第9話 騎士
穏やかな西からの日差しが、カルメナミド王宮の裏手にある訓練場を明るく照らしていた。その日は軍事協定についての会議が開かれ、その流れでコルンヘルム王子がマルタレクスをそこへ案内していた。
軍事のほうが交易より馴染みがある分マルタレクスにとってやりやすく、会議ではさほど冷や汗をかかずにサイルード大臣と渡り合うことができた。元々軍事力ではノルフィージャがカルメナミドに一歩も二歩も
「今ちょうど、第三騎士団が訓練をしているようです……ご挨拶をさせましょう」
コルンヘルム王子が言うのに、マルタレクスは笑って首を横に振る。
「いいえ、訓練を中断してもらうには及びません。こうして訓練の様子を見させていただくことが、私にとって学びにもなります」
コルンヘルム王子は相変わらず
「ノルフィージャの方から見れば、私たちの訓練など子供の遊び程度でしょうが……」
そうして彼らは気付かれないまま、騎士たちの訓練を眺めることになった。
さて、子供の遊びというのは言い過ぎだが。マルタレクスは少し目を細めた。
見ていると、騎士たちの多くは二人一組になって格闘や剣技の訓練を行っていた。しかしその装備がノルフィージャでの訓練と違った。
訓練の基本は戦闘に耐えられるだけの体力を付けることである。だからノルフィージャでは、戦闘時と同じかそれ以上に重い装備を付けて訓練を行う。ところがカルメナミドの騎士たちは、マルタレクスから見てとんでもない軽装で訓練をしていた。
ほとんどの者は鋲付き上着しか身に付けていない。大盾を背負っている者もおらず、せいぜい小ぶりの盾を剣の訓練に使っている者がいる程度。剣の振られ方を見ても、あれではおそらく戦闘用の物よりむしろ軽いくらいの物だろうと思われた。
自然の豊かさこそが武器であるカルメナミドなら、こんなもので良いのだろうか。軽い衝撃すらマルタレクスは覚えた。
横にいるのがリーアヴィンであれば感想をまくし立てるところだが、さすがにカルメナミドの王子へそれをするわけにもいかない。ちらりと見やると、コルンヘルム王子は無表情のままだった。この訓練がまずいと思って焦るなどしている様子は、まったくない。
これでは剣の手合わせをしても、自分の圧勝で終わるだろう。マルタレクスは隠れて小さなため息を吐いた。
急速に興味を失いつつも、しばらくはここを離れるわけにもいかない。何か目を引くことが一つぐらいないかと訓練場全体を見回してみる。それで、異質な者の存在に気づいた。
「あれは……」
その人物は他の騎士たちから離れた場所で、一人で立っていた。こちらに横を向けた姿は一目で他の騎士との違いが分かった。あれは
訓練用の木柱を前にしたその騎士は、おもむろに両手で剣を振り上げた。踏み出すと同時、剣が柱へ食い込む。鈍く重い音がマルタレクスの耳に届いた。あれは訓練用、わざと重さを増した剣だ。
騎士は打ち込んだ反動によろめくこともなく、即座に剣を引きつけ直す。そしてまた柱へ叩きつける音。何度も何度も激しい音が響く。まるで騎士の目には柱が仇か何かに見えているかのようだった。
自身が剣の鍛錬を積み重ねてきたマルタレクスだからこそ分かった。あの剣、体の動きは――本物だ。
生ぬるい訓練のための訓練をする大多数の中で、その騎士だけが、実戦のための訓練をしていた。
突然コルンヘルム王子が言った。
「……あれはアルティグレナです」
一瞬何を言われたか分からず振り向くと、隣の王子は黙って指さした。今マルタレクスが見つめていた方向、鎖帷子の騎士を。
マルタレクスは仰天した。
「アルティグレナ殿!? あれが、女性の訓練!?」
まさかとマルタレクスはその騎士をもう一度よく見た。確かに、他の騎士に比べて小柄だ。結われた髪も長い。手足も細い。しかし――大の男も行っていない厳しい訓練を、若い女性が一人で行っている。
「あんな重い装備を、若い女性が……」
思わず口を突いて言葉が出た。
