第25話 闘い

 薄暗い隠し通路をマルタレクスは進む。明かりを採るためのごく細い隙間がうがたれてはいたが、時刻はすでに夜。外からの光は望めず、王宮の内側からこぼれてくるかすかな光だけが頼りだった。


 気は急いている。しかし複雑に曲がりくねる進路、凹凸のある荒削りの床面、走ることができる場所ではなかった。


 踏み出した足がふいに空を切った。ガクンと体が落ち、危ういところでマルタレクスは壁につかまった。下り階段。仕方なく壁に手を当てて慎重に、けれどできるだけ速く降りていく。


 急がなければならない。王妃と筆頭大臣が次にグレナ姫へ行おうとすることは、想像がつく――!


 階段が終わったとき、突き当たりにあったのは扉だった。暗がりの中で扉の姿も大きさも分からない。だが手触りは石、いや岩か。他人に見せてはならぬもの、秘すべきものを護るために存在する、堅固な盾。


 マルタレクスは扉を開く鍵を取り出した。重みのある、ざらついた古い鍵。グレナ姫のもとへたどり着くための鍵。


 指先の感覚だけを頼りに鍵穴を探す。気がはやる。焦りのあまり手がくうをかきだし、それに気づいた彼は一度大きく呼吸をした。落ち着け。ゆっくりと、そうゆっくりと。気持ちを考えるんだ。この盾を築いた人の、気持ちを。


 岩の盾をでる。指先に意識を集中して、ゆっくりと撫でる。そして彼の指に触れたものがあった。小さなくぼみ。その内側を探って確かめて、マルタレクスは慎重に鍵を差し込んだ。力を入れて、回す。


 カチリと確かな音がした。


 体全体を預けて岩を押す。全てを拒絶するかだったそれは彼に応え、滑らかに開いていった。



 先に広がっていたのは、途切れ途切れに蝋燭ろうそくともされた長い廊下だった。屋外には面しておらず、部屋への扉も見当たらない。本来なら人の訪れない空間。


 コルンヘルム王子は右に進めと言った。マルタレクスは一気に走り出した。


 ゆるい曲がり角の向こうに動く灯火を認めたのと、相手がマルタレクスに気づくのが同時だった。


「何者だ! ここで何をしている!」


 警備の兵、男三人。ただし武装は長剣と兜、鋲付き上着のみの軽装。対するマルタレクスはさらに軽装の布服、持つのは大剣のみ。


 それでもマルタレクスは黙って剣を抜いた。そのまま走る。この場で手加減などできない――!


「なっ……くせ者っ!」


 驚愕の叫び、兵たちの抜刀。しかしマルタレクスのほうが一歩速かった。


「ぎゃああぁぁーっ!」


 すれ違いざま一人の胴を斬った。崩れ落ちる兵の体。ばっと辺りに散る、鉄の臭い。


「貴様ぁ!」


 もう一人の剣が頭上から降り、剣で受けた。響く打撃音、腕のしびれ。兵は力尽くで押してくる。それに押し切られるふりをして、マルタレクスは体を横に流した。相手がたたらを踏んだ瞬間、即座に脚を斬り裂く。悲鳴が上がった。


