18

 雨脚が強まる中、会話なく僕らは作業を続けた。

 眠気が押し寄せて間違えるはずのない作業を幾度か失敗して情けない気持ちになった。 

 窓の外は未だに暗く、雨水の打ち付けるガラスの向こうで稲光が光った。明るくなる予兆は微塵もない。

 先輩がせっせと作業しているため、出荷用のコンテナはかなりの数になっている。もう十分働いたと思うのだけれど、まだまだ夜は明けない。

「休んでていいよ」

「いいえ、先輩だけにやらせておくわけにはいきません」

「そう言ったって、さっきから立ちながら寝てるじゃん」

「今は起きてます!」

「いいや、お前は寝てるよ。夢を見ているんだ」

「夢? 変なこと言いますね」

「へっへっへ」と先輩は笑う。

「気づいちゃったよ、これ夢だ。去年の夏にやったバイトの記憶と同じ」

「何言っているんですか、これが夢なら、どうして僕はこんなに眠いのか」

「それはムツが去年そんな感じだったからだよ。お前、今みたいに立ちながら寝てたからな」

「そんな馬鹿な」

「いいや、わたしはしっかり覚えてる」

 先輩は手に持った缶詰とラベルシールを無造作に投げ出し、その場に胡坐をかいて座り込んだ。

「あーあー、お金貰うために頑張ったのに夢だったとは。とんだ無駄働きだ」

 そうか、これは夢なのか。

 じゃあ無理に起きている必要もないわけだ。いや、寝ているのだから眠る必要もない。ならばこの眠気はどうして晴らせばいいのか。

 考えようにも頭がボンヤリして堂々巡りを繰り返すだけだった。

「なんか懐かしいな、ムツは去年の事覚えてる?」

「そりゃ一年前の事なんて忘れませんよ」

「じゃあ、この夢は何日目のバイトか言えるか?」

「一日目です。あのコーヒーの苦さは忘れません」

「ははは、よかった飲まなくて」

「卑怯者め」

「いひひ」

 僕もその場に腰を下ろして、そのままごろんと横になる。すると先輩が僕を呼んで膝をポンポンと叩くので、僕は這い寄って先輩の膝枕にあやかった。

「ムツは三日で辞めちゃったから知らないだろうけど、缶詰のシール貼りもやったんだよ」

「え、そうなんですか?」

「うん、イレギュラーな仕事だったらしいけど。あとはカタログのシール貼りとか、小包の仕分けとか」

 去年の工場内アルバイトは、僕が三日で音を上げて行くのを止めてしまったけど、先輩はカメラを買うために一週間通しで働いた。

 最終日の帰りにそのまま電車に乗って都心へ出向き、その日のうちに念願の一眼レフを手に入れたのだ。午後に帰ってきた先輩はうちに来て、今まさに眠りにつこうとしている僕を引っ叩いて臨海公園へ連れ立った。

 ほんの一年前の事なのに、随分昔の事のように思えた。

 天井のセンサーが動くものを感知できなくなったため、作業場を照らしていた照明が消える。真っ暗になってようやく窓の外がほんの少しだけ明るいように見えた。

「こういうのんびりした夢もいいけど、せっかくだからもっとド派手なやつがいいな」

「強く望めばきっとそうなりますよ」

「なるほど、わたしの夢だもんな。しかしそうなると、はてさてどうしたものか」

 先輩が「うーん」と唸ると、突然真っ赤な回転灯の光が回りだした。火災報知機がジリリリとけたたましく響く。そして「施設内に侵入者あり、工員は直ちに避難されたし」と物々しいアナウンスが入った。

