第5話 従姉妹

 グレナドーラ――グレナは長い濃茶の髪をとかし終えると、剣を手に取り立ち上がった。くるぶしまでの長い白い寝間着。締めつけられていない腰。なんの飾りもない胸元。短い袖からのぞく細い腕。そして無骨な長剣。これが、グレナのいつもの夜の姿だった。


 控えの間から「グレナドーラ姫」の寝室へ続く扉を開ける。アルティドーラ――アルティはもうソファにいて、花茶をれていた。彼女も寝間着に着替え濃茶の髪を下ろし、もう「王女」のヴェールはかぶっていない。


 茶炉の火でほの明るいそこへ歩み寄っていくと、花茶のやさしく豊かな香りがグレナを出迎えてくれた。


「いい香り!」


 喜ぶと、アルティもにっこり笑い返した。


「今日は疲れたでしょう、グレナ。とびきりの花茶にしたわ。特別に、お茶菓子もちょっとだけ食べちゃいましょうか」

「やった、アルティのお許しが出たわ。取ってくるわね!」


 グレナは跳ねるような足取りで棚に向かい、小ぶりな菓子箱を取り出した。「あまりたくさんは駄目よ」とアルティが声をかけてくるのに、「分かってる」と答えながらたっぷりと皿に移していく。


 皿とともにグレナが戻ると、アルティは眉を下げて笑った。けれど叱ることは言わず、座ったグレナへ茶器を差し出してくれる。礼を言って受け取り、口をつけると、穏やかでやさしい味と香りが彼女を包んだ。まるでそれを淹れた少女そのもののような。


「うん、アルティの淹れてくれる花茶が、一番おいしい」

「そう言ってくれるグレナが、私は一番大好きよ」


 うふふと笑い、グレナは甘えるように彼女の従妹にもたれかかった。従妹もそっともたれ返す。揃いの寝間着を着た従姉妹たちは、なかむつまじく並んで、花茶を飲んでいた。


 寝る前の儀式にも似た習慣。沈んだ茶色の部屋で小さな火が二人を照らす。二人きり、他に誰もいない。「王女」でも「騎士」でもない、ただの従姉妹どうし。素の自分たちに戻って、花茶を飲む。


 グレナの、一番好きな時間だった。


「そういえばマルタレクス王子殿下は、ほとんどお菓子に手を伸ばされてなかったわ」


 小さな菓子を一つつまんで、偽の「王女」――アルティドーラが言った。


「そうなの? この国のお菓子が口に合わなかったのじゃない?」


 こんなにおいしいのに、と言いながら「騎士」――グレナドーラは菓子を口に放り込む。「こら、はしたない」とアルティに軽くにらまれ、グレナは首を縮めた。


「晩餐の席でのご様子からすると、小食な方というわけでもなさそうだったけれど」

「ふうん」


 気のない声だけ漏らし、グレナは花茶を飲む。


「グレナは、マルタレクス王子殿下のこと、気にならないの?」


 話を向けられても、


「興味ないわ。だって私には関係ないもの」


 あっさり切り捨て、また菓子を口にした。


「そんなことを言って。あの方はお妃を選びにやって来られたのよ? 『グレナドーラ姫』とセリアルーデ姫のうちの、どちらかを選びに」


 ここでグレナはあれっと思った。従妹にしてはこだわっている気がして、顔を彼女の方へ向ける。


「でも、セリアルーデが選ばれるに決まってるじゃない。アルティだって見たでしょ、あの乱暴者ルーデたちのその気満々のふるまい」

「……たしかに、あの力強いルーデの方々は、すっかりその気でいらっしゃるようだけど……」

「でしょう?」


 アルティは小さくため息をつく。


「でもね、グレナ。あなただって……このカルメナミドの王女なのよ」

「……それは、そうだけど」


 それは昼間、グレナ自身が言ったことだった。考えるよりも先に、口を突いて言ってしまったこと。「グレナドーラ姫」――自分も、父王の子、カルメナミドの王女なのだと……。


 沈黙が流れた。わずかに胸の詰まる、沈黙。



 空気を変えようとしてか、アルティが急に明るい声を出した。


「ねえ、グレナはノルフィージャに行ったことがあったのよね」


 花茶をもう一杯、グレナの茶器へ注ぎながら言う。


「マルタレクス王子殿下にも、お目にかかってたのでしょう?」

「……そんなことがあったかしら?」


 茶器を取りながら、グレナは思い出そうとした。


 ――ふ、と周囲が暗くなった。頭上から真っ黒なとばりが降りてきたかのように。


 グレナの顔から、腕から、血の気が引いていく。茶器を持っていられなくなって、テーブルに落とすように置いた。


「グレナ!?」


 アルティの声が遠かった。身体が細かく震え出す。


 鼻が匂いを感じた。オレンジの香り。やさしい香り。ついで鼻を刺したのは強い鉄の臭い。耳を激しい物音が打った。身のすくむような音。


 目の前が真っ赤になる。声を出せない。動けない。声を――コエヲ――コエヲダシテハイケナイ――ウゴイテハイケナイ――


 アア――イマオキテイルノハ――


「グレナ! グレナ!」


 突然グレナは呪縛から解き放たれた。視界に明るさが戻る。元の、二人の寝室に戻る。


 アルティが彼女を抱きしめていた。痛いほどの腕の力。その痛みが自分を引き戻したのだと、朦朧もうろうとした頭の中で気づく。


「グレナ、大丈夫よグレナ、私がここにいるわ、私がいるわ……」


 アルティが泣き出している。グレナはまだ震える腕で、従妹を抱き返した。


「うん……アル……ティ……」

「ああグレナ、ごめんなさい、ごめんなさい、私が……私がいるから……」

「アルティ……」


 従妹がグレナを抱きしめてくれる。グレナも従妹を抱きしめる。だから、もう、大丈夫。


「アルティがいるから、大丈夫……」

「ええ、大丈夫よ、私はあなたと一緒にいるわ……あなたのことは、私が守る……」


 従妹の腕は、身体は、とても温かい。だからグレナは安心する。安心して、そして同時に恐くなる。


「私も、アルティ……あなたのことを守るわ……何が、あっても……」


 グレナは強く強く従妹を抱きしめる。


 悪意に満ちた世界の中で、誰からも守ってもらえない。だからどんなことからも、グレナが、従妹を守る。


 この世界の中、二人だけ。二人きりの世界。


 だから、自分がアルティを守ってみせる――。

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