後輩と先輩

姫崎しう

Each of the position

 高校の通学路の脇にある小さな公園。


 錆びついて鎖が茶色く変色したブランコと色あせた木製のベンチが、橙の光に照らされて長い影を地面に落としている。


 ブランコの上には制服を着た少女が腰を下ろしていて、支柱の隣に同じく制服姿の少年が立っていた。


「毎日毎日、先輩も飽きないですね。


 そろそろストーカーって事で学校か警察に連絡していいですか?」


「君が部活に入ってくれるというなら、喜んで追いかけるのは止めるよ」


「入る気はないので、明日学校に報告しますね」


 少女がきっぱりと言い放つのに対して、少年は慌てたように腕を振る。


「待ってくれ、中学時代全国のトップに立った君が入部してくれたら、部の皆が助かるんだ」


「わたしは吹奏楽を辞めたんです。四月にも言ったんですけど、忘れたんですか?


 それに人数も足りているはずですし、たしか先輩ってわたしと同じパートでしたよね」


「ああ覚えているし、同じパートだからこそ君の実力はよくわかるよ」


「それはありがとうございます。では、さようなら」


 立ち上がった少女は感情の篭っていない礼をした後で、公園の出入り口の方を向いた。


 歩き出そうとする少女の肩を少年が掴む。少女は足を止めて、鬱陶しそうに溜息を吐いた。


「なんですか?」


「まだ話は終わってない」


「わたしとしてはもう終りました。大体、先輩って今日も部活ですよね?


 こんなところで油を売っていないで、部活していた方が良いんじゃないですか?」


「僕が練習しても意味がないんだよ」


 少年がぽつりと漏らした言葉が興味を引いたのか、少女は耳を欹てる。


 自分と違い才能があるにもかかわらず、やる気を出してくれない少女に対して、堰せきを切るように少年から言葉があふれた。


「小さい頃から音楽が好きで、楽器をやってみたいと思っていた。親に頼んで練習用の楽器を色々と買っても貰ったんだ。


 中学の時に吹奏楽の演奏を聴いて、僕も演奏する側に回りたいと心が震えた。


 だから必死に勉強して吹奏楽部がある高校に入学して、ようやく演奏者としてステージに立つチャンスを手にしたけれど、僕には才能がなかった」


「先輩に才能がない事と、先輩がわたしに付きまとう事とどう関係しているんですか?」


「才能があるのにやらないのはもったいないんだよ。才能がない人間だっているのに、持ち腐れているなんて。


 僕は自分の事は諦めて、出来る人の手伝いをすることにしたんだ。だから君は……」


「先輩は自分の身を削ってまで、他の人のために頑張ると決めたんですね。


 わたしには出来ないので、素直に尊敬できます」


 少女の反応に少年は光明を感じたのか「だったら」と勧誘を再開しようとする。


 しかし、少女の目には軽蔑が浮かんでいた。彼女の圧力に負けたのか、少年は閉口する。


「で、先輩が言いたかったことはそれで全てですか?


 先輩は『部の皆が助かる』って言いましたよね。


 わたしが入部したら、わたしも『部の皆』の一員になるんですけど、わたしはどう助かるんですか?


 別にやりたくもない楽器を演奏させられて、部活に行く事で時間を奪われて。


 わたしに何かメリットがあるんですか?」


「……全国のコンクールで賞を取れたら、進学にも有利になる」


「いま適当に考えましたよね。必死に勉強しないとこの学校にも入学できなかった先輩と違って、わたしは勉強できるのでメリットって程じゃないです」


 後輩に煽られる屈辱に少年は取り乱しかけたが、言い返す言葉も見つからず奥歯を噛みしめた。


 少女は少年の心情を分かったうえで、まるで毒のようにじわじわと追い詰める。


「先輩は自分は才能がないと言いますけど、だったら才能があると言われる側の人間の気持ちを考えた事はありますか?


 才能がないと諦めた人達から妬まれ、どんな言葉も嫌味にしかとられない人間の気持ちを考えた事はありますか?


 才能があるんだから多少の嫌味くらい仕方ないとか考えたんじゃないですか?」


 夕方と夜の狭間に肌を撫でる冷たい風のように少女の声は冷静で、少年の心を突きさしていく。


 少女に返す言葉を、少年はもう探す事すらせずに、一刻も早く少女の気が収まる事を祈っていた。


「今日にいたるまでに先輩はわたしに対して『こんなにも頼んでいるのに、どうして入部してくれないんだ』と考えた事がありますよね?」


 少年が答えないので少女が語尾だけ繰り返すと、心当たりのある少年はゆっくりと頷いた。


 少女は満足そうに、同時に嘲るように、笑う。


「『わたしからしたら、こんなに断っているのに、どうして諦めてくれないんだって感じですよ』……と返ってくると思っているんだとしたら、先輩は甘いですよ?


 先輩は能動、わたしは受動。先輩は止めようと思えば止められますが、わたしは先輩が諦めるまで繰り返しです。


 前提条件も全然違いますよね。先輩は自分がしたい事の為に、時間がとられる事を分かったうえで、自分の予定を調整することが出来ます。


 ですが、わたしは急に時間が奪われます。仮にも先輩ですから邪険には出来ません」


 少女は一度区切って、明るい声を出す。


「わたしも先輩と同じで、高校に入学したらやりたかったことがあるんですよ」


「それはなに?」


「クラス友達と学校帰りに遊んだり、寄り道をしたり、言ってしまえばなんてない事です。


 ですが、中学時代に吹奏楽漬けだったわたしには出来なかった事です。


 とは言え、高校になっても叶わぬ夢になったんですけどね。友達と遊ぼうとしても、邪魔してくる人がいますから。今では距離を置かざるを得なくなっています。


 わたしの高校生活を台無しにしてくれた先輩は、それでも勧誘しますか?


 それとも謝りますか? 謝ってどうにかなると思っていますか?」


 完全に意気消沈した少年は力なく「でも、どうしたら」と呟く。


 少女は作戦通りとばかりに、その顔によく似合う悪戯っぽい笑顔を見せた。


「先輩、わたしは放課後に遊びたいんですよ」


「……分かった。君の気が済むまで付き合うよ」


「先輩話が分かりますね。じゃあ帰りますから、わたしの鞄持ってください」


 学校指定の手持ち鞄を投げて渡した少女は、少年に背を向け歩き出す。


 少年は言いたいことをすべて飲み込んで、少女を追いかけた。

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