第12話 祝祭

 カルメナミド王宮の正面に位置する大バルコニー、そこにしつらえられた観覧席。群衆の歓声が風に乗って押し寄せてくる。伝わる熱気と興奮。マルタレクスの眼下では春の祝祭の最高潮、春女神の行列が繰り広げられていた。


 広場を行く山車だしの上に、春女神のうつし身である少女が花冠を被り白く長い衣を引いて立っている。群がる人々へ向け彼女は大輪の祝福の花を投げる。周囲にはやはり白い衣装を着た娘たちがはべり、籠から白い花弁を振り撒いていた。花を奪い合う大人たち、花弁を浴びて飛び跳ねる子供たち。


 その後ろに続く山車には幾本もの木が立てられていた。切り出されてきたばかりなのだろう、青々とした枝葉が大きく揺れる。よく見ると白い花も咲いているようだった。


「あれは何の木なのでしょう?」


 マルタレクスは隣に座るコルンヘルム王子へ尋ねた。


「ノルフィージャの春祭りではモミを立てますが、あれは違うようですね」


 すると王子が答える前に、反対側の隣からセリアルーデ王女が口を出した。


「サンザシですわ。今の時期に花が咲くので、見栄えがよろしいでしょう?」


 仕方なくマルタレクスは曖昧にうなずいた。まったくどうして自分の隣は第一王女なのだろう。冷静に考えれば序列として当然ではあるのだが、やはり不満だった。


 ちらりと斜め後ろへ視線をやる。そこには第二王女であるグレナドーラ姫と、彼女の騎士アルティグレナがいた。二人は何か言葉を交わしている。あまり祭りの行列を見てはいないようだった。というよりあの位置からでは、見ようにもよく見えないだろう。


「ほら、マルスさま! 楽団が春の賛歌を演奏しますわ!」


 セリアルーデ姫がしきりに話しかけてくる。祭りについての解説を色々しようとしてくるのだが、マルタレクスは半分も聞いていなかった。そもそも春の祝祭はほとんど同じものがノルフィージャでも行われる。せいぜい使われる木が違うぐらいだった。


 それよりも。またマルタレクスはグレナドーラ姫とアルティグレナの方を盗み見た。彼女たちのことがどうしても気になる。彼女たち自身というより、姫の座っている位置が、ひどく彼の意識にさわっていた。


 行列が見にくい位置なのはおおかた王妃や筆頭大臣の嫌がらせだろう。それも許しがたいことだが――それ以上にあの位置は不自然だった。


 彼はさりげなく周囲を見回す。カルメナミド王室の面々に、ノルフィージャからの正使。とびきりの重要人物たちが集まる大バルコニーには厳重な警備が敷かれていた。そこかしこに武装を固めた騎士が立っている。しかし。


 マルタレクスは騎士たちの立つ位置を目で確認していった。そしてグレナドーラ姫とアルティグレナの位置をもう一度見る。やはり変だ。第二王女の席の位置は、警備の騎士たちすべてからの死角になっていた。


 マルタレクスはサイルード大臣へ視線を向けた。恰幅かっぷくのいい筆頭大臣は相変わらず上機嫌でふんぞり返っていた。王と王妃のすぐ隣で堂々としすぎている様は、どちらが王だか分からないほどだった。


 あの大臣がグレナドーラ姫の席を決め、さらに警備の騎士たちの配置を決めたのだとしたら。


「どうなさいましたの、マルスさま?」


 祭りの場でかつて少なからずあったこと――不満分子による、王族の暗殺。


 まさか。マルタレクスは眼下の祭りの行列を再び見た。集まった民衆は花と花弁を身に受けて歓喜に満ちていた。こんな中で凶事が起こるはずが――ない。春の祝祭を汚そうという者がこの人々の中にいるとは、とても思えなかった。


 カルメナミドの政情は、サイルード大臣の横暴を除けば、安定している印象があった。恨みを買うとすれば国王や王室の人物ではなくサイルード筆頭大臣こそだろう。


 だから、グレナドーラ姫に筋違いの凶刃が降りかかることはない――グレナドーラ姫を都合のいい盾にしようとしてもできない、はずだ。だがそれならこの配置は?


 マルタレクスが考え込もうとした時、セリアルーデ姫が彼の腕を揺すった。


「マルスさまったら! ご覧になって、春女神の花冠がやってきますわ!」


 はっと彼が目を上げると、春女神の少女が被っていた花冠が、人々の手を渡って大バルコニーの下まで来ていた。一人の騎士がそれを受け取り、捧げ持ってこちらへと階段を上ってくる。


 マルタレクスは身構えた。もっとも危険の起きる瞬間。


 しかし何事も起きなかった。よろめきながら立ち上がったコルンスタン王が花冠を受け取った。そして天に向け掲げる。どっと群衆が沸いた。


「この地に春の祝福あれ!」


 王ではなくサイルード大臣が高らかに声を張り上げた。広場に集まった人々も口々に叫んだ。


「この地に祝福あれ!」

「春女神の祝福あれ!」

「カルメナミドに豊穣の恵みあれ!」


 見事な春の祝祭。ただそうとしか感じられなかった。



 祭りは盛況のうちに終わった。何も起こることなく。辺りはすでに夕暮れとなり、西の地平に煌々こうこうとした夕陽が落ちようとしていた。


 その夕陽が目に入った時、マルタレクスは反射的に「嫌な色だ」と思った。あまりに赤い。いや赤というよりも朱だった。流れ出す血の色のような。生の力ではなく失われていく命を連想させるような、朱色。


