19
ようやく外へ出られた僕らが目にしたのは異様な光景だった。
そこに現実と同じような住宅地は無く、雨上がりのしけった空気が漂う工場地帯が広がっていた。
直線ばかりで描かれた無機質な風景の中に等間隔で立ち並ぶ街灯。その真っ白な明かりの間にオレンジ色の光を灯した紅白の提灯が連なっている。その下には屋台が並び、夏祭りの様相を呈している。しかしお客はおろか店主さえ居ないようだった。
さらに上空一キロほどの超低空に見渡す限り暗雲が立ち込め、その下を工員たちが逃げ惑っている。まるでB級パニック映画のようだ。
「なんかアレみたいだな、先週テレビでやってた映画。えーと、タイトル何だったかな」
「どんな内容ですか?」
「なんか気持ち悪い怪物が出てくるやつ。ちょっと待って思い出すから」
「いいです! 夢に反映されたらたまったもんじゃない! これ以上こじれるような想像はやめてくださいよ」
「なぁんだムツ、怖いのかぁ?」
にやりと笑った先輩の目の奥にうすら寒い予感を感じた。
「よおし! お前のために超怖いモンスターを誕生させてやろう」
「ああ、もう」
先輩は腕を組んで必死の形相で超怖いモンスターを想像している。さっきまで泣いていたのに、すっかりこの状況を楽しんでいるようだった。
僕の知っている先輩はいつもそうだ。夜遅くに泣きながら電話をかけてきたと思ったら、次の日には笑って僕を遊びに誘う、そんな人だ。
もし先輩から悲しみだけを取り除くことができたなら、この人は本当に無敵になれるのかもしれない。
でもそうしたら、僕はもう必要なくなるのかな。
「先輩……」
「ちょっと話しかけるなよ。今ようやく顔のデザインが決まったんだから」
「そーですか」
どうやらもうしばらくかかるらしい。
逃げ惑う工員たちはどこか遠くへ行くでもなく、悲鳴を上げながら周辺を走り回っているだけだった。この人たちはモンスターが現れるまでこうしている役目なのか。
先輩が頭をひねっている間に背後でまた爆発が起きた。
振り返ると、僕らに追いついたコートの男が、マシンガンを構える姿が陽炎に揺れている。
「先輩よけて!」
「うわ、何すんだバカ!」
先輩の腕を引っ張って入り口から遠のく、次の瞬間には僕らの立っていた場所に弾丸が降り注ぎ跳躍するのが見えた。
急に引っ張られた先輩は体勢崩して僕を巻き込んで将棋倒しになった。
「急に引っ張るなよ!」
「何言っているです、あと少しで蜂の巣になるところだったんですよ!」
「なるわけねーだろ、これはわたしの夢なんだから」
そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。とにかく無事でよかったじゃないですかと適当にあしらってから「立てますか」と手を差し伸べた。
「バカムツ、あいつは何者だ! お前が連れて来たのか?」
「違いますよ。どちらかと言えば僕があいつに連れてこられたんです」
先輩は僕の手を取って立ち上がった。
空を覆う暗雲がごろごろと稲光を放ちながら僕らの上空に大きな渦を巻き始めた。いよいよこの場を締めくくるモンスターが登場するようだ。
「どんな怪物を創ったんです?」
「え、わたし何も考えてないよ」
そう言う割に表情が暗い。さっきまでの余裕は完全に消え去っていた。
「怖いモンスター考えたんじゃないんですか?」
「そのつもりだった。でもどうしてもアレが脳裏に浮かんで、考えないようにしていたんだけど、突き飛ばされた瞬間に完全に想像してしまった……」
「アレ?」
「ああ違う。私が考えたのはマシュマロマンだ。もこもこふわふわの破壊神だ。断じてアレじゃない」
「ゴーストバスターズですか。いいですね、この雰囲気にぴったりですよ。あっそうか、先輩の夢なんだからどんなスターでも呼べるんじゃないですか、 そしたら世紀の超大作が作れますよ! 先輩?」
先輩は冷汗をかきながら祈っていた。
「ちがう、ちがうんだ。さっきのは間違い。無かったことにして」
本当にとんでもないものを想像してしまったらしい。先輩をここまで脅かすアレとはいったい何なのか?
