17
「知ってるかムツ、夜明け前が一番暗いんだぜ」
「へぇ」
「映画館の開演前と同じでさ。ほら、映画が始まる前に会場が真っ暗になるだろ? だからさ、夜明けは映画の冒頭なんだよ。わかる? 私が高校の時に撮ろうとしてた映画はね、あえて朝がラストシーンなんだ。砂浜で主人公とヒロインが再会して、こう、燃えるような朝日がぐわーって上ってくんの。どう、カッコイイでしょ?」
「…………」
「おい、聞けよ」
「すいません、一瞬だけ寝てました」
「なんだよだらしないな、この時間ならいつも起きてるだろ?」
「なんか辛くて」
「遊びの徹夜と仕事の徹夜は別物だからな。ちゃんと寝溜めしとかないとダメだぞ」
「それもっと早く言ってくださいよ」
「甘えんじゃねえ、眠いならビンタしてやる」
「起きます、起きます」
「あっ、もう休憩が終わった。しゃーない、戻るか」
「あれ? 先輩、空き缶捨ててくれたんですか?」
「はあ?」
「いや、だって僕たちコーヒー飲んでましたよね?」
「お前、本当に寝ぼけてんのか、もうビンタだな」
「そうじゃなくて、先輩が間違ってブラックコーヒー買っちゃって、飲めないからってそれを僕に押し付けて、僕のお金でカフェオレ買ったじゃないですか!」
「……そうだっけ? そう言われるとそんな気がしてきた」
「ほら、なんか変ですよ」
「私も寝ぼけてるって言いたいのか?」
「ち、違いますよ。そうじゃなくて」
「まあいいや、とりあえず戻ろうぜ。怒られちゃうから」
「……はい」
休憩室を出て真っ暗な廊下を通って作業場に戻る。
真夏のはずなのに工場内は肌寒かった。
見慣れない機械やベルトコンベアが大部分を占拠する作業場の端に長机を並べたスペースがある。さっきまで僕らが作業に没頭していた場所だ。
深夜作業なので工場は稼働しておらず、照明はほとんどが消されている。廊下もこの作業場も真っ暗で、非常口を示す緑色の明かりだけが唯一目に留まる。
僕らの動きを察知したセンサーが、作業場だけに照明を灯す。まるでスポットライトに照らされる演劇の舞台の様に見えた。
山積みの段ボールの中から、磨き上げたように輝く銀色の缶詰を取り出して、パッケージのシールを貼り付ける。それが済んだら出荷用のコンテナに並べて、また段ボールから缶詰を取り出しシールを貼り付ける。この繰り返し。
特にノルマは無いし、シールを貼るための器具があるから目を閉じていても真っ直ぐ貼れる。気を付けるべき作業工程は全くないので気楽に作業できるのは良い。ただ僕は無性に眠かった。
「ああ、辛い」
「退屈な作業だけど、これでお金貰えるなら旨い話だろ?」
「それは、そうですけど」
「ちゃちゃっとやってしまおう、早く終わったら早く帰れるかもよ」
バイトに来ているのは僕と先輩の二人だけだったから僕はあまり仕事に身が入らずあくびばかりしていた。反面、先輩は額に汗を浮かべるほどせっせと作業に打ち込んでいる。
「先輩、頑張りますね」
「だってバイトに誘ったの私だし。辛いならムツは休んでいてもいいよ」
先輩は怒っているわけでもなく、いつになく優しげな笑みを僕に向けた。僕はあくびを噛み殺して気を引き締めた。
レトロなデザインのパッケージにはロコモパインの表記。誰しもが一度は口にしたであろう有名なパイナップルの缶詰。僕も幼いころ食べた記憶がある。懐かしい商品にこんな形で再会することになろうとは思いもしなかった。
「ロコモパインって美味しいですよね」
「この缶詰? 私は食べたことないなあ」
「え、そうなんですか? そういえばこっちでは見かけないな」
「私の地元にも無かったよ。地方限定とかじゃない?」
「そうだったのか……」標準語だと思って言葉が、実は方言だったと指摘された時と同じくらいショックだ。
「実家に帰った時にお土産で買ってきますよ」
「うん」
先輩は言葉少なげに作業に徹している。真面目に仕事をすることはいいけれど、このままでは僕が参ってしまう。何か会話をしたい。
「……あ、そうだ。先輩は映画の続き撮らないんですか?」
「続きって?」
「ほら、高校の時に撮影したって言ってたじゃないですか、あれ撮り終わらなかったんですよね」
「ああ、あれね」
先輩の口元からふうとため息が漏れた。
「諦めたの。映画の知識を付けて私がもっと良い作品にしてやろうって思っていたけど、やっぱり無理だったみたい」
「無理だなんて」
「技術的には撮れなくもないよ、多少お金は掛かるけど。でも」
でも、もう向き合いたくない。先輩はそう言った。
今の学校に進路を決めたのはその映画が切掛けだったのは確かだ。でも厳密に言うなら、映画の撮影中に起きた不慮の事故、そして恋人の死が、その原因だったと言うべきだろう。
撮影に使ったテープも、何度も読み返した脚本も、死んでしまった恋人の両親に託し、あいつが実現できなかった作品を、自分の手で新たに完成させようと、先輩は決心した。それがあいつの事を何も知らなかった自分にできる唯一の罪滅ぼしだとそう思った。
そして上京し、学校に通い始めた。
