先輩が「カメラが欲しい」と言い出したのはちょうど去年の今頃だった。

 万年金欠の学生である僕らにカメラを買う金銭的余裕などないのは明白。宝くじでも当てるか親に泣きつくか、アルバイトでもしなくてはいけない。賢明な僕らはアルバイトに従事することにした。

「アルバイトをしないか」と持ち掛けてきたのは先輩の方だった。ちょうど僕も後先考えず遊びすぎてしまいお金が必要だった。だから先輩から誘われた時は渡りに船だと喜んだが、やはり先輩は「アルバイトをしないか」と提案をしてきただけであって、具体的な内容については何も考えてはいなかったのだ。金欠地獄に現れた救いの神に思われた先輩であったが、同じ地獄組だったのだ。

 この人は頼りにならない、僕がしっかりせねば。

 僕は町中を走り回って無料のアルバイト情報誌かき集め、その日のうちに日払い可能な仕事を見つけ、翌日の夜から仕事をさせてもらえることになった。

 運の良い事に隣町にある配送センターが夜間作業のアルバイトを募集していたのだ。すっかり夜型人間である僕らにはぴったりの仕事に思えた。

 仕事内容は軽作業であるらしく、僕も先輩も着の身着のままで夜の十時に配送センターへ出向いた。そこで待っていた仕事とは、郵送される通信販売のカタログにシールを貼るという実に簡単な作業であった。五百円ほどの大きさのシールは夏のセールが始まるという予告が記されているだけであり、貼る場所については「見やすいところに付けてください」と言われただけである。

「これで一万円か、ちょろいな」と先輩が笑う。僕もそう思った。

 アルバイトに来ていたのは僕たちの他に数名、年頃も同じような若者たちだった。たぶんみんな同じ様に思っていただろう。

 しかし、これが思わぬ重労働であった。

 倉庫内の隅っこに長机が二列配置され、その上にどっさり置かれたシールの束。カタログはダンボールに入っており、見上げるほど高く積み上げられている。そこから一箱取り出して卓上に置き、一冊ずつシールを貼っていく。一箱分貼り終わるとダンボールに戻し、少し離れた場所にある配送用のカゴに乗せる。この工程をひたすら繰り返す。

 作業開始から一時間が経とうという頃はまだみんな意気揚々とシールを貼り続けていたが、さらに時間が経過するにつれて表情は暗くなり、心なしか一帯の空気が淀み始めたように思えた。

 幼少の頃、お菓子のおまけについてきたシールを箪笥にはって母親に怒られたことを思い出し、少しほっこりした気分になったのもつかの間、シールを剥がし、貼る、剥がし、貼る、この作業を繰り返しつづけた親指の皮膚は、シールの粘着力に負けてピリピリと痛み出し、まるで力いっぱい紙やすりをなぞっているように感じられてくる。立ち仕事に慣れていない僕の足は早速痛み出した。

 背後で忙しく働く配送センターの社員さんたちは重い荷物をベルトコンベアに運び、汗を流しては楽しげに会話を交わす。その溌剌とした雰囲気が、片隅で作業する僕らの存在をより一層暗いものにしていた。

 作業開始から三時間後、三十分間の休憩となった。

 僕らはタバコの臭いが染みついた休憩所に移動し、年季の入ったソファーに腰を下ろすと同時に深いため息をついた。会話もないまま壁一面を占拠している自動販売機で缶コーヒーを買って飲む。

 窓の外は配送トラックの駐車場になっていて、荷物を積み込んで出ていったり、入れ替わりにトラックが入ってきたりした。暗闇を照らす街頭の光とトラックの真っ赤なテールランプ。慣れた様子で荷物の積み込みをする作業員。僕たちがのんべんたらりんと過ごしてきた夜に、こうして働く人たちがいて、いろんな物がここから各地に届けられるのだ。世界の仕組みを垣間見た気がした。先輩は車の免許を取っておけばよかったとぼやいた。

 残りの作業時間を乗り切るため、僕と先輩は心を捨て、シールマシーンと成り果てて苦痛を取り去ろうと試みた。機械はいったい何を思って毎日作業をしているのだろうか、やっぱり親指が痛くなったりするのだろうか。人間への復讐や転職を考えたりしているのだろうか。そんなことばかりが頭を過った。

 僕は何度も視線を上げて窓の外を見た。朝が来ればこの仕事は終わるのだ。夜明けはまだか、次に顔を上げたら窓の外が明るくなっていますように。そんなささやかな祈りを胸に作業を続けた。しかし夜明けより早く、二度目の休憩が入った。

 またしても自動販売機でコーヒーを買うことにしたのだが、先輩が間違えてブラックコーヒーを買ってしまい、半ば強制的に僕がそれを買い取ることになり、僕から奪ったお金で先輩はカフェオレを買ったのだった。

「知ってるかムツ、夜明け前が一番暗いんだぜ」

「へえ」

 この休憩中僕らの会話はこれだけだった。

 誰かが言っていた。遊びの徹夜と仕事の徹夜はまったく別物であると。もっと早く教えておいてほしかった。単純作業は精神と肉体を疲弊し眠気を催す。今まで味わったことのない疲労感で本当に心が消えてしまいそうだった。

