第18話 求婚

 その日グレナドーラ姫は、昼以降のすべての予定を「体調がすぐれないため」として欠席した。事情を知らないセリアルーデ姫は妹姫を散々に罵倒し、マルタレクスの父王と母王妃は心配する発言を繰り返した。彼らの間で、マルタレクスは沈黙を守り通した。


 彼はひたすら考えた。彼が見たものは何だったのか、そしてそれが何を意味するのかを。


 あの緑の炎。見間違えるはずもない、彼が恋した女騎士の瞳。彼女がドレスとヴェールを身に着けてノルフィージャへやってきた。


 女騎士の妹。よく似た容姿、よく似た声。カルメナミドでは姿を見ず、けれど彼女はマルタレクスを見知っていた。


 グレナドーラ姫の境遇。幼いころから危険にさらされ続けた彼女。暗殺におびえなければいけない母国に比べ、むしろ安全な異国への訪問。


 マルタレクスの前を閉ざしていた灰色の霧が一気に晴れていく。結論は一つだった。


 女騎士アルティグレナこそが、だったのだ。



 晩餐も済んだ夜半、自室でマルタレクスは侍女を呼んだ。怖々とした様子で現れた侍女たちに、着替えの服を用意するように言い付ける。


「あの青い……いや、黄色の上着がいいだろう」


 朝会った時の姫のドレスを思い出し、指示を変えた。彼女は着替えているかもしれないが、もしかしたらまだあの黄色いドレスの姿かもしれない。だとしたら自分も黄を身につければ、並んだ時に映えるだろうと思った。


 侍女たちに手伝われて着替えをし、髪を整えさせる。自分でも鏡をのぞき込み服や髪の細かい部分を直して、それでようやく満足した。


「ご苦労。下がっていい」


 彼は部屋を出ようとした。どちらへ、との侍女の問いに、明るい弾んだ声で答える。


「グレナドーラ姫のところへだ」


 なんの約束もなく向かったのですげなく拒絶されることも考えてはいた。しかしマルタレクスはあっさりと、カルメナミドの第二王女の部屋へ通された。


 姫はベッドに入っていた様子もなく、しっかりと立って彼を出迎えた。


「グレナドーラ姫、ご気分はいかがですか」


 マルタレクスはまず気遣う言葉を掛けたが、はっきりとした口調で返事が返ってくる。


「ありがとうございます、もう大丈夫でございます。今日はせっかくのご歓待を無にするようなことをし、申し訳ございませんでした」


 ただ、彼女はすでに朝のドレスではなかった。着ているのはくすんだ、灰色がかった暗い紫の衣装だった。


 内心でかなり落胆し、それを押し隠しながらマルタレクスは姫と向かい合って座った。そしてすぐに彼女へ提案した。


「よろしければ……姫と親しく、お話がしたいのですが。できましたらお人払いを」


 彼の言葉に、部屋に控えた侍女たちが小さくざわめいた。それは驚くだろう。妃選びが行われている最中に、候補である姫の一人を王子が訪ねてきて、さらに人払いまで求めれば。


 色めき立つ侍女たちを、グレナドーラ姫は手を挙げることで制した。


「……下がっていなさい」


 静かな声に、侍女たちは不承不承ふしょうぶしょうな様子で退室していく。


 同じくアルティドーラも一礼して立ち去ろうとした。だがグレナドーラ姫が急いだように引き留める。


「待って、アルティ」


 そしてマルタレクスへ言った。


「アルティドーラには私の付き添いをさせたいのですが」


 ヴェールから聞こえてくる、固い、警戒したような声。マルタレクスは鷹揚おうよううなずいてみせた。


「アルティドーラ殿なら、構いません」


 姫の従妹は「ありがとうございます」と小さく言って、姫に寄り添い立った。


「グレナドーラ姫――グレナ姫」


 侍女たちが完全にいなくなってから、マルタレクスは姫のことを呼んだ。幼いころ、彼女に許された通りに。彼女は忘れているかもしれない、それでも彼はそう呼びたいと欲した。


「あなたが、グレナ姫だったのですね」


 姫ともう一人の少女が顔を見合わせた。言葉ではないものが少女たちの間で交わされるのが分かった。数瞬あって、それからゆっくりと、グレナドーラ姫はこちらを見た。


 ヴェールに彼女の手が掛けられた。ぐいと乱暴に、分厚い覆いがぎ取られる。


 そこにいたのはやはり女騎士アルティグレナだった。アルティグレナという偽名を名乗っていた、かつてのグレナ姫だった。


 獰猛どうもうに燃える緑の炎。マルタレクスを襲い、焼き尽くそうとでもいうような苛烈な光。


 マルタレクスの口から感嘆のため息がこぼれた。それをどう受け取ったのか、目の前の少女の瞳がさらに危険に煌めく。


「そして、カルメナミドで私が会った『グレナドーラ姫』、それはアルティドーラ殿、君だったのだね」

「はい」


 姫のかたわらに寄り添う少女は、はっきりと答えた。


 並んだところを改めて見ると本当によく似ていた。髪の色、顔の輪郭、目鼻立ち、首から肩の線。ただ体つきが少し違う。それは布を多く使ったドレスに隠されてはいたが、その日の朝、姫を抱き上げた時に気づいた。深窓で育った女性の体と、グレナドーラ姫の体は違う。


