14
寝る前にセットしておいた携帯のアラームが鳴っている。
午前十時。今日は早く起きて脚本を書いてみようと思っていた。過去を払拭したわけではないが、大森のモチベーションに触発され、何でもいいから書いてみようと思った。訳が分からないと言われてもいい、それが僕の全力なら仕方ない。とにかく書くことでしかこの状況は変えることはできないだろう。結局、才能の有る無しなんて関係ない。やるか、やらないかだ。
起き上がると体の節々が痛んだ。体が重い。
痺れた足を引きずりながら、どうにか携帯を拾い上げてアラームを止め、ノートパソコンの電源を入れた。
ライティングソフトを起動させて、何の準備もしないでキーボードを叩き入力を始める。恐ろしいほど鮮明に焼き付いている、あの夢の出来事を、一つ一つ書き出していく。訳が分からないと言われて当然だ、僕にも何の事だかわからない。ただ、忘れないように書いておく必要がある気がした。
考えるわけではなく、思い出すようにして書くことは初めてだった。脚本としてではなく、小説のように、誰かに説明するような気持ちで僕は作業を続けた。手が止まることはなく、驚くほどのペースで書くことができた。
時折やってくる眠気に負けず、僕は作業を続けた。
昼過ぎになって携帯が鳴る。大森からのメールだった。
手を止めて見てみると「入院した」とそれだけの文面だった。
急いで大森に電話をかけてみたが出なかった。入院しているなら病室で通話をすることはできないのかもしれない。オロオロしていると再度携帯が鳴った。しかし大森からではなく藤田からの着信だった。
「ムー君、おはよう」
のんびりとしたいつもの調子だった。
「藤田か、大森が入院した!」
「うん、知ってる。今病室にいるし、救急車呼んだの僕だしね」
藤田から大森の病状と入院した病院の場所を聞いて、僕は家を出た。
心配する気持ちは消え去り、どうやって大森をからかおうか考えていた。
病院は歩いて行ける範囲にあった。
この街には生活に必要なものが何でも揃っているようで改めて感心した。足りないのは映画館くらいだ。
受付を済ませて病室へ向かう、大部屋の窓際に藤田の姿があった。
「よう」と声をかけると、本を読んでいた藤田が振り向き「おっす」と小さく手を上げた。ベッドに横たわる大森が眉毛を上げて挨拶をした。
まだ手術の傷が痛むらしく、声を出すのは辛いそうだ。
術後の痛々しい姿を見て、僕は笑いをこらえきれず噴き出した。
大森の病名は盲腸だった。
盲腸の激痛を、ストレスで胃が痛んでいるのだろと思い違いをして、そのまま一週間あまり、痛みを耐え続けていたのだ。
「胃が痛むって言ってたから、ついに血でも吐いたかと思ったよ。おまえ、根性あるな」
大森は苦々しい顔でにやりと笑って見せた。
「僕は何も知らなかったから、単純に驚いたね」
大森は身の内に潜む激痛の種と向き合う最中、新しい脚本を思いついた。
それはごく普通の男がひょんなことから怪物に寄生されてしまうという話で、男は体内で成長していく怪物をどうやって退治するか考え、様々な策を講じるといった内容らしい。グロテスクでスプラッタな映画にする予定だったそうだ。そこでさっそく藤田に声をかけた。
藤田は美術専攻に属する同期の男で、ナイフや銃火器等の武器をこよなく愛する軍事マニア。部屋はモデルガンや摸造刀のコレクションで埋め尽くされ、それらは学校で身に着けた制作技術により自作した特製の棚に丁寧に飾られている。それらが狭い部屋の大半を占めているので、まるで武器庫のようなっている。藤田はそんな部屋に嬉々として住んでいる変人だ。
モデルガンや摸造刀は撮影の小道具として活用することが多く、本人はそれを誇りに思っている節があった。コレクションを見せびらかすまたとない機会だとでも思っていたのだろうか。
