喫茶店を出てから駅前のガード下をぬけて待ち合わせの場所へと向かった。

 先輩に合わせて歩くのは少し厄介だ。身長のわりに歩幅が大きく、歩くスピードが早い。そうかと思えば急に遅くなり、時折立ち止まったりする。

 何か気になる物を見つけると先輩は立ち止まる。

 先に行くと怒るし、「今の見たか?」と聞かれ、見ていないと答えると怒る。もし見ていたとしても「すげえな」とか「笑えるな」なんてにんまり笑いながら一言交わすだけ。一度機嫌を損ねると翌日まで尾を引くので気を付けなければならない。

 駅前を離れてしばらく街道沿いの道を歩いていると、ふと先輩の歩みが止まった。あわてて僕も足を止める。

 何か見つけたのだろうかと辺りを見回したが特に変な物も変な人も見当たらない。何か見落としてしまったのだろうか。

「何してんだ?」

「いえ、えーと……」

「着いたぞ」と先輩は親指で背後を指示した。

 そこには見覚えのあるファミレスがあった。

「ここ待ち合わせの定番なんだよ。この辺に住んでる奴が多いから、お前も何回か来たことあるだろ?」

「何回というか、ほぼ毎日来てる気がします」

 僕らの中では待ち合わせ場所という有意義な店ではなく、ワンコインで腹いっぱい食える店という認識しかなかった。

 中に入ると先輩は出迎えたウエイターに「連れがいるんで」と愛想笑いで対応してから店内を見渡した。喫煙席に見慣れた一団を発見し、わざとらしい無愛想な顔で、片手を上げ挨拶をする。外面が良いのではない、内面が悪いのだ。しばらくつるんでいて分かったが、これはどうやら先輩なりの照れ隠しであるらしい。

「時間通り来るなんて珍しい!」

「あれ、小坂が男連れてる……」

 それぞれ驚いているようだった。男女数名、どれも僕の先輩にあたる人たちであるようだ。

「こいつはムツ。私の彼氏」

「シナリオ専攻二年の六津木です、よろしくお願いします」

 しばしの後、彼らは思い思いの反応を返した。

 先輩に彼氏がいたことに大そう驚いているようだ。それもそのはず、僕だって驚いているのだから。

 動揺する周囲の声に混じってどういうつもりかと先輩に聞いてみると、ただ一言「不満か?」と返ってきた。

 食事をしながら暖かい女子メンバーの声に愛想笑いで対応して、何も声をかけてこない男子メンバーのほうを盗み見る。携帯をいじっていたり、タバコに火をつけたり、歓迎されていないのは明らかだ。この人たちと一晩過ごすのかと思うと暗い気持ちになってくる。

 おそらくここに集まった男の大半は先輩が目的だったのだろう。こんな難解な性格をしていながら見た目は良いので男からの人気はある。先輩はそれをあまりよく思っていないらしく、すり寄ってくる男を毛嫌いしているのだった。 

 そしてこのイベントに託けて仲良くなろうとする男たちのしたたかな企みに感づいた先輩は僕を呼んで彼氏役に仕立てたということだろう。つまりは楯代わりだ。歓迎会の時と同じような使われ方をしている。

 腹が立つ思いもあるけどこういう人だということは最初から知っていてつるんでいるわけだから気にしても仕方がない。先輩には微塵も悪意はないのだ、仏のような気持ちで向き合うしかない。

 優しく「お腹大丈夫ですか?」と聞くと、先輩は「全部出したら腹がへった」と言って笑った。


 


「ごちそう様でした。悪いね、奢ってもらっちゃって」

 先輩が言っていた「お昼ごちそうしてくれる」とはどうやら男子が女子の昼食代を払うということらしい。あてが外れた男子メンバーはふて腐れたように伝票をつまみ上げる。結局僕は自腹なのかと、僕も少しふて腐れたよう財布を取り出そうとすると、先輩がそれを制すように「こいつの分のよろしくねぇ」と猫なで声で言う。伝票を持った男の先輩は「ちっ」と舌打ちを返した。

 一刻も早く帰りたい。

 お店を出てから先輩にどういうつもりか再び問いただすと、「埋め合わせはするから四の五の言うな」と、まともに取り合ってはくれなかった。


 駐車場に停めてある車に乗り換えて移動すること三十分。古い石段のある立派なお寺がそこにはあった。どうやっておさえたのか、ここがイベントの開催地であるらしい。さすが映像業界を目指す者たち。ロケーション選びに妥協がない。

 本堂の横には板張りの道場のような建物があり、そこを一晩借りたそうだ。今回このイベントでここを借りられたのは主催者がここの住職さんと顔見知りだとかで、ずいぶんと顔の広い先輩もいたものだと感心した。