「先輩、何を想像したんですか?」

「このシチュエーションを生かすには、やっぱり銃撃戦だろ。ダイ・ハードみたいな」

「なんてことを!」

「ほら、何か武器になりそうなもの見つけて来い。わたしたちも脱出するぞ、命からがらに」

 先輩は僕の額をぴしゃりと叩き、立ち上がった。

 同時に爆炎が締め切っていたシャッターを吹き飛ばし、周囲の気温は燃え上がるように上昇する。

 炎の向こうに作業服姿の工員たちが逃げ惑う姿が見えた。

「急げ!」「あきらめるな!」「必ず生きて帰るぞ」など、お約束ともいえる台詞の応酬になんだか笑えてきた。

 緊迫した状況にもかかわらず、ここにあるのはアクション映画のリアリズムだ。今ならカンフーで敵をやっつけられる気がする。

「ちくしょう、缶詰強盗なんかにやられてたまるか!」そう叫んだ一人の工員がスパナ片手に立ち向かおうとするがマシンガンの銃声に倒れ爆炎の中に消える。そして自動小銃を持った子悪党たちが僕たちのいる作業場へ踏み込んできた。

 バンダナで顔を隠したスラムのギャング風の悪漢たちは僕らに向けて容赦なく発砲する。放たれた弾はひゅうと空気を切り裂いて床や機械に当たり火花を散らして跳弾する。

「ムツ、戦うぞ!」

「戦うって、武器なんてないですよ」

「これで十分だ」

 先輩は手元にあった缶詰を手に取り、悪漢めがけて投げつけた。

 それはコンッと甲高い音を立て悪漢の顔面にぶち当たり、床へ沈めた。

「いける! ムツもやれ、わたしたちで倒すぞ」

「逃げるんじゃないんですか?」

「四の五の言うなって!」

 僕も一緒になって缶詰を投げた。向こうの銃弾は当たらず、僕らの投げた缶詰だけが恐ろしい速さで相手の顔面を捉え、次々に倒していく。

「缶詰が欲しけりゃくれてやるぜ!」先輩が叫んだ。すると原因不明の爆発が起きて悪漢を天井まで吹き飛ばす。先輩は無敵だった。


 あっという間に敵をやっつけた僕らはハイタッチで戦いを締めくくった。

「思ったよりあっけなかったですね」

「お前は映画ってものを分かってないな。雑魚があっけなくやられたら、次は宿敵が現れるってお決まりだろうよ」

「ほれ」と先輩が指さす方を見ると、立ち上る炎の向こうに陽炎に揺られる真っ黒な人影がある。そいつは襟を立てた茶色いトレンチコートに中折れ帽を目深にかぶった出で立ちで、熱風を寄せ付けない冷徹さを身にまとっている。

 こいつは事あるごとに僕を夢の中に突き落した、あの三人組の一人だ。間違いない。

「よし、こいつもこれで」と先輩は缶詰を手に取った。

「待ってください先輩。さっきと同じようにはいきませんよ」なんて事を口走って本当に自分も映画の登場人物になったような気がしてしまった。

「わたしは無敵だぞ!」

 先輩は振りかぶって缶詰を放った。しかしそれは銃弾によって弾き返されてしまう。コートの男は無駄だと言わんばかりに、手に持ったドラムマガジンのトンプソンサブマシンガンを掲げて見せた。そして黒光りする銃口をこちらに向けて狙いも定めず打ち鳴らす。

「先輩! 頭下げて」

「うわぁ!」

 出荷用のコンテナの陰にしゃがみ込んだ。幾多の銃弾が頭上を飛び、撃ち抜かれた缶詰から甘ったるいシロップが頭に滴ってきた。

「なんで効かないんだ」

「あれは先輩の想像の産物じゃないってことです。もちろん僕のものでもありません。なんかよくわからない奴です」

「じゃあどうすりゃいいんだよ!」

「逃げるしかないでしょう!」

 コートの男は本当に狙いも定めず右から左へ、左から右へマシンガンを撃ち続けた。銃口が僕らの居る場所から離れる一瞬の隙をついて階段へ避難する。

 しかし息をつく間も与えず追いかけてくるコートの男。

 打ち鳴らされるマシンガン。

 飛び交う銃弾。

 訳もなく起きる爆発。

 熱風に背を押されながら僕たちは逃げ惑った。それはもう命からがらに。


 

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