第13話 内実

 早朝。東からの日光が窓の外の木々を眩しく照らしつけていた。空には雲一つなく、暴力的とまで言える快晴だった。


 マルタレクスは落ち着かず、椅子を立ったり座ったり、歩き回ったりをくり返していた。前夜はよく眠れていなかった。ひどい興奮状態がまだ続いていた。


 初めての実戦、だったのだ。あの影たちとの剣戟けんげきは。


 幼い頃から剣の鍛錬をさせられてきた。ノルフィージャの王子として、いつでも戦場に赴けるよう。けれども実際に剣を抜いたのは、あれが初めてだった。初めて人に剣を向けた。初めて人を斬った。


 しかし倒すまでには至らなかった。マルタレクスは唇を噛む。女騎士アルティグレナは見事一人を討ち取っていたのに。それが、武を誇る国の王子として悔しかった。


 アルティグレナの姿が、彼女の振るった剣が、まざまざと脳裏によみがえる。苛烈な攻め、確固たる守り、強い意思を持った剣筋。それはマルタレクスがノルフィージャで見聞きしたどの剣士のものにもけして劣らなかった。


 ああ、あの輝く緑炎。彼女にこそ自分の背を預けたい。彼女こそ、あの女性ひとこそ、自分の隣に――。


 ふいに扉が叩かれリーアヴィンの声がした。


「マルス、いいですか?」

「……リーン!」


 我に返ったマルタレクスも声を上げた。自分で飛んでいき扉を開ける。


「大丈夫だったか、リーン」

「ええ、そりゃあもう」


 長い髪をかき上げながら友は入ってくる。髭は剃ってあり着替えもしていたが、おそらく彼は一睡もしていない。


 ただちに侍従たちを遠ざけ、二人差し向かいで座った。


「まったく、私が副使になった甲斐かいがあったと言うべきでしょうかね」


 リーアヴィンは分厚い紙の束を懐から取り出した。


「全力で調べさせていただきました、ええ。なにしろ、我が王子を危険に晒すなんてことをしてくれたのですから」

「だが刺客たちの目当ては私ではなかったろう」


 口を挟めばリーアヴィンも頷いた。それは火を見るよりも明らかなことだった。刺客はマルタレクスに剣を向けてはこなかった。終始防戦一方だったのだ。ノルフィージャの王子に危害を与えてはならないとの命令が、刺客たちへ下っていたと判断するべきだった。


「表立っては、祭りに乗じた不満分子による王室要人暗殺未遂……と発表されましたが」


 馬鹿にしちゃいけません、とリーアヴィンは紙の束を叩いた。


「貴族の数人に口を割らせました。状況が状況ですからね、彼らも我々に対して黙っていにくいでしょうし?」


 友の目が据わっている。こういう時の彼は本当に強引なのを、マルタレクスはよく知っていた。


「狙われたのは初めからグレナドーラ姫お一人。そして黒幕は、サイルード大臣、それにソニアルーデ王妃」


 王室内部、身内による暗殺未遂。あるまじき――光あふれる大国カルメナミドにあるまじき、暗黒。予想していたとはいえ、マルタレクスは衝撃と怒りで目がくらみそうになった。