「従姉妹どうしで、入れ替わっていた」

「はい」


 今度はグレナドーラ姫が答えた。声も二人はよく似ていた。


「何故なのか、理由は……察することができると言ったら、失礼になるでしょうか」

「いいえ」


 グレナドーラ姫はつかの間俯うつむき、それから毅然きぜんと顔を上げて言った。


「ご想像の通りです。私が暗殺の危険に晒されていたため、です」


 アルティドーラが従姉の肩に手を置いた。


「母と叔母が殺された直後から……父の命でした」


 マルタレクスは頷いた。


「けれどこのノルフィージャに来るのには、元の通りあなたが『グレナドーラ姫』となられた」

「これも、父の命です」


 唇を噛む仕草。


「暗殺の恐れが少ない地へ行くのだから、本来の姿になるように、と」


 勝手な命令だとマルタレクスですら思う。少女たちにとっては、さらにその思いは強かったことだろう。


「あなたはカルメナミドの王宮で、アルティグレナと名乗り騎士となられた」

「ええ」

「何故ですか?」


 考える前に疑問が口から出ていた。


「王女の……姫の身でありながら、自ら剣を取るなど」


 緑の炎が弾けるように光った。火花が散る音が聞こえたようだった。


「何をおっしゃりたいのですか?」

「いえ……」


 彼女の瞳に気圧され、マルタレクスは思わず軽く身を引いた。言葉を濁す。


「他の、信頼できる者に……ご自分と従妹殿の身を守らせるよう、お父上に頼まれれば良かったのではと……」

「そんなことができるとお思いですか」


 激しい声が彼を遮った。


「私の代わりにアルティドーラの命を危険に晒す、そんなことを選んだ父です。王妃やサイルード大臣から母を守ることも、罪をとがめることもできなかった父です。いくら重いご病気であられるとしても、父は、私の父は……!」


 炎が燃え上がる。爛々らんらんと輝く、宝石などとは比べものにならない、宝石さえ焼き尽くすような光。


「父でさえ、本当には、私たちを守ってくださらない。だから私は剣を取ったのです。私の大切なものを守るために!」


 彼女の全身が、まるで炎として燃え上がっているように見えた。マルタレクスの目が耐えられなくなりそうなほどに。


 わずかな間、沈黙が流れた。


「――それで、ノルフィージャはどうなさるのでしょう?」


 誇り高くあごを上げ、グレナドーラ姫が問うた。


「それは……」


 言葉が出ない。姫には彼個人として会いに来た。ノルフィージャの立場は捨ておいていた。そして彼個人は、彼女に圧倒されていた。


「王子殿下が我が国において剣を交える事態となった、そのことをもってノルフィージャが我が国を脅し、干渉しようとしている。その程度のことは私も承知しています。そして今またあなた方は、カルメナミド王室の――私たちの、弱みを握られた」


 今ここが戦場であったなら、彼女は迷うことなく自分に斬りかかってくるのだろう。それほどに凶暴な緑の炎。


「……私は、あなたを脅すために、ここに来たのではありません」


 マルタレクスは勇気を奮い起こし、真摯に言葉を舌に乗せた。それでも彼女の炎は激しさを変えようとしない。


「では、何をしにいらしたのです?」


 挑戦的な問い返し。それを受け、マルタレクスは立ち上がった。とたんに身構えた彼女の前に進む。そして彼女の手を、自分にあたう限りそっと、取った。


「私はあなたに求婚します、グレナ姫」


 想いの限りを込めて言った。彼の恋した緑の炎が、彼を、彼の心臓をまっすぐ貫いていた。


「私、ノルフィージャの第一王子マルタレクスは、カルメナミドの第二王女グレナドーラ姫に、求婚いたします」


 腰を折り、自分の唇を彼女の手の甲に押し当てた。


 ――彼女の手は何の反応も示さなかった。石膏でできた作り物のように、硬く冷たい手。


 マルタレクスはおそるおそる顔を上げた。彼を迎えたのは、凍りつき、鋭利にとがって光る炎だった。


「分かりました」


 氷のつぶてのような声。


「私を人質に取り、カルメナミドを、私の父王を思うがままに操るおつもりですね」


 想いを込めて取っていた手が激しい力で振り払われる。


「グレナ姫」

「お帰りください」


 椅子が大きく軋む音。グレナドーラ姫は立ち上がって、彼に背を向けた。マルタレクスは茫然と彼女を見た。


「グレナ、そんな失礼な振る舞い――」

「お帰りください」


 従妹がいさめようとするのにも耳を貸さず、壁へ向いたまま彼女はさらにくり返した。


「お帰りください」


 マルタレクスはのろのろと体を動かした。力が、入らない。


「……失礼いたします」


 それだけやっと言って。その部屋から、彼は逃げた。

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