第2章 絡まる腕と絡める腕

第6話 兄大臣

「まこと喜ばしい! こうしてノルフィージャのお世継ぎを、我がカルメナミドにお迎えできるとは! まっこと喜ばしい!」


 恰幅のよい赤毛の男の不必要に大きな声が、会議の間いっぱいに響き渡った。顔をしかめたいのをマルタレクスはすんでのところでこらえた。


「……私も、このカルメナミドへの訪問が叶ったこと、うれしく思っています。実に恵み深い緑豊かな土地を目にして、感銘を受けております」


 コルンヘルム王子へ向かって言ったのに、男がまた不必要に口を挟んだ。


「そうでしょうともそうでしょうとも、我がカルメナミドの豊穣ほうじょうさは大陸一を誇りますからな! 大陸一の武を誇っておられるノルフィージャと、我が国が手を結べば、この大陸に敵などおりませんとも!」


 この男は大陸制覇の戦争でも起こしたいのだろうか。つい冷めた視線を投げたが、男は気にした様子もなかった。


「それではマルタレクス殿下、次の五年間の通商条約について、ご相談を始めましょうか」

「ええ」


 頷きはしたが。マルタレクスは、我が物顔に仕切っている目の前の男――大臣サイルードを注意深く眺めた。


 カルメナミドの筆頭大臣、シドヌカード公爵サイルード。王妃ソニアルーデの実兄でもあるそうだ。たしかに似ている、王妃や第一王女と、容姿や何よりその立ち居振る舞いが。


 交渉の場でサイルードはひどく饒舌じょうぜつで、しかもひどく難敵だった。交易に関する様々な議案、提案を矢継ぎ早に繰り出してくる。それらは美辞麗句に包まれてはいたが、よく聞けばかなりしたたかな、カルメナミドにとって有利な条件ばかりだった。


 マルタレクスは背中に大汗をかきながら何とかサイルード大臣に対峙していた。そういうことがよほど得意なリーアヴィンは、その場を欠席していた。


 コルンスタン王もその場にはいなかった。体調が優れないためとの説明で、それは謁見での様子を思えば当然と理解できた。しかし理解できず不審でもあったのは、王の代理として出席しているコルンヘルム王子が、まったく発言をしないことだった。


 カルメナミドの世継ぎの王子はマルタレクスの真正面に座っていた。目を伏せ、先ほどから身じろぎもしない。周囲で行われている話し合いを聞いているのかさえ疑わしかった。


 不快感を覚え始めて、マルタレクスはつい言った。


「コルンヘルム殿のご意見は、いかがでしょう?」


 瞬間、王子が赤茶の頭をね上げた。空色の瞳が大きく見開かれ、頬がみるみる赤く染まる。その過敏な反応に、マルタレクスのほうが驚いた。


「私は――」


 コルンヘルム王子の口が開く。


「私ならば、我が国からの小麦の輸出量については――」


 だがそれを遮ったのは、


「そんなことよりもですな!」


 サイルード大臣の不機嫌極まりない大声。


「貴国ノルフィージャからの馬と武具の輸入をぜひ増やしたいのですが! これはノルフィージャにとっても良い話のはず!」


 焦って大臣へ向き直ったマルタレクスの視界の隅で、コルンヘルム王子が口をつぐんで再び目を伏せた。はっとして王子の方を改めて見ても、王子はもう無反応だった。


「マルタレクス殿下! ご意見や如何いかに?」


 大臣がしきりにがなりたてるので、マルタレクスは彼との交渉に戻るしかなかった。


 そして残りの話し合いの間、カルメナミドの王子が発言しようとすることは、二度となかった。



 会議が終わった時にはマルタレクスは心底疲れ果てていた。事前にリーアヴィンに叩き込まれていた、ノルフィージャにとって確保すべき要点は、なんとか死守できたはずだった。自分一人でここまでやったのだから、副使殿からはほめ言葉の一つや二つはもらわねば気が済まなかった。