だが一度地元を離れてしまうと驚くほど気持ちは晴れ、悲しみに満ちた日々は過去へ変わった。先輩は新しい気持ちで制作の勉強に励み、自分なりに映画を撮るようになる。実力をつけてより良い形で作り直そうと思っていた。
でも、そのうち「今じゃない」「まだ早い」と自分の実力不足を理由に作品から目を背けるようになる。なぜなら未完に終わったその作品を思い出すという事は、死んでしまった恋人の事を思い返すのと同じ作業だからだ。自分でも想像できなかったほど幸せな日々を思い返し、それがいかに壊れたかを再認識して、子供じみた自分の馬鹿さ加減を認めなくてはならない。そんな気持ちを隣にして脚本を書くことができるだろうか。想像しただけでも苦しくなる。
目を逸らそうとして、過去を過去として置き去りにしようとして、先輩は自分を変える決意をした。もし変われたのなら、その時はちゃんと向き合えるかもしれない。
でも、そんな決意はすぐに罪悪感へ変わった。過去を切り捨て、未来を見つめることが先輩には裏切り行為のように思えたのだ。
在学中の三年間で必ず撮ろうと決めた決意が呪いの様に纏わり憑き、過去に追いかけられ、罪悪感に縛られ、先輩は出口を求めて逃げ続けた。現実でも夢の中でも、真っ暗な闇の中をたった一人で。
「私は最低だよ。一人にされたのが寂しくて、取って付けたようにあいつとの繋がりを勝手に作ったのに、それすら嫌になっている。向き合おうとしても頭の中が真っ暗になって、あいつが屋上から落ちたって聞いた時のことが浮かんでくる。新しく彼氏ができれば変わるかなって思ったこともあったけど、結局同じだったよ。嫌な事ばっかり思い出しちゃって。青柳先輩には悪いことしたなあ」
缶にラベルを張りながら、先輩は淡々と話した。
「きっとさ、私が死んだら神様に本編を見せられて、天国に行ってもずーっとこのまま悔やみ続けるんだと思う。いや、もっと酷いか。なんで生きているうちに映画撮らなかったんだろうって、それも悔やむ」
悔やむくらいなら撮ったらいいのにと言おうと思って口を噤んだ。先輩はそんなこと分かっている。分かっていてできない。そのこともちゃんと分かっている。
「私はもう一度あいつに会いたかった。それで何か言ってほしかったんだ。謝罪の言葉でも恨みの言葉でもいいから。そうすれば私はもう苦しまなくていい。逃げなくても、自分がどうすればいいのか分かるから。でも一度も会えなかった……」
作業をしている手元に視線を落としながら、先輩は口元だけで笑った。
「そんなに悩んでいるなら、どうして僕に話してくれなかったんですか」
「ムツにも他の人たちにも言いたくなかったんだ。この話をしたのは山本さんくらいだよ、青柳先輩も薄々知ってはいると思うけど」
「僕じゃ信用に足りませんか」
「そうじゃなくて、今の生活に過去を持ち込みたくなかったんだよ。昔の事がどうでもよくなるくらいに今の生活を楽しんで、そしたら嫌な事にも向き合えるって思ったの。まあ、結局どちらもダメになってしまった訳だけど……」
「先輩の言っている事は矛盾してますよ。結局どっちなんですか、会いたいのか会いたくないのか」
「会いたいよ、でも、やっぱり恨まれていたらと思うと怖くて会いたくない。二律背反」
「難しい言葉知っていますね」と言うと先輩は得意げに「へっへっへ」と笑った。
「まったく、ムツは人の心が理解できていないよな」
「先輩に言われたくないです」
「そんなんじゃ良い脚本は書けないぜ。ムツは脚本を書きたいのか、書きたくないのか」
「書きたいです、でも書いた話が駄作と言われたらと思うと怖くて書けません」
「二律背反だな」
僕を言いくるめた先輩は目を細めてケタケタと笑った。
先輩の機嫌が良いのは結構だ。でもこれは今まで通りの一時しのぎにすぎない。先輩は一人になったらまた泣くだろう。僕はもうあんな悲しそうな顔はしてほしくない。根本的な解決をするべきだ、責任を持って彼女の一端を担う、僕にできる事。
「その話、僕が書いていいですか?」
「ムツが?」
「先輩、書かないんでしょ? だったら僕が書きますよ。それでちゃんと映像化します」
「んん」と先輩は口をへの字に曲げて唸った。手を止めて遠くを見つめる。その表情は見る見る曇りだした。
「また泣く」
「うるせー、泣いてねーよ」
潤んだ声でそう答えた先輩はそっぽを向いてぐじぐじと鼻を啜った。辛い思い出に沈めてしまったのは悪く思う、でも僕は覚悟を決めたんだ。そうやすやすとは引き下がらない。
「教えてくださいよ、どんな話だったのか。僕、しっかり書きますから。前の話より、先輩が書くより、もっといい話にして見せます」
作業を止めると工場内はしんと静まり返った。いつの間にか降り始めた雨が窓ガラスに当たるパタパタという音が心地よく響く。
やがて先輩は「あっそ」とそっけなく言うと泣きはらした目で前に向き直って作業を再開した。
「いいですか?」
再度、僕は問う。
「今度な」
先輩は涙交じりの声で小さく答えた。
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