第3話 再会

 初めて訪れたカルメナミドの王宮は、マルタレクスの目にとても新鮮なものに映った。ノルフィージャで彼が慣れ親しんでいるのは材木と金属、毛皮。それらと異なり、カルメナミドの王宮は石とタイル、それに大きなガラス窓で構成されていた。窓から降り注ぐ陽光に、細かく散りばめられたタイルが色とりどりに輝く。ノルフィージャでは考えられないような明るさだった。


 子供のように見回したくなるのをなんとか我慢しながら、マルタレクスはリーアヴィンとともに案内の者の後ろを進んだ。どこの王宮でもそうだが、謁見の間までの距離は短くはない。


 ふとマルタレクスは、場所によって周囲のタイルの彩りが違うことに気が付いた。今通った場所は紫色が多かったが、さっきの場所は赤みが強かった。その前は橙。そういえば王宮の入り口は金色がかった黄色だった。


 なら次に来るのは、青。そう予想したマルタレクスの前に、やはり青く長い廊下が広がった。左は一面の窓ガラスで、右の壁には青い小さなタイルが敷き詰められていた。さらにマルタレクスが進むにつれ、タイルは深い色から明るい色へと徐々に変化していく。


 最後、謁見の間を占めるのは緑だ。それに気づいた時、マルタレクスの胸は大きく高鳴った。


 緑。自然の恵み豊かなカルメナミドを象徴する色。そして、若葉の姫の、あの美しい瞳の色。


 初恋の姫に会える。その姫と自分は、婚姻を結ぶかもしれないのだ――。


 廊下の奥、巨大な扉の前で案内の者は深く一礼し横へ下がった。マルタレクスの名が高らかに告げられ、扉が押し開かれる。


 目の前に鮮やかな緑の色彩が舞い踊った。タイルと色ガラスで飾られた華麗な部屋に、主立った臣下だろう、人々が並んでいる。突き当たりにはカルメナミド王室の面々が揃っていた。王と王妃が玉座に座り、王子王女がその横に立つ。マルタレクスには、一目でどれがグレナドーラ姫か分かった。


 波打ち流れる、木々と大地の色の髪。顔をヴェールできちんと覆い、慎ましく王族の末席に立っていた。すんなりと伸びた腕、娘らしく丸みを帯びた体は、余計な装飾の一切ない緑と白のドレスに包まれていた。


 思わず駆け寄りたくなる心を抑え、マルタレクスはゆっくりと前に進んだ。胸を張り、威厳を持って、重々しく足を運ぶ。成長し立派な男になった姿を、若葉の姫に見せたかった。


 玉座の前で、深く礼を取る。リーアヴィンは後ろでひざまずいたが、マルタレクスはノルフィージャの王族であるがゆえに立礼のままだ。


「久しいな、マルタレクス殿。……父君、マルティネル王にそっくりになられた」


 カルメナミド国王コルンスタンが口火を切った――が、マルタレクスは内心驚いた。王の声はひどく掠れ、弱々しく、聞き取るのも難しかった。


 マルタレクスが顔を上げれば、近くで見る王の顔は血の気がなく、いっそ土気色を思わせるほどだった。皺が深く、髪も白いものがあまりに目立ち、まるで年老い果てた老人のよう。


 それでも、マルタレクスは何事もないように儀礼通りの挨拶の辞を述べた。


「お久しぶりでございます、コルンスタン国王陛下。王室の皆様方にはご健勝のご様子、お慶び申し上げます」


 続けて王妃へ向かって小さく一礼した。


「王妃殿下には、初めてお目にかかります。ノルフィージャの王子、マルタレクスにございます」


 王妃ソニアルーデは満面と言っていい笑顔を見せた。一瞬マルタレクスは、大輪の花、しかも散り出す直前の最も開ききった花を連想した。赤みを帯びた、豊かに結い上げられた髪。はっきりとした化粧。


「お噂はかねがねうかがっておりますわ。我が娘セリアルーデは、ここのところあなたの話ばかりしていましたのよ」

「まあ、お母さま!」


 王妃のそばに立っていた上の王女、セリアルーデが声を出した。とがめる言葉とは裏腹に、甘えた声。王妃と同じ赤茶の髪。そして顔にはやはり満面の笑みが見えた――未婚の姫であるのに。


 そう、セリアルーデ姫はごくごく薄いヴェールしか被っていなかった。そのため顔の表情も、造作もよく分かる。美しい顔ではあった。だが王家の若い女性が公式の場に立つのに、このヴェールの薄さはいかがなものか。マルタレクスは心の中で眉をひそめた。


 それに引き替え。ちらりとグレナドーラ姫の方を盗み見る。控えめに黙ったまま立つ下の王女の顔は、厚いヴェールに覆い隠されていた。表情はおろか、目鼻立ちも全く窺い知ることができないほどだ。