 足早に部屋に戻ろうとした彼の背中をしかし、サイルード大臣の図々しい声が引き留めた。


「ところでマルタレクス殿下!」


 マルタレクスは眉を上げた。王家の縁戚とはいえたかが一臣下に過ぎない者が、北の至高ノルフィージャの王子、しかも世継ぎを呼び止める言い方ではない。


 だがまだ多くの要人たちが残っている場所だった。内心を押し隠し、儀礼的な笑顔を作って振り返った。


「なんでしょう?」


「殿下、我が姫、いやいや、セリアルーデ姫はいかがですかな?」


 一瞬、マルタレクスは呆気に取られた。


「実に麗しい、妃にふさわしい姫でしょう!」


 ああ、本当に、この男と王妃や第一王女は似ている。この、厚顔無恥、とでも言うところが。


「……ええ、セリアルーデ姫もグレナドーラ姫も、実にすばらしい姫君です」


 もう礼儀を考える気はしなかった。マルタレクスは王子の傲慢さですぐさまきびすを返し、その場を離れた。



 彼がカルメナミド王宮での自室に戻ると、すでにリーアヴィンがいた。


「リーン、お前がいないせいで――」

「聞きましたよマルス! 私がいなくても立派に正使としての務めを果たしたそうじゃないですか! やはりあなたは世継ぎの王子として見事に成長しています。今回の使節団の正使にあなたを抜擢ばってきした国王陛下のご慧眼けいがんたるや、すばらしい!」


 怒濤どとうのようなほめ言葉の山。そこまで言われると、マルタレクスの顔はついにやけてしまう。


「そ、そうか?」

「ええそうですとも。将来あなたという国王にお仕えできることが今から楽しみです」


 友が自分を乗せようとしてわざと言っているのは分かった。それでもすっかり気を良くしてしまう辺りマルタレクスはおめでたいのかもしれないが、ふだん手厳しい「ご学友」からの賛辞はやはりうれしかった。


「うんうん、私も今回は頑張ったからな!」

「はい、おかげ様で、私のほうも思いきり調査に力を注ぐことができました」


 リーアヴィンが懐から紙片を何枚か取り出した。周囲に目をやるのを見て、マルタレクスが侍従たちに部屋から下がるよう合図をする。


「……で、お前のほうはどうだったんだ?」


 椅子に腰を落ち着け、マルタレクスは促した。


「カルメナミドの内情ですが。我が国がこれまで把握していたより、かなり深刻なもののようです」


 リーアヴィンも椅子に座った。話が長いというしるしだ。


「サイルード大臣とソニアルーデ王妃、この二人に、カルメナミドの実権は完全に牛耳られている。私はそう結論づけました」


 マルタレクスは苦い顔になってうなずいた。


「ここに来る前から、サイルード大臣の発言力がかなり大きいらしいと承知はしていたが……これほどとは」

「だからこそ私が副使になったわけです」


 リーアヴィンは紙片に目を走らせる。


「まあ、隅から隅まで、という感じですよ。農村にかける租税や商人にかける交易税の上前をはねることから、主立った都市の長の任命、司法を行う人間の指名とそれに伴う賄賂。法律はサイルード大臣がうんと言わなければ新設も改正もできませんし。あとはこの城下町での市場の開催日やら開催場所やら、当然、商人たちからの金品の付け届けはたんまりと。それから貴族の婚姻にも口を出しますし、どの城や屋敷に住むかも指定しているようです。舞踏会で令嬢たちが着るドレスの色まで指図している……と、これはソニアルーデ王妃がですが」


 聞いているうちにマルタレクスは頭が痛くなってきた。


「なんだって、そこまで一大臣、一公爵がやりたい放題してるんだ」

「どうも、この九年ほどの間にサイルード大臣が急激に力を伸ばしたようですね」


 流れる白金の髪をかきあげながらリーアヴィンは答える。


「それより前は、大臣のシドヌカード公爵家と張り合っている別の公爵家があったんです。そちらがコルンスタン国王陛下を盛り立てて、権力の釣り合いはおおよそ取れていたらしく。ところが九年前、ちょうどノルフィージャへいらした直後に、国王陛下が病に倒れられてしまった」


