第1章 若葉の姫と緑炎の騎士

第2話 妃選び

 二十歳はたちを目前にした王子マルタレクスは、隣国カルメナミドを訪れる途上にあった。


 彼は落ち着かず、馬車の窓から外を見ていた。少し開いた窓から吹き込む風が、子供のころと変わらず短い金髪をそよがせる。彼にとってその使節団は、初めての正使を務める機会だった。


 国境を過ぎると窓から見える景色は目立って色彩豊かになっていた。木々がやわらかな葉を広げ、草がその背を高く伸ばしている。ノルフィージャではまだ冬の残滓ざんしが居座っていたのに、カルメナミドは今まさに新緑の季節を迎えていた。前夜降った雨の滴を乗せた若葉は、東からの陽光を受け燦然と輝くようだった。


 その光景はマルタレクスにとって、子供の時に一度だけ見た、あの幼い少女の瞳を思い出させた。


 あれからもう九年が経つ。あの少女、カルメナミドのグレナドーラ姫とはあれっきり、再び会える機会がなく過ごしてきた。けれどあの瞳の色を、彼が忘れることはなかった。


 これから再会する彼女は、どんな娘になっているだろう。マルタレクスは想像する。きっと朗らかに笑う、明るい娘だろう。ドレスの裾を翻して軽やかに歩き、きっとダンスも上手だろう。そしてヴェールの下には、美しく成長した容貌があるに違いなかった。今、窓から見えている若葉のように、生命力にあふれて煌めく瞳を持った、美貌が。


「きれいな、若葉だ……」


 呟いた言葉を、同乗のリーアヴィンが拾ってあからさまに眉を上げた。


「なにぼーっとしてるんですか、マルス」


 リーアヴィンは膝の上だけでなく座席にまで書類を広げ、なにやら熱心に読み書きをしていた。のんびり優雅に座っているだけのマルタレクスが正使で、リーアヴィンが副使なのだが、端目には逆に見えるかもしれない。


 背の半ばまでの長い白金の髪に、ノルフィージャでもやや珍しい紫の目、白皙の細面。リーアヴィンのほうが高貴な王子に、見えないこともなかった。


「ぼーっとなんてしてないぞ、私は私なりに、今回の使節の目的を考えてだな……」


 マルタレクスはなんとか言いつくろおうとしたが、


「はいはい、あなたの目的であるところの、『若葉の姫』のことを考えていたんですね」


 完全に切り捨てられ、思わず赤面するしかなかった。「ご学友」として子供のころから共に過ごしたリーアヴィンは、マルタレクスが考えていることを常に正確に読んでくる。


「使節団の目的でもあるじゃないか。なにしろ今度のカルメナミド行きは……」


 ここで口ごもった彼をリーアヴィンは冷ややかな目で見て、言葉を継いだ。


「あなたの妃選びが目的ですからね」


 はっきり言われて、マルタレクスはさらに赤面して絶句する。リーアヴィンがため息をついた。


「ああもう、ノルフィージャの世継ぎの王子ともあろう人が、もっと堂々として下さいよ。あなたは我が国の威信を代表するんですからね?」

「そ、それは分かっている……」


 もごもご、と返す。今回の親善使節は、ノルフィージャの王子マルタレクスの妃をカルメナミドの二人の王女のうちから選ぶためのもの。それが、両国の暗黙の了解だった。


 リーアヴィンは膝の書類を軽い音と共にまとめる。


「まったく。初恋の姫君の思い出というのは、そんなに大事なものですかね」

「それは! もちろんだ!」


 赤い顔のまま、マルタレクスは身を乗り出す。


「お前はあの頃まだ王宮に上がってなかったから! あの姫の愛らしさを知らないから、そんなことが言えるんだ! いいか、若葉の姫はな、とっても素直で、何にでも感心してくれて、何にでも喜んでくれて、私のことも……」

「はいはいはいはい、それは何度も聞きました」


 ずいっと友の掌が、マルタレクスの目の前に突き出された。


「で、姫の美しい若葉のような瞳を知っているのは、ノルフィージャではあなただけなんでしょう?」

「そうだ!」


 渾身の力を込めてマルタレクスは頷く。リーアヴィンはまたため息をついた。


「まったく。初恋の思い出というのは美化されがちだそうですからね。あまり期待を膨らませないべきです。女性というのは、変わるものだそうですよ?」

「そんなこと、知ったことか。若葉の姫に限ってそんなことはない」


 何の根拠もなくマルタレクスは断言した。やれやれと言わんばかりに友は肩をすくめる。


「それと……カルメナミドが乗り気なのは、若葉の姫こと妹姫ではなくて、姉のセリアルーデ姫との縁組みなこと、忘れないでおいてくださいね」


 つい苦い顔になったマルタレクスをよそに、リーアヴィンは続ける。


「ちなみに、昔のセリアルーデ姫の印象はどんなだったんです? あなたから彼女の話を聞いた覚えがないのですが」

「一言で言えば、最悪だ」


 即答した。さすがにリーアヴィンも苦笑して、髪をかき上げる。


「女性というのは変わるものだそうですよ?」


 同じことをもう一度繰り返してから、さらに、


「私としては、どうしてカルメナミドが姉姫ばかりを推してくるのかが気になるんですけどね。そもそも今回の妃選び、急かしてきたのはカルメナミド側だったわけで」


 マルタレクスは深く頷いた。本来、まだ二十歳にもなっていない王子が、急いで妃を娶る必要はなかった。ノルフィージャ王室もマルタレクス自身も、あと数年は先の心づもりだったのだ。それを、カルメナミド側が是非にとしきりに求めてきた。


 カルメナミドが急ぐ理由は、ある程度の見当はつく。上の王女セリアルーデの年齢だ。セリアルーデ姫はマルタレクスよりも六才も年上、すでに二十五才である。


 カルメナミドでもノルフィージャでも、女性のほうが男性より年若いうちに結婚することが多い。政治やらの事情が絡む王女であればなおのこと、幼いと言える年齢で婚約してしまうこともある。それを考えれば、カルメナミド王室としては焦っても当然だろう。


 リーアヴィンはやや声を潜めて言った。


「年齢の釣り合いでいえば、妹王女のほうがあなたにふさわしい。というより、どうして姉王女がまだ嫁いでいないのかが気になりますね」


 隠しきれない暗雲。それが湧き上がっていることを、マルタレクスも認識せざるをえなかった。


「……ノルフィージャとカルメナミドの間に、変な約束があるとは聞いてないぞ」

「ご安心を。私も聞いていません」

「大丈夫なんだよな?」

「だからそれが分からないと言っています、先ほどから」


 マルタレクスは、淡々として冷静すぎる友をうらめしくにらんだ。


「お前な……私の身にもなってみろ」

「どうやってなれと言うんです、子爵の次男坊ごときの私が、北の至高ノルフィージャの世継ぎの王子に」


 わざとずらして答えられているのは、よく分かった。


「私にできるのは、副使として、あなたとノルフィージャ王国にとっての最大の利益を追求することですよ」


 そしてリーアヴィンは新たな書類を取り出し始めた。


「……期待しているぞ?」


 マルタレクスの念押しに、友は黙って余裕の頷きを一つ返してきた。それを見て、仕方なくマルタレクスは呟く。


「ともかく、カルメナミドに着いてから、か……」


 彼は再び窓の外へ目を向けた。そこには変わらず光り輝く景色が広がっていた。だが彼にはそれが何故か、突然よそよそしいものに変わってしまったように感じられた。

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