第22話 行動
国から国へ正式に派遣された使者は到着後すみやかに訪問国の王に謁見する。それが多くの国の間の不文律。しかし使者リーアヴィンがカルメナミドに到着した時はその定めが破られた。夕刻に着いた使者の一行はいきなり、いくつかの部屋に押し込められた。
皆、旅装を解いて他国王宮に滞在するにふさわしい服へ着替えはしたが、そのまま何もできずに部屋でじっとしているしかなかった。当然のごとく使者様と下々の者では入れられた部屋が違い、マルタレクスは何も情報を得ることができなかった。
「あの、どういうことなんでしょうか?」
ただ事態の変化を待つことなどできず、彼は同じ部屋にいる一番格上の者へ疑問をぶつけた。食ってかかったに近い。相手は不作法な下っ端の青年をじろりと見たが、
「分からん。そのうちにリーアヴィン様たちからご説明があるだろうが……」
「でも、なんだかひどくきな臭い感じがしませんか?」
マルタレクスはしつこく食い下がった。王宮へ足を踏み入れた瞬間から感じた、緊迫した空気。そこかしこに数人ずつ固まる侍女や兵士の姿。慌ただしく駆けていく騎士たち。もはや勘ですらなかった。何か大事が起きている。
腕組みをした男は口の端を歪めた。
「まったくだ。こんなぐらぐら安定しない国は、我らがノルフィージャが平らげて
マルタレクスはそれには同意できなかったが、表情へ出さないようにした。代わりに思い切って言ってみた。
「その、リー……アヴィン様のお部屋まで行って、様子を伺ってきてもいいですか?」
ふむ、と男は少し考える素振りをした。周囲が少しざわめき、控えめな賛同の声が起こる。不審と不安は程度の差こそあれ皆感じているらしい。
「……いいだろう。お邪魔にならないようにするんだぞ」
許可をもらうや否やマルタレクスは駆け出した。
「おい、剣は置いていけよ」
追いかけてくる声があったがあえて無視しし、剣を腰に下げたまま部屋を飛び出す。
部屋の外にいた兵士――あるいは見張りなのかもしれない――が驚いたようにマルタレクスを見た。彼も一瞬ひやっとしたが、主である使者様に会いたいと説明すると兵士はすぐに斜め向かいの部屋を指さした。
その部屋の扉を叩き中へ入れてもらう。リーアヴィンの姿は部屋の奥、さいわい扉の方を見もしない。マルタレクスは急いで
「あの、お伺いし――」
だが割り込むようにまた扉が叩かれた。彼を制して、従者が
「サイルード筆頭大臣閣下よりの使いであります」
マルタレクスは思い切り扉を振り返った。他の従者たちも一様に動作を止めて扉に注目する。
その使いとやらはただちに部屋に招じ入れられた。衝立のこちら側、マルタレクスも従者たちもじっと沈黙し、聞き耳を立てる。
「これは、どうしたことなのでございましょうか」
リーアヴィンのゆっくりとした声が聞こえた。
「旅の疲れを
とても丁寧で丁重な物言い。だが友がそんな話し方をするときは、いわば跳躍のために体を強くたわめているときなのだと、マルタレクスはよく知っていた。
「残念ながら、使者殿。それはできません」
使いの者の居丈高な声。リーアヴィンの
「現在この王宮内は特別な警戒の下にあります。なぜなら、なんと恐れ多くもお世継ぎコルンヘルム王子殿下の毒殺を図りおった、大罪人がいたのです」
衝立の陰でマルタレクスは驚きに目をみはった。コルンヘルム王子を? グレナドーラ姫ではなく?
「なんと、それは一大事です」
落ち着き払ったリーアヴィンの声がする。その平静さをマルタレクスが疑問に思う間もなく、友は言葉を続けた。
「それでコルンヘルム王子殿下はご無事なのですか?」
「はい、我々にとって大変幸いなことに、
マルタレクスは胸を撫で下ろした。将来隣国の王となる彼にとっても、あの世継ぎが死なずに済んだのは幸いと言えた。
一方、リーアヴィンは続けた。
「では、その謀反人というのは、誰かもう判明しているのでございましょうか?」
「はい、すでに捕らえております」
得意げな使いの声。
「第二王女グレナドーラであります」
マルタレクスの心臓が、止まった。
次の瞬間、死にものぐるいで駆ける馬の群れのごとく、血潮がすさまじい勢いで暴れ出す。それ以降の、冷静そのものの友の声、得意満面の使いの声は、耳を素通りしていくに等しかった。
「そうですか、それは残念でございます」
「このような次第でありますので、国王陛下との謁見はしばしお待ちを。数日のうちに事は終息すると思われます。なにしろすでに大罪人は捕らえられ、その罪も明白でありますから」
「心得ました。お伝えいただき、感謝いたします」
「では私はこれで」
使いの者が部屋を出ていく音がした。とたんに室内が話し声であふれかえる。興奮した囁き声、慌てふためいた大きな声。誰もが興奮していた。
その中で、マルタレクスは凍り付いていた。心臓と、そして頭の中だけが、めまぐるしく疾走している。
甘かった。サイルード大臣やソニアルーデ王妃がどう出るか、予測してしかるべきだった。
カルメナミドの使用人の、グレナドーラ姫を見る目が変わった、それにリーアヴィンが気づいた。同じことにあの王妃や大臣が気づかないはずがない。そうしたら、どんな行動に出るか。
自分は何も分かっていなかった。自分の行動が、グレナドーラ姫を、こんな危険に追い込んだ。
マルタレクスは歯を食いしばった。
考えろ、考えるんだ。後悔も自己嫌悪も、すべて後だ。後でいくらでも
だから今は、考えるんだ。どうすればグレナドーラ姫を救えるか。
みしり、と彼の口の奥で音がした。奥歯が砕ける音だった。
騒然としている使者様の部屋を、マルタレクスは静かに抜け出した。彼に注意を払う者は誰もいないようだった。
廊下に立ち、今度は見張りの兵に尋ねずに当て勘でいきなり扉の一つを開いた。中にいた者がびっくりして振り返ったが、マルタレクスはざっと部屋の中を見回し
「リーアヴィン様のご命令で、物を取りに来ました」
マルタレクスが堂々と言うと、荷物の番をしていた男は疑う様子もなく箱の山の一つを指した。
「それなら、リーアヴィン様のお荷物はこっちだ」
「これですね。あと、カルメナミドの皆様への贈り物は?」
「ああ、それはあっち」
別の山が指さされる。ありがとうございますとマルタレクスは言って、ためらうことなく箱を開けていく。順繰りに開けて探し物をする振りをしていると、荷物番の男は退屈したようによそ見をし出した。
その隙を狙って、マルタレクスは自分の剣を腰から外した。箱にあった
「見つかりました」
「おお、そうか。ご苦労さん」
マルタレクスは布でくるんだ剣を捧げるように持っていた。布は金糸銀糸で刺繍がされた、見るからに上等で高価な物。そんな布でくるまれているのはカルメナミドの貴人への贈り物に違いない、ように見えるだろう。
のんきに手を振る男に見送られて、マルタレクスは荷物の部屋を出た。すかさず彼を見てくる見張りの兵へ、まっすぐに歩み寄る。
「コルンヘルム王子殿下への献上品でございます」
手に持った物をうやうやしく兵士に示した。
「お見舞いの意味も込め、お届けするように仰せつかりました。案内をお願いできますでしょうか」
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