 しかしながら明けない夜はない。僕は見た、白々と明るくなる窓の風景を。新しい朝が来たのだ。希望の朝が。

 午前六時。作業終了。

 後片付けをして、一万円の入った封筒をもらうと、僕らは足早に表へ出た。

 先輩を後ろに乗せて僕は自転車を漕いだ。足の痛みを感じながら、それでも力いっぱいペダルを漕いだ。朝日が街を照らし、何もかもが輝いて見えた。疲労と眠気ですっかりハイになっていた僕と先輩は荒川を跨ぐ橋を全力で走り抜けた。川も海も輝いてその輝きが潮風に乗ってここまで届きそうな気さえした。

 あんなに素晴らしい朝日はもう見ることはないだろう。

 僕らをかき立てたのは他ならぬ開放感であった。窮屈な労働からの解放、そしてそこで勝ち取ったものが目に見える形でポケットに収まっているのだ。

 がらんとした車道に飛び出して僕は「うひょー」と叫び。先輩は楽しそうに笑った。

 あんなに素晴らしい朝日は、もう見ることはできないだろう。


 

 

 すっかり日が昇り、蝉が鳴き始めた通りを歩きながら去年のことを回想していると、もう一度あの橋を渡ってみようかと思った。朝日は昇り切ってしまったが、まだあの瞬間に間に合うような気がした。僕は走ってアパートに戻る。

 しかし駐輪場に僕の自転車はなかった。そもそも先輩の家に歩いて行ったのは自転車を友人に貸していたからだ。

 じわりと暑さが染み出してくるような感じがした。蝉の声がにわかに大きくなる。逃げるように部屋に戻ると冷房の電源を入れ、シャワーも浴びず着替えもしないまま布団に包まった。そして耐え難い暑さが和らぎ、汗が冷え寒さに代わる瞬間をじっと待った。そしてまた現世と夢うつつの境目に宙ぶらりんになるのだ。

 

 不眠症は眠れなくなる病気。以前の僕はその程度の認識しか持っていなかった。眠れないのならその分他の事に時間を費やせるから便利じゃないかとすら思っていた。僕以外にも、こう思っている人は多いと思う。

 でも、実際は全く違う。

 いつものように夜が更けて眠くなったとする。布団に入りすぐに寝入りそうな眠気を伴いながら寝床でじっと目をつぶる。普通なら意識もしないうちにコロンと眠りに落ちるだろう。だがその一瞬がいつまで経ってもやってこないのだ。

 悪魔のような出で立ちの睡魔が僕に決定的なトドメを刺さず枕もとで嘲笑っているかのような不快な時間だ。そうしているといつの間にか夜が明けていることもある。運よく眠れたとしても、二、三時間ほどで目が覚め、また不快な時間を過ごす羽目になる。

 眠くならないわけじゃない、眠いのに眠れない、それが不眠症なのだ。

 さらに、浅い睡眠と中途半端な目覚めを繰り返すと幻覚や幻聴を見聞きすることがある。大木が倒れるようなミシミシという木材がへし折れる音に驚いて飛び起きると、それは表を走る新聞配達のバイクのエンジン音であったり、鼓膜が破れるような大音量の音楽が流れたと思ったら携帯電話の着信音だったり。そういった〝聞き間違い〟が起きることがしばしあった。

 俗にいう〝金縛り〟というものにも度々見舞われるが、体に力を入れると意外に動けるということが分かった。この現象についてはレム睡眠とノンレム睡眠がどうのこうのという科学的根拠に基づいた説が有力だろう。幽霊やらオカルト的な要素が入り込む余地など微塵もない。こう言い切れるのは、実際に僕が金縛りにあっているときに幽霊を見たからだ。

 ほんの一月前の事だ。金縛りからの力ずくの脱出にも飽きて抗うこともしなくなった僕はその晩もまた金縛りにあっていた。金縛りにあったことよりまた目が覚めてしまったことに軽い絶望感をおぼえたその時である。誰かの視線を感じ部屋の壁に視線を向けた。

 するとそこには白いワンピースを着た髪の長い女が四つん這いになって壁に張り付いていたのだ。女はこちらをじっと見つめている。

 しかし僕は恐怖より、情けない気持ちになった。というのもその女の姿がどこかで見たような風貌であったからだ。エクソシスト、リング、エミリーローズ等のホラー映画の継ぎ接ぎその物であった。

 これは心霊的なものではなく、寝ぼけた脳が作り出した空想の産物であるとすぐさま理解した。そして僕は自身の想像力の希薄さに愕然とし、その女に対して怒りすら覚えた。

「もっと怖くできないのか?」

 そう頭の中で呟くと、女は両手両足をバタつかせながら天井まで移動し、こちらを向いて目を赤く光らせた。「これでどうだ」と言わんばかりの女に「おつかれさま」と言ってまた浅い眠りに落ちた。

 以降、僕は幽霊など存在しないと信じて疑わない。所詮これらは錯覚であり、想像と願望が投影される夢と変わらない。目を開けながら夢を見ているに過ぎないのだ。

 このことを友人に話したことがあるが「取り憑かれている」とか「不調の原因はその幽霊だ」などと言われた。しかし勘違いしてはいけない。大ナマズが暴れて地震を起こすのではない、地震を察知した大ナマズが暴れるのだ。

 今でも幻覚を見ることはあるが、どれも意味不明なものが多く特に記憶に留めるようなことはしなくなった。

 しかし現実を背景に夢の中の産物が投影されている光景はまるで恐竜や骸骨の兵士が動き回るハリー・ハウゼンの特撮映画のようにも見える。そして僕の夢が現実に染み出してきているような奇妙さも感じるのだ。

 そうして夢と現実の区別がつかない劣悪な睡眠時間が過ぎると、世の中はいつも決まって夕暮れ時なのである。


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