がいた。鋲付き上着とブーツの騎士の装いに、腰へ剣を帯びた、驚いたことに若い娘だった。


 ぴんと伸ばされた背筋、無駄なく引き締まった身体、手足。きつく一本に結われた長い焦げ茶の髪、健康的に日に焼けた頬。


 そして、怒りで炎のように燃え上がった、緑色の瞳。


 マルタレクスの目がその緑の炎に惹きつけられた。離せなくなった。


「我が姫、グレナドーラ王女殿下も、まごうことなき国王コルンスタン陛下の御子でございます。そのことは、万民万物の知るところ!」


 きらめく緑色の炎は、カルメナミドの第一王女へまっすぐに向けられていた。


「だからこそ国王陛下は、我が姫にもあなた様へと等しく、マルタレクス王子殿下のご接待をお命じになりました。あなた様のお口出しすることでは、ないと存じます!」


「……こ、の……!」


 セリアルーデ姫は顔を真っ赤にしていた。


「女の身で騎士を気取る、伯爵の娘ふぜいが……この私に、盾突くなんて……!」


 甲高い声。すぐそこにマルタレクスがいることも忘れたようだ。


「お前なんて、お母さまと伯父さまにかかれば、すぐさま追放してやれるのよ!」


 手が振り上げられる。女騎士をとうとしている。彼はとっさに、セリアルーデ姫の腕をつかんだ。きつく力を籠める。


「いっ……!」


 セリアルーデ姫は、はっとしたように彼を見た。みるみるうちに今度は顔が青ざめていく。


 姉王女の腕から力が抜けたのを確認して、マルタレクスは掴んだ手をゆっくり離した。彼女は一歩よろめく。


「申し訳ございません、お姉さま」


 すかさずグレナドーラ姫が前に進み出た。


「私の騎士、アルティグレナが、大変な失礼を致しました。心よりお詫び申し上げます」


 深々と礼をする。アルティグレナと呼ばれた女騎士もそれを見て、黙って膝を折り頭を下げた。


「アルティグレナの不始末は私の不始末。どのような罰もお受けいたしましょう」

「我が姫!」


 焦って顔を上げた女騎士を、姫は小さな仕草で制す。


 セリアルーデ姫が何かを言う前に、今度こそマルタレクスが先に、わざとのんびりと口を挟んだ。


「さあて。私は腹が空いてしまいました。この目の前のおいしそうな菓子を早くいただきたいのですが、席に着いてもよろしいでしょうか?」


 返答を待たずに、さっさと手近な椅子に座る。


「何か先ほどから小鳥の声がさかんに聞こえますが、喧嘩でもしたのでしょうか。せっかくのい日を、ともに楽しむほうがよほどいいのに」


 無邪気な笑顔を浮かべてみせ、姫たちに残りの椅子を指し示す。


「さあさあ、姫君方も席にお着きください。私が飢えて死んでしまう前に」


「……では、そう致しましょう。どうぞ、お姉さまも」


 まず妹王女が動き、下座の席を選んで座った。遅れて姉王女も、緩慢な動きで上座に座る。続けてリーアヴィンも座った。


 女騎士アルティグレナはといえば、しばらくそのままひざまずいていたが、安心したように一礼して立ち上がった。そして衝立の向こうに下がろうとする直前、彼女の目とマルタレクスの目が、合った。


 生き生きと燃え踊る緑色の炎。こちらの心を射抜いてくるような、奥底まで照らし出してくるような。


 ――先に視線を外したのはアルティグレナだった。目を伏せ再び一礼し、今度こそ衝立の奥に下がっていく。


 テーブルではリーアヴィンが、菓子についての説明をグレナドーラ姫に求めていた。セリアルーデ姫はすっかり大人しくなっていた。湯気の立つ紅茶が侍従によって茶器へ注がれていく。


 マルタレクスも菓子を一つ手に取った。口に入れる。


 けれども、どうしたわけか、味がよく分からなかった。

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