楽器について(後)

 時々昼休みも10分でいいのにと思うことがある。

 多分このことを口にしたら、クラスのほとんどの人が反対するだろうけれど、幸い私に口にする相手がいない。

 なぜ昼休みが10分でいいかといえば、ご飯を食べたあと特にやることがないからだ。


 生比奈さんが相手をしてくれることも多いが、渡り鳥のごとくクラスの女子グループを転々としているので、いつもいてくれるとは限らない。

 一人になった私は特にやることもないので、自分の席で目立たないように本を読むか、楽譜を広げるかしていた。


 今日も一人の日。何回目かのため息をついて、楽譜に目を落とす。

 今更見なくても演奏できる曲のもので、たくさんの書き込みで真っ黒になっていた。


「後野さん」


 ふと私の名前が聞こえた。クラスの誰かが噂しているのだろうか。

 どんな噂なのか気になるところだけれど、良いうわさじゃないと思うので、出来れば聞こえないように話してくれないかなと思っていたら、もう一度今度はもっと近くで「後野さん」と呼ばれた。


 自分が話しかけられているのだと気が付いたのはその時で、顔をあげて声の主を探したら、吹田さんが緊張した面持ちで私を見ている。驚いたのはこちらなのだけれど。


「吹田さんごめんなさい。どうしたの?」


「あの、後野さんって今でも演奏するんですか?」


 吹田さんの視線が楽譜に向いている。もしかして、先輩の勧誘が吹田さんに移ったのだろうか。

 もしも、先輩に言われて嫌々やってきたのだとしたら、後でお仕置きだなと益体ないことを考える。

 考えている余裕はないはずなのだけれど、どうにも頭が追い付いていない。


「家ではね。別に楽器が嫌いになったってわけじゃないから」


 むしろ、一人で演奏するようになって楽しくなったとすら感じる。

 のびのびと自分のやりたいことができることや、周りからの期待やプレッシャーがないからかもしれない。


「よかったら、吹奏楽部で指導してくれませんか?」


「ごめんなさい。私、部活としてやる気はないから」


「いえ、入部しなくていいので、気が向いたときに遊びに来てほしいななんて思いまして」


 所詮私も同じ学生なわけだし、部には私よりも歴が長い先輩がいるだろう。

 私を呼ばなくてもと思うけど、もしかしたら、現状を打破するきっかけになるかもしれないという期待もある。


「じゃあ、気が向いたら遊びに行かせてもらうね」


 迷った挙句にこう返したけれど、考えてみたら先輩がいるのか。普段先輩がどんな感じなのか気になるし、思いのほかにすぐに気が向くかもしれない。


「ありがとうございます。その時には一度声をかけてくださいね。案内しますから」


「うん。ありがとう」


 吹田さんを見送りながら、どうして吹田さんは敬語だったのだろうかと考えていた。

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