銃の取り扱いについて藤田が役者に演技指導することが多々あり、そういった趣向の撮影には重宝する人物だ。そんな現場を渡り歩いているうちに藤田は血糊の使い方や傷、内臓などのグロテスクな特殊メイクの技術にも明るくなり、学校内ではかなり特殊な地位を築いている。
大森は次回作の美術を藤田に頼むつもりで家に呼んだのだが、作品のイメージを伝えている最中に痛みに耐えきれず倒れたのだという。
「急に悶え始めるから、なんで演技指導を始めたんだろうって思ったんだけど、しばらくして動かなくなっちゃって、ああ、これは本気で痛がっているんだなあって思って救急車を呼んでみた」
抑揚の無い早口でそう説明すると、藤田は笑いながら本に視線を落とした。
「前作はもういいのか?」
大森は力なく小さくうなずいた。
「まあ、まずは元気になることだな」
「ああ」と振り絞るような返事が返ってきた。
昨晩の緊急入院で何の準備もしていない大森のために、僕と藤田は大森の家へ向った。そこで入院中に必要な着替えを適当な鞄へ詰め込み、道すがらコンビニで消耗品を揃え、再び病院へ戻った。
病室へ入ると、大森がベッドの上で不満そうな顔をして僕らを出迎えた。消え入りそうな声で「タバコは?」と聞いた。
「いい機会だから禁煙しろ」
「辛いなあ」
「これで気を紛らわせておくといいよ」
藤田はコンビニで買った小さなルービックキューブを手渡した。
大森は手の内にあるそれをじっと見つめて動かなくなった。
特にやることもなかったけど、何となく病室に居ついてしまい、すっかり夕暮れ時になっていた。
藤田は夜勤のバイトに備え仮眠を取るべく帰宅し、僕と大森は大量に買い込んできた雑誌を読み漁っていた。
突然「六津木は帰らなくていいのか?」と大森が聞いてきた。痛み止めの薬が効いているらしく、割と元気な声だった。
「帰ってもいいし、帰らなくてもいい」
「暇人かよ」
「うるさい、病人」
「こんなところで油売ってないで小坂を探しに行け。俺は作品のイメージを固めたい」
「探すって言ってもなあ」コンビニの袋から三色ボールペンと大学ノートを取り出して渡した。大森は礼も言わずにノートを開き何か書き込み始めた。
「人生は短い、己の使命と向き合うのだ」
「どうした、麻酔の副作用か?」
「違う、俺は実感したんだ、生命の儚さを。麻酔で薄れゆく意識の中で俺は生まれて初めて自分の死というのを意識した。なんていうか、凄いリアルに。
このまま目を閉じてしまったら二度と目が覚めないんじゃないか、そう考えたらとても恐ろしくなった。もし手術が失敗していたら俺はあの闇に置き去りにされていたに違いない」
「たかだか盲腸だろう。大げさな奴だ」
「盲腸を馬鹿にする奴は盲腸に泣け!」
「泣いていたのはお前だろうよ」
「そうだった。俺は泣いた。おお、生きているとは素晴らしい!」
本当に薬の副作用ではないかと心配になった。
「次回作は長編にする。モンスターに寄生された男が生きるために尽力して人生を取り戻す感動作だ!」
「そ、そうか。期待してるぞ」
「おう、六津木も書け、ついでに小坂も探せ」
「……そうだな」
「そういや俺、走馬灯は見なかったぞ」
「そりゃ盲腸だし」
「神様に会ったらガツンと言ってやろうと思って……」
大森の顔が浅黒く染まっていく。
「大声出すからだろ、傷口開いたんじゃないか?」
「うぐぐぐ」
「ゆっくり横になれ、ゆっくりだぞ。看護師さん呼ぶか?」
「だい……じょうぶ…・・・」
とても大丈夫には見えなかったのでナースコールを押して看護師さんを呼んだ。隣のベッドのお爺さんに「喧嘩かい?」と聞かれたので「悪ふざけが過ぎました」と頭を下げて謝った。
すぐに看護師さんが来て様子を見てくれた。傷口は開いていなかったようだけど絶対安静と釘を刺された。看護師さんに怒られている大森をしり目に、荷物をまとめて小さく手を振った。大森はわずかに顎を上げて挨拶を返す。
僕はそよ風のように病室から退散した。
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