 でも私は、姫の瞳がどんなに美しい色か知っている。その秘密が嬉しくて、マルタレクスは少し弾んだ声を出した。


「王子王女方にも、お久しぶりでございます。以前お会いした時は、お互いにまだほんの子供でありましたが……」

「もう私たちは、子供ではありませんわね。夫を、妻を娶ってよい歳になりましたわ」


 笑顔の姉王女の言葉に、マルタレクスはまた驚いた。後ろのリーアヴィンが眉を上げるのが見なくても分かる気がした。


 確かに今度のカルメナミド訪問は、マルタレクスの妃選びが主眼ではある。だがそのことを、しかも当の王女の一人があからさまに言葉に出すのは、ひどく明け透けすぎだ。


 セリアルーデ姫は明るく笑っていて、王妃も同じくだった。王にも咎めるような表情はない。むしろ王は、玉座に座っているのも辛そうに見えるほどだった。


 マルタレクスは戸惑い、せめて違う話題を出そうと、王の横に立つコルンヘルム王子へ話しかけた。


「コルンヘルム殿にも再びお会いでき、嬉しく思います。よろしければ滞在中に、子供のころの試合の続きをお願いしたいところです」


 やはり赤茶の髪色の王子が、マルタレクスへ目を向けた。しかしその顔は無表情で、空色の瞳もどこかぼんやりとしていた。マルタレクスが昔見たそのままの態度。


「……ええ、お願いいたします」


 返ってきた答えはたったそれだけ。しかもそれにセリアルーデ姫が口を出した。


「まあコルム、マルス殿下はあなたに会いに来たのではなくてよ。少しはお控えなさいな」


 お待ちください、とマルタレクスは口を突いて言いかけた。いつから自分は、セリアルーデ姫に愛称で呼ばれるような間柄になったのか。


 しかし、コルンヘルム王子は無表情を変えず、他の王族も何も言わない。王妃は上機嫌の笑み、国王はぐったりと玉座に沈み、そして下の王女の表情はうかがいしれない。


 ついマルタレクスは、黙ったままの妹王女に声をかけた。


「グレナドーラ姫には、ご機嫌麗しく」


 昔、会う度に言ったのと同じ台詞を言う。


 とたんにソニアルーデ王妃とセリアルーデ姫の表情が激変した。


 彼女たちの目が一気に吊り上がり、口の端が下がり、頬が真っ赤になり、そしてグレナドーラ姫を、仇敵のようににらみつけた。


 いったい何だ? マルタレクスはその剣呑さに気圧されかけた。周囲にも張りつめた空気が流れだす。


 ひどく長く感じる間があってから、グレナドーラ王女、若葉の姫が口を開いた。


「お久しぶりでございます……どうぞ当地でのご滞在を、お楽しみくださいませ」


 優しい、けれど細い声。ヴェールの中にくぐもるような。そしてそれきり、彼女は押し黙った。


 えっとマルタレクスは思った。何か、違う。――若葉の姫は、こんな姫だっただろうか。


 記憶の中の姫は、いつも快活で、体から光がこぼれ出るかのような、眩しい少女だった。


 でもこの姫は――。


 女性というのは変わるものだそうですよ。リーアヴィンの言葉が、耳の中に響いた。


「長旅で疲れているだろう、マルタレクス殿……」


 空気を破るように、コルンスタン王が声を絞り出した。


「歓待の行事は明日以降としてある……今日はゆっくりと休まれよ」


 退室を促す合図と受け取って、マルタレクスは再び深く礼を取った。頭の中では違和感と動揺とが鐘のように鳴り響いていた。



 カルメナミドの王宮でマルタレクスのために用意された部屋は、なかなか居心地の良い居室だった。二階に位置し、広々としたバルコニーから入ってくる風が心地いい。降りそそぐ陽光も明るく、部屋の中をくまなく照らしていた。室内はやはり石とタイルが多用されていて、少し暑いくらいの初夏の陽気の中でもひんやりとした涼しさを感じさせた。タイルの色合いは黄と金が多い。最高級の賓客のための部屋なのだろう。


 だがマルタレクスの心中は、謁見の間で受けた悪い衝撃が収まらず、まだ混乱していた。


「……なにやら、込み入った内実がおありのようですね、カルメナミド王室は」


 リーアヴィンも軽く眉をひそめ言う。それにマルタレクスが応えようとしたところで、扉が叩かれる音がした。ノルフィージャから連れてきた侍従が応対に向かう。


「セリアルーデ王女殿下がおいでです。王子殿下に王宮をご案内したいとのことで……」


 二人は顔を見合わせた。


「休ませてくれるんじゃなかったのか」


 マルタレクスは思わず呟く。しかし断るわけにも、いかないのだった。

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