 しかも、とリーアヴィンは続ける。


「この手の暗殺未遂はもうずっと繰り返されていたようです。最初にグレナドーラ姫が襲われたのは、十の時だったとか」


 十才。アルティグレナが騎士見習いになった年齢だった。


「コルンスタン国王陛下は……姫を守るために、何かされなかったのか?」

「何も」


 リーアヴィンは即答した。


「まったく何も。黒幕を追究するでもなく、姫の警護を増やすでもなく。ご自身がご病気であったとはいえ――ご自身も筆頭大臣たちから身を守る必要があったとはいえ」


 リーアヴィンの声に怒りがにじんでいる。マルタレクスも手を拳にした。アルティグレナの、執拗に柱を斬りつけていた姿が、思い出された。


「そもそも、グレナドーラ姫のご生母とアルティグレナ殿の母上、そのお二人も王妃と大臣に暗殺されたというのが当時半ば公然の噂だったそうです」


 マルタレクスの指の爪が掌にくい込む。


「動機は……最初は、嫉妬か」


 低い声で呟いた。


「まずそうでしょう。それに加えて、セリアルーデ姫の地位を高めるためとも考えられますが」


 二人の王女のうちの一人よりは、ただ一人の王女のほうが価値がある。いかにもあの大臣と王妃の考えそうなことだった。


「ただ今回はいささか拙速に動きすぎたようです。理由は、分かりますね?」


 問われて、マルタレクスは唸るように答えた。


「私の……妃選びか」


 ノルフィージャの王妃の地位。そしてノルフィージャの内政に深く食い込むためのくさび。そこにセリアルーデ姫を確実に据えるために、もう一人の王女を急いで排しようとした。


「見くびられたものだな。私も、ノルフィージャも」


 リーアヴィンがマルタレクスの肩を掴んだ。


「マルス」


 友の紫の瞳が、マルタレクスの青い瞳をのぞき込む。


「カルメナミドの内実は本当に腐り果てています。我々は、今後のことを真剣に考えねばなりません」


 マルタレクスはとっさに応えられなかった。瞬間、脳裏によぎったのは、あの緑炎の瞳。



「マルタレクス王子殿下……リーアヴィン殿」


 突然小さな声が扉の方から聞こえた。さっとリーアヴィンがそちらへ振り向く。


「何ですか、呼ぶまで近づくなと言ったはずですが」


 きつい口調に侍従がひるんだ気配があったが、ややあって再び声が続く。


「その……グレナドーラ王女殿下と騎士アルティグレナ殿が、いらっしゃいまして……」


 室内の二人は顔を見合わせた。即座にマルタレクスが判断する。


「お通ししろ」


 そしてともに立ち上がり、少女たちを迎えた。


 二人の少女はとても静かに、滑るように部屋に入ってきた。


「ご機嫌よう、マルタレクス王子殿下、それにリーアヴィン殿」


 グレナドーラ姫は優雅に、アルティグレナは機敏な動きで礼をする。そうやって並ぶ少女たちは、従姉妹というよりまるで双子の姉妹のようにも見えた。


 姫に椅子を勧め、マルタレクスも向かい合って座る。リーアヴィンとアルティグレナはそれぞれの主の後ろに立った。


 努めてやさしく、マルタレクスはグレナドーラ姫に話しかけた。


「出歩かれて大丈夫なのでしょうか。お呼びいただければ、こちらから参りましたものを」


 細く柔らかな声が返ってくる。


「私がお礼を申し上げる立場ですもの。王子殿下のお力をもちまして、狼藉者ろうぜきものたちも退けることができました。もう、大丈夫でございます」


 今だけは、とマルタレクスは心中で姫の言葉に付け加えた。グレナドーラ姫はさらに続ける。


「どうしてもお会いしてお礼を申し上げたかったのです……本当に私たちが感謝申し上げていることを、お伝えしたくて」


 その謝辞へ、彼は微笑んで首を横に振ることで応えた。


「そのようにおっしゃることではありません。私は剣を持つ者として、当然のことをしたまでです」


 その時マルタレクスとアルティグレナの目が合った。彼が彼女を見たように、彼女も彼を見つめていた。挑むように緑炎が光る。


「――お国に、お帰りになってしまうのでしょうか」


 グレナドーラ姫が言い、マルタレクスは慌てて視線を彼女に戻した。


「ええ……そうなるでしょう」


 声に苦いものが混ざる。そこへリーアヴィンが続けた。


「王子殿下が進んでなさったこととは言え、我がノルフィージャの王子がじかに剣を交わすような事態、大変な事でございますから」


 容赦の無い言い方。


「カルメナミドの内情がここまで酷いとは、驚きました。そもそも――」

「リーアヴィン」


 マルタレクスは友を制した。グレナドーラ姫とアルティグレナに言っても仕方のないことだった。彼女たちのせいでは、ないのだから。

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