 そんな色で周囲は染まろうとしていた。


「では、国王陛下、皆様方、こちらへお越しくださいませ」


 案内役の侍従が先導しようとする。コルンスタン王や王妃、サイルード大臣が歩き出し、他の者もそれに続いた。


「参りましょう、マルスさま」


 第一王女が腕を取ろうとしてきて、それを避けるためマルタレクスは極力さりげなく二歩横へ逃げる。そしてやはり気になって後ろを振り向いた。


 第二王女とその騎士はまだ席に残っていた。他の面々やマルタレクスが移動を始めているのに、彼女たちを止めている侍従がいるようだった。


「どうしました、マルス?」


 そこへ、観覧席にはいなかったリーアヴィンも姿を見せた。


「この後は祝宴です、遅れてしまいますよ」

「いや、ちょっと……」


 友へと向こうとしたその瞬間。視界を何かがよぎった。朱い中を動く影。


「危ない!」


 とっさにマルタレクスは叫んで駆け出した。


「マルスっ!?」


 リーアヴィンの声を後ろに聞く。


 激しい剣戟けんげきの音が響いた。アルティグレナが抜刀し影の剣を弾いていた。しかし影はさらに二つ。


 第二王女を留めていた侍従が絶叫とともに斬り倒される。別の影が女騎士の背後へ。そこへ、マルタレクスが間に合った。


 ただ夢中で剣を抜きざまに斬る。衝撃。


 しかし影は一瞬よろめいただけで、くるりと振り向いた。黒い覆面から唯一のぞく目。その光にマルタレクスの息が詰まる。


 必死に突きを放った。だが鋼の音とともに易々と跳ね返される。マルタレクスの剣は儀礼用の軽いなまくら。


 口惜しさに歯を食いしばった。なぜ警備の騎士たちは来ない? 剣を振りかぶり力一杯振り切る。しかし受け止められて脇へ流される。押し切れない。


 声が上がった。一瞬目をやれば影の一人が倒れていた。グレナドーラ姫を背にかばうアルティグレナ、朱く濡れた剣。影はあと二人。


 マルタレクスの意識が奮い立つ、と同時に一気に踏み出した。頭上から突く。それを影に下へ払われる、その勢いに乗って柄頭に手と体重をかけ、力任せに影の膝を突き刺した。


 耳に飛び込むうめき声。影が崩れ落ちた。立とうとするが、立てない。


 残るは一人。マルタレクスと女騎士、ともに剣を構え直す。女騎士へ向かっていた最後の影が、こちらへ振り向く。


 マルタレクスは前へ出ようとした。しかし影はいきなり、立てずにいる影の首筋を刺し貫いた。ついで自身の首筋も斬り裂く。


 二つの影は倒れた。あとはただ、濃厚な鉄の臭い――血の臭いだけがその場を支配していた。



 自分の呼吸の音、鼓動の音。それらが耳の中で膨れ上がって、他の何も聞こえないほどだった。だが、マルタレクスは衝動的に声を上げた。


「アルティグレナ、無事か!?」


 呼ばれた女騎士の、動作が止まった。


「無事か!?」


 駆け寄るマルタレクスのことを、信じられないものを見るかのような瞳で見つめてきた。


 数瞬あってからようやく、彼女は、


「はい」


と答えた。


 ここでマルタレクスもやっと、呼びかける順序が間違っていることに気づいた。慌ててグレナドーラ姫の手を取る。


「姫、お怪我はありませんか」

「はい」


 姫の手と声は震えていた。


「王子殿下のお力添えのおかげで、事無きを得ました」


 ありがとうございました、と姫は深く頭を下げた。アルティグレナもひざまずき、やはり深く礼を取る。


「グレナドーラ姫と……アルティグレナ殿がご無事なら、これ以上の喜びはありません」


 マルタレクスは応える。そこへ突然どやどやと大挙して警備の騎士たちがやってきた。影――刺客たちの死体を持ち上げ、運び去ろうとする。


 すんでのところで出かかった怒声をマルタレクスは無理やり飲み下した。いったい今まで何をしていた。ノルフィージャから来た部外者の身でなければ、警備の長を殴りつけるところだった。


 しかしグレナドーラ姫もアルティグレナも何も言わなかった。叱責の言葉を発すべき二人が、何も言おうとしなかった。


「マルス、怪我はないですか」


 リーアヴィンもあたふたと駆け寄ってきた。マルタレクスは彼に対しては怒る気はなかった。友の剣の腕が壊滅的なのは、昔からよく知っていた。


「皆様ご無事のようですね。いや、良かった」


 リーアヴィンは大きく安堵の息を吐く。


「しかしこれでは……祝宴どころではないですな」


 マルタレクスも頷いた。


「グレナドーラ姫、お部屋に戻られるのがよろしいでしょう。お送りいたします」


 命を狙われたばかりの姫は、少し戸惑ったように彼女の騎士の方を見た。女騎士も困惑した顔をしている。


 自分は信用されていないのか。マルタレクスは強いて毅然きぜんとした声を出した。


「武国ノルフィージャの王子の名にかけ、お守りいたしましょう」


 そう言いながら、アルティグレナを見た。


 彼女の緑炎の瞳もマルタレクスを見つめていた。彼を射抜くような、すべての偽りを焼こうとするかのような炎。それを彼は堂々と受けとめた。


 ややあって、女騎士は主に向かって小さく頷いた。それで姫もわずかに安心した様子になって、控えめに手を差し出す。


「では、お言葉に甘えさせていただきます……お願いいたします、マルタレクス殿下」


 姫の手をマルタレクスはしっかりと握った。グレナドーラ姫と――アルティグレナは、自分が守る。


 血塗られた朱い夕暮れが、終わろうとしていた。

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