 人の良さそうな住職さんに挨拶をして道場に通してもらった。

 すでに他の先輩たちも到着しており、予定表を貰ってさっそく会場設置の作業に入った。

 少し埃の積もった板張りに雑巾をかけてから、外の機材車から荷物を下していると、見知らぬ他の一団が到着し、なんとも浮き足立った雰囲気に。大丈夫だろうかと心配したのもつかの間、場のセッティングや買出し等々の雑務をこなしながら、しだいに打ち解けていった。


 蝋燭百本に火をつけて、それを取り囲んで怪談話をするのかと思っていたがどうやら違うらしい。怪談をする者が仮設のステージに座り、それを客席から見るといった嗜好のようだ。

 客席に敷く座布団は本殿から借りてきたらしく、準備が終わると大量の座布団を枕に寝入る人もいた。小坂先輩も部屋の隅に座布団を敷き並べて寝ている。昨晩は何時まで起きていたのだろうか。結局、後輩である僕は終始動き回る羽目になった。

 日が傾くにつれて、参加者が増える。どうやら主催メンバーは各々個別に参加者を募っていたそうだ。そのため日が落ちて暗くなる頃には結構な大人数になっていた。

 怪談を楽しみに来た人もいれば、男女の交友に引かれてきた人などモチベーションは様々。男女入り乱れて一晩楽しく百物語やりますといった合コン的な客寄せの口実につられてきた人もいるのだろう。でも見る限り軟派な集まりと見せかけた本格派のイベントと言うべきだ。言い知れぬ雰囲気に戸惑いを隠せないといった人も見受けられた。

 その後、お寿司やピザなどの出前が届けられ、軽い食事をとることに。このときばかりは合コンのような賑やかさがあったが、その後いよいよ百物語が始まった。

 起き抜けでぼんやりとしたまま、かんぴょう巻きについたしょうゆをぺろぺろと舐めていた先輩もようやく目を覚ましたようだ。僕は先輩が使っていた座布団を二枚手に取ると、客席の一番後ろに敷き、座席を確保した。

 やがて窓を締め切り冷房が入った。部屋の明かりが消え、ステージだけが照明に照らされている。

「はい、というわけで~」という間の抜けた語り口で司会を始めたのはファミレスで舌打ちをした先輩だった。その横には準備中にいつの間にか現れた男が一人。自己紹介で「青柳」と名乗ったこの人物はこのイベントの発案者であるようだ。

 挨拶もそこそこに青柳さんはステージの上に敷かれたひときわ大きな座布団に座り、手前の蝋燭にマッチで火を灯した。ステージの照明が消され、揺らめく蝋燭の火だけが彼の姿を浮き上がらせた。

 青柳さんは咳払いを一つして淡々と噺を始めた。江戸時代の古典的な怪談話であったようだが、前座としてはかなり雰囲気のあるものだった。ほんの数分で噺は終わり、蝋燭を吹き消した。完全に暗転した会場で客席は控えめにざわめいた。全員がこの会場の雰囲気に気おされているように思えた。

 ステージ上にぼんやりと照明が灯る。眩しくないくらいのちょうど良い光だった。

 そこで再び「はい、というわけで~」と司会の合いの手が入った。そして話をしたい人はステージ横に並んで座っていてくださいといった説明がされた。そんなことで百話までいくのだろうか不安に思ったが、存外多くの人が席を立ち、ステージ横は騒然となった。

 慌てて司会が「とりあえず十人まででお願いします」と言うと、席を立った人たちはしぶしぶ元居た座席へ戻った。

「ほら、先輩も話をするなら気を抜いてちゃダメですよ」

「んー」と唸りながら先輩は僕の肩にもたれてきた。そして「まだ早いかなあ」と言い、そのまますてんと横になってしまった。よほどあの話に自信があるのだろうか、それとも単に並ぶのが面倒なだけか、このまま先輩が眠ってしまうようなら、僕はなぜここにいるのだろうか。

 一つの話が終わると、数名が立ち上がり、譲り合ったりその場でじゃんけんをしたり、そうやって滞りなくイベントは進んでいった。

 先輩はというと、胡坐をかいた僕の膝を枕にして横になっている。眠ってしまったのかと思えばそうではなく、目を開けてじっと天井を見つめている。饒舌な話口の参加者が大きな声で話を盛り上げ、客席から悲鳴が上がると、それに合わせてびくりと体を震わせている。どうやら話は聞いているようだ。

 結局、先輩は五十話が過ぎようかという頃までずっとその調子だった。

「さて」と言って立ち上がった先輩。列に並びに行くのかと思えばトイレに行くのだと言う。これはもう話す気がないのだろうと思った。

 先輩の後姿を見送ってから前に向き直った。五十一話目の話がまだ続いている。ステージの方を向いている人たちの後頭部をよくよく見ると、肩を寄せ合う男女がちらほら。

 暗い部屋で意中の相手と怪談話を聞くというのはお近づきになるにはうってつけのシチュエーションではなかろうか。人間とはどきどきはらはらするとそれを恋と勘違いする傾向があるらしい。つり橋効果といっただろうか、なるほど合コンだこれは。