 残る一人は大声で叫び続けていた。


「くせ者だーっ! であえ、であえーっ!」


 前方から後方から足音が響いた。駆け寄ってくる兵たちの姿。しかしマルタレクスが進むべきは前しかなかった。


 叫んでいる兵に肉薄する。すると兵は「ひっ!」と背中を向けて逃げ出した。ならばマルタレクスは追わない。


 前へ、前へと走る。やってきた先頭の兵と正面から剣を打ち合わせた。ギギッと鼓膜に突き刺さる音。


「貴様、何者だ!」


 誰何すいかの声にもマルタレクスは無言。


 瞬間力をゆるめ、体勢を崩した相手を力一杯蹴り飛ばした。後ろを巻き込み倒れる兵。そこへ剣先を向け、動きを封じる。


 ろうすべき言葉はなかった。語るべき言葉もなかった。ただ、行動で示すのみ。


「こいつっ、捕らえろっ!」


 マルタレクスは囲まれつつあった。背筋を冷たく熱い汗が流れ落ちていく。急がなければ。


 再度剣を振り上げた、その時、


「大変だーっ! グレナドーラ姫が、逃げ出したーっ!」


 背後からの声が彼らを打った。


「何っ!?」

「なんだとっ!?」


 マルタレクスも驚きに構えを崩す。兵たちはさらに動揺していた。


「第二王女は奥の地下牢にいるはずじゃないのか!?」

「誰かが逃がしたのか!?」

「俺は見ていないぞ!」


 後ろからの声はまだ続く。


「東回廊だ! グレナドーラ姫は、東の回廊から逃げようとしているぞ!」


 マルタレクスを囲もうとしていた兵の多くが、じりじりと下がった。そしてバッと向きを変え、後方へと走り出した。


「グレナドーラが先だ!」

「なんとしても捕まえねば!」


 マルタレクスの周囲に残った兵は、大幅に減っていた。


 おかしかった。グレナドーラ姫が自力で、あるいは他の者によって、脱出できるとは思えなかった。ならばあれは偽物――おとり? そんな策を、今行うのは――。


「……リーン……」


 マルタレクスの口から、友の名がこぼれた。それに反応した残る兵たちが、再び彼へ剣を向ける。彼も剣を構え直した。


 友の助けを得たのだ。ならば何があっても自分は、グレナドーラ姫を救い出してみせる――!



「ふっ、自らを刺し貫くのを選ぶか。その度胸だけはほめてやろう」


 サイルード大臣の歪んだ笑い。それを陶酔の眼差しで見つめるソニアルーデ王妃。


 大臣の合図に、控えていた騎士がさやに入ったナイフを鉄格子の隙間から投げ入れた。バチャリと湿った不快な音を立てて、床に落ちる。


 グレナは、そのナイフを見つめた。


「どうした、おくしたか。お前が選んだのだ、早くするがいい」

「そうよ、さっさとなさい。ここは気持ち悪いもの、さっさとお前が死ぬのを見届けて、私は上へ戻りたいわ」


 ゆっくりとグレナは立ち上がった。足をるようにして、落ちたナイフに近づく。グレナが動くたびグジュリと濡れたタイツが鳴る。


 そしてまたゆっくりと膝をついた。ナイフに手を伸ばし、つかむ。粗野で無骨な、獣の命を絶つための造りのそれを、きつく握って胸元に引き寄せる。グレナは残る片手で、顔を覆っていたヴェールを取った。


「さあ早く! さあ!」


 王妃が興奮したようにはやし立てている。大臣は顔中が醜い笑みで埋まっている。


 ナイフを鞘から引き抜いた。その刀身が、鉄格子の向こうの灯りを受けて、光った。


「早くおし! さあ! さあ!」


 目をき大口を開けた王妃が、大臣から離れ身を乗り出した。


 グレナはナイフを、その王妃の喉めがけ力一杯投げた。



「ぎゃあああああああ――――っ!!」


 高い絶叫。しかし、狙いは外れていた。


 ソニアルーデ王妃は喉ではなく肩にナイフを受け、その場に崩れて泣きわめき始めた。


「痛い! 痛い! 痛い! ぎゃああ、ぎゃあああ――っ!」

「ソニア! しっかりしろソニア!」


 蒼白になったサイルード大臣が妹の上に屈み、刺さったナイフに手をかけ抜こうとした。だが妹の腕に顔面を殴られる。


「嫌! 痛い! 痛い! 触らないで!」


 無事な腕を振り回し、王妃は泣き叫ぶ。肩にナイフを刺した姿で。見る見るうちにその華美なドレスが血に染まっていく。


 茫然と立ち尽くした大臣が、ふいに真っ赤な、血をかぶったように赤みどろな、憤怒の表情に変わった。怒号が周囲に響き渡る。


「この……小娘っ!! よくも、よくもっ!!」


 大臣は横にいた兵の胸ぐらを掴んだ。


「おい! この娘を引きずりだせ! 私の前に! 私自ら……叩き斬ってくれる!!」


 兵は一瞬躊躇ちゅうちょしたようだったが、大臣に激しく揺さぶられ、懐から鍵の束を取り出した。それを受け取った別の兵が、鉄格子に近づいて鍵の一つを差し込む。


 鉄格子が開いた。兵がしゃがんだままのグレナを引き起こし、鉄格子の外に押し出した。


 剣を半ば抜いたサイルード大臣が、巨大な舌で唇をめながら近寄ってくる。兵がグレナを取り押さえようと、彼女に手をかけた。


 その瞬間グレナは動いた。


 逆に兵の懐に飛び込む。相手の腰の剣、つかをつかんで一気に引き抜き、その勢いで体ごと振り向いて、迫る大臣の胸を下から斬り上げた。


「ぐぎゃああぁぁー!?」


 手応えは浅い。だが大臣は絶叫した、致命傷を負ったかのように。


 グレナは床を蹴った。騎士の一人を袈裟けさがけに斬り捨てる。倒れた先に、道が出来た。走る。


「何だ!?」

「大臣閣下!?」

「逃がすな、追えーっ!」


 交錯し、反響する声。暗がりの中で生じる混乱。その隙を突いてグレナは駆けた。

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