「なぜ彼女だけが、あんなに……」
「まともな訓練をしているか、ですか?」
コルンヘルム王子の声。マルタレクスは絶句して再び振り向く。
カルメナミドの王子は俯かず、騎士の方を見ていた。頬が、ほんの少しだけ、紅潮し始めていた。
その様子は先日の会議の場で見せたものと同じだった。気づいた時、マルタレクスの口からさらに疑問がこぼれだした。
「なぜアルティグレナ殿はあんなに厳しい訓練を。なぜたった一人で」
はたして、コルンヘルム王子は答えた。
「端的に言えば……グレナドーラの騎士が、彼女一人だけだからです」
「えっ、王女付きの騎士が一人だけなのですか」
尋ねてからマルタレクスはしまったと思った。グレナドーラ姫の王宮での立場を思えばそれはありうることなのかもしれない。
王子の表情は特に変わらなかった。
「ええ。姉上……第一王女の騎士は、両手両足の指の数ほどもいるのですけれど、ね」
女騎士はまだ、木柱に向けて剣を振るっている。自分がこうして二人の王子に話題にされているとは知らずに。
「彼女はずっとああして努力してきました」
その時のコルンヘルム王子は、
「十で騎士見習いになり、十三で騎士になって。そしてずっとグレナドーラを護ってきた」
「十三で……」
マルタレクスはおうむ返しにしてしまう。十三才と言えば、まだ騎士見習いになったばかりでもおかしくない歳だ。騎士になるには飛び抜けて早い年齢。
「十三の時から、彼女は一人前の騎士でしたよ。他のどんな騎士にも負けぬ実力を備えていた」
ふいにマルタレクスは少し不思議に思った。先ほどからコルンヘルム王子は、あの女騎士のことを褒めてばかりいる。彼の母親や姉が示す妹姫への態度を思えば、彼が妹付きの騎士を褒めるのは意外さを感じた。
そういえば、昔ノルフィージャへカルメナミドの王子王女がやってきた時。マルタレクスは思い出す。彼がグレナ姫と別れると、いつも姫は兄王子の方へ駆けていっていた。
コルンヘルム王子が振り向き、マルタレクスと目を合わせた。少し上気した頬。歳よりも幼く見える、だが少年のような生き生きとした表情だった。
「私はアルティグレナのことを、買っているのです」
この王子は、彼の母や姉、伯父とは違うのかもしれない。マルタレクスにはそう思えた。
「意外でしょうか?」
訊いてくるのに、素直に答えた。
「いいえ」
会話が途切れた。二人の王子は再び女騎士へ目を向けた。マルタレクスの意識も彼女へ戻っていく。
女騎士の動きは、見ていて心地のよい、優美であったりするものではなかった。重量のある剣に振り回される寸前の制動。足の運びも重い。だがそれでいいのだ。それだけの負荷を訓練で味わって初めて、実戦で役に立つ。
アルティグレナ。
彼女になら、自分の背を預けて戦える。
そう思ってから、マルタレクスはそんなことを考えた自分に驚いた。カルメナミドに所属する、王女付きの騎士。そんな者とともに自分が戦うなど一体どんな場合だと言うのか。ただの空想、仮定に過ぎないと、彼は流してしまおうとした。
だが、彼女とともに戦いたい。なぜかその衝動が胸の中で膨れあがっていった。優れた剣の使い手、優れた守護の騎士、ノルフィージャにおいてもっとも尊ばれること。そして何より、意思を持って煌めく、その緑炎の――。
「失礼いたします、コルンヘルム王子殿下、マルタレクス王子殿下」
はっとして目をやると、侍従が頭を下げていた。
「そろそろ晩餐のご準備をなさいませんと」
「……分かった」
コルンヘルム王子はまた無表情に戻っていた。足早に歩き出した彼をマルタレクスは急いで追いかける。だが、もう一度だけ振り返った。
女騎士はやっと剣を下ろし、兜を脱ごうとしていた。露わになった顔が見えた。
こんなに距離があるのに、マルタレクスの目には、彼女の瞳に踊る緑炎がはっきり見えた気がした。
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