「ムツ! 逃げよう!」
「え、これからなのに」
「うるさいバカ黙れ! あれだ、あのトラックで遠くの町に逃げよう」
「運転できるんですか?」
「私の夢なんだからなんとでもなるだろう」
「マニュアル車ですよ。クラッチの使い方とか知ってますか?」
「クラッチ……あああ、免許取っとけばよかったぁ!」
先輩は絶叫した。
冷たい風が吹き下ろし、細かい雨粒が吹き荒れ、霧のよう辺りを包み僕たちにまとわりついた。
「わたし達は何でここまで来た? 歩きか?」
「ぼ、僕の自転車ですよ。先輩は後ろに乗って……」
「だったら自転車があるはずだ! 駐輪場はどこだ、思い出せムツ」
そう言われても、僕はこの後何が起きるのか気になっていた。先輩が何を想像したのか見てみたい。
もたもたしているとしびれを切らした先輩が僕の胸ぐらを掴み揺さぶる。
「早くしろ!」
必死の形相は泣いているようにも見えた、実際泣いているのかもしれないが雨の中では判別がつかなかった。
その時、先輩の背後、つまり僕の正面に何かが落下して、バケツをひっくり返したような大きな水音を立てた。
バシャ!
先輩の顔から感情が消えていく。その顔の向こうに目をやると、先輩が心から恐れているアレが姿を現した。
「な、なにが見える?」弱々しい声で僕に聞く。
「何って……かえ」
「ああああああ、言うな!」
そこに居たのは一匹の蛙だった。角も触手も生えていない、全長二メートルほどの巨体であるという事を除けばごく普通の蛙だ。いやそれだけではない、よくよく見ると所々半透明でゼリーの様につやつやとしている。空から雨粒のように降って来たのだから並の蛙なわけがない。雨蛙とでも呼ぼうか。
「こ、こ、こっち見てる?」
長細い瞳がどこを捉えているか判断しにくい。でも間違いなく僕らの事は視界に入っているだろう。
そう伝えると先輩は「どうしよう」と呟いて小刻みに震えはじめた。よっぽど蛙が嫌いなのだろう。この巨体は先輩の苦手意識からくる誇張表現みたいなものなのだろうか。蛙が苦手だったなんて初めて知った。
あまりいじめても可哀相なので、先輩の両肩を掴んで社交ダンスでも踊るかのように横へステップを踏んだ。蛙は喉を動かして呼吸に専念している様子だ。こちらには関心がないように見える。
「大丈夫そうですね、このままゆっくり駐輪場へ行きましょう」
「……うん」
じっと蛙の顔を見つめながら横へ移動する。先輩は目を閉じて僕の誘導に従っている。先輩にして見れば息を飲むシーンなのかもしれない。でも客観的に見ている僕からしたらすごく間抜けだ。
恐怖に耐えかねた先輩が「うう」と声を漏らした。とたんに雷鳴がとどろき、バシャリ、バシャリと雨蛙が数匹降り注いだ。
「ちょっと、数増やさないで下さいよ!」
「無理言うな! もう頭ん中蛙でいっぱい。気持ち悪い!」
さらに降り続く雨蛙。もう逃げ惑う工員たちの姿が見えないほど、あっという間に見渡す限り巨大な蛙に埋め尽くされてしまった。
「先輩、落ち着きましょう。目を開けて見てください。そんなに怖くないですよ。愛嬌のある顔してますから」
田舎育ちという事もあってか僕は昆虫、爬虫類、両生類など嫌われがちな生き物に対して抵抗がない。むしろ好きな方でもある。だからこの状況になんら不快感はない、僕が平気なのだから先輩だってきっと彼らの事を好きになれるはず。
「だからほら、顔を上げて」
「……」
先輩は無言のまま僕の脇腹を殴り、この提案を拒否した。
八方ふさがりの状況下で震える先輩の肩を抱き立ち尽くす。雨蛙はさらに降り続き、折り重なるように僕らを取り囲んでいる。蛙たちもどことなく不満そうに見えた。
そうしていると背後で爆発が起きで火柱が上がった。また忘れていた、コートの男が再び暴れはじめたのだ。
爆竹を鳴らしたような安っぽい銃声の後、