 次の話は実体験を基にした話で、合コンで知り合った男のストーカー被害を語った幽霊より人間のほうが怖いと思わせる内容であった。少なからず会場の温度が下がったような気がした。

 何話か過ぎた頃に先輩の帰りが遅いことが心配になってきた。今朝からお腹の調子が悪かったこともあり、体調は万全ではなかったはずだ。

 しばらく待っても帰ってこないのでさすがに心配になって僕もトイレに向かうことにした。

 トイレはこの建物と本堂をつなぐ渡り廊下の中間にある。来客用に増設したらしく真新しいものだった。男女で分かれているトイレの入り口を前にどうしたものかと考える。いくら人気がないとは言えおいそれと女子トイレにはいるわけにも行かない。奥行きのない狭いトイレだから入り口から「先輩」と声をかければ返事が返ってきそうなものだが、それはいかにもデリカシーに欠ける行為と思えてなかなか行動に移せずにいた。

 しばらくここで待ってみようと思い、暇つぶしにメールでもチェックしようと携帯を取り出して、ようやく電話をかければいいだけのことだと気がついた。場所が場所だけに通話にはならないだろうが、着信音が鳴れば居ることは分かる。そうしたらメールでも送ればいいのだ。

 しかし、電話をかけてもトイレは相変わらずの静寂を守っている。いないのかな? 仕方ないのでメールに切り替えようとしたとき、「金髪の子を探しているのか?」と声をかけられた。みると体格の良い男が一人、本堂側から歩いてきた。僕は「はい」と返答した。

「あの子ならさっき帰ったよ」

「ええ!」

「さっきここで見かけて声をかけたんだ。なんだ、君もあの子を狙っていたのか。残念ながらすでに彼氏がいるらしいぞ」

「どうして帰ったのでしょうか?」

「さあ、なんでも急に幽霊が怖くなったとか」

「なんだそりゃ!」

 やれやれといった感じでその人は会場のほうへと歩いていった。先輩がいないのならここに居る意味がない。幾度か携帯で連絡を取ろうと試みたがなしのつぶて。何してんだよもう! 

 手ぶらで来ていたので、僕は入り口横の下駄箱から靴を取り出して履き替えると、そのままお寺を抜け出した。

 歩いて出て行ったのなら、まだそう遠くへは行っていないはずだ。しかし走れどもあの金髪頭が見えることはなく、やがて最寄りの駅舎の前にたどり着いた。

 ずいぶん古びた駅舎に見えたが、電車は行き交っている。駅舎の時計を見ると午後八時を回ったあたり。百物語が始まってから思いのほか時間が経っていたようだ。百話目が終わるのは日付が変わる手前くらいだろうか。

 踏み切りを渡って駅舎に入る。無人駅のように見えてちゃんと自動改札口がある光景は地元の最寄り駅を思い出す。

 線路図を見て現在位置を確認してみると、家までさほど離れた場所じゃない。二十分も電車を乗り継げば帰れるだろう。

 先輩が家にいる保障はないし、実は本当に彼氏がいてこっそり抜け出したのではないか。そう思いもしたけれど、なんとなく家に帰っているような気がした。

 僕が乗る反対側のホームに電車が入ってくる。車内の光が僕の足元を照らす。下車する人たちはこの辺りに住んでいるのだろうか。見慣れぬ僕の姿は彼らにどう見えているのだろうか、少なくとも百物語を途中退席してきたようには見えるまい。

 電車に揺られながら先輩の勝手な行動に腹が立つ思いをしていたが、路地に差し掛かる頃にはすっかり心配になっていた。今朝から調子が悪そうだったし、いつもみたいに目を細めて馬鹿笑いすることもなかった。何かがおかしい。

 アパート前に来て見ると、先輩の部屋の明かりは点いていない。やはり帰っていないのだろうか。いや、先輩は家にいる。理由はないが妙な確信があった。

 ドアノブに手をかける、開いた。

 靴を脱いで部屋の奥へ入る。真っ暗でよくは見えないが、今朝と違ってすっかり片付いているようだった。居残った人たちが片したのだろう。

 今朝先輩が寝ていた場所には布団が積んであった。すっと手を入れると、さらりとした感触に触れる。見慣れた金髪頭がそこにいた。

「何しているんですか」と聞くと、先輩は顔を上げた。寝ていたわけじゃない、先輩は泣いていたのだ。頭をなでた手で頬をつねってやった。

「痛い」

「置いて帰るなんてひどいじゃないですか」

 先輩は「ごめん」と言ってまた布団にもぐり込もうとした。

「汗かいてるじゃないですか。お風呂入ってきてください。布団出しておきますから」

 返事とも嗚咽ともつかないか弱い声で応えると、先輩はもぞもぞと布団から這い出てた。

「帰る?」

「帰りませんよ」

 先輩は涙交じりの声で「あっそ」と悪態をついて見せた。

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