 王の土気色の顔がマルタレクスの脳裏をよぎった。昔ノルフィージャで会ったコルンスタン王は、健康に問題があるようにはまったく見えなかったのに。


「陛下のご病気は重いのか?」

「ご病状は一進一退だそうですが、すっかりお弱りになってしまってご政務も難しいようです。そしてこれをきっかけにサイルード大臣が猛攻勢をかけて、敵対公爵をこの王都から追い出して全ての実権を掌握してしまった、という次第です」


 そんな厄介事がこの近しい隣国にあったのか。マルタレクスは暗澹あんたんたる気持ちになった。


 近年はカルメナミドのほうがノルフィージャへ使節を送ってくることばかりだった。それはノルフィージャのプライドをくすぐることだったから、何も問題視されてこなかったのだが。カルメナミド国内の状況を隠すためだったとしたら、してやられたことになる。


「あの大臣が、ノルフィージャへ悪影響を与える可能性は?」

「可能性の一つは、つい先ほどあなたが叩き潰してくれました。この調子で今回の訪問を乗り切ってください」

「それはもちろんだ」


 マルタレクスは力をこめて頷く。


「今回以降、将来の我がノルフィージャとカルメナミドの関係については……まだ判断できませんね。サイルード筆頭大臣の行いは問題ですが、少なくともまだカルメナミドの中だけにその力は留まっています。彼がさらにそれ以上を望んでいるのかどうか――」


 もう少し調査が必要です、と副使殿は締めくくった。


 一つ息を吐いて気を落ち着ける。思考の疲れを感じ、今あれこれ考えるのは無理だと思った。少し楽にしようとして、それで急にマルタレクスは思い出した。


「そうだ、リーン。あっちも調べてくれたか? あの女性の騎士の……」

「ああ、はい、例の勇ましい女騎士殿のことですね」


 私にぬかりはありませんと言いながらリーアヴィンはまた別の紙片を取り出した。


「第二王女グレナドーラ殿下付きの騎士、アルティグレナ殿。とある姫君だか小鳥だかがわめいていたように、ボルドレッド伯爵の令嬢ですね。歳は十六で、ちょうどグレナドーラ姫と同い年。まさにうら若い娘子むすめごです」

「なぜ女性ながらに騎士を?」


 騎士の地位が高いノルフィージャでならいざ知らず、それほど武を重視しないカルメナミドであえて騎士になっている女性がいるのは、マルタレクスにとってかなりの不思議だった。


「理由として挙げられるのは、彼女がグレナドーラ姫の従姉だということですね」


 従姉? 伯爵の娘が王女の? 問い返しかけて、マルタレクスは気がついた。


「ご生母の側の縁者、ということか」

「そうです。グレナドーラ姫のご生母はアミファント子爵令嬢ハンナドーラ殿。その妹殿がアルティグレナ殿の母上だそうで」

「姫のご生母が亡くなられたのは、いつだった……?」

「九年前だそうです。グレナドーラ姫が七才の時に。それと、どうもそれとほぼ同時期にアルティグレナ殿の母上も亡くなったらしく。そしてアルティグレナ殿の父上は西の国境警備の任へ飛ばされて、この都にはアルティグレナ殿が一人残ったのだそうです」


 マルタレクスは想像してみた。母を亡くした幼い少女が二人。片方は、王女でありながら母の身分が低く、後ろ盾もない。もう片方は、立身出世の夢破れた父親が、彼女を残して遠くへ行ってしまった。


 二人の少女が肩を寄せ合い生きていこうとした姿が、見えるような気がした。


「それで、アルティグレナ殿は騎士になったのか……」


 嘆息とともにマルタレクスが言うと、リーアヴィンも頷いた。


「騎士というのがいささか突飛とっぴな気もしますが、侍女よりもむしろ常にそばにいられますからね。選択としては理解できるかと」


 しかし、女性騎士。ただでさえこの王宮で風当たりが強かろうに、さらに女性ながらに騎士とは。


 マルタレクスは、彼女の燃え上がる緑炎の瞳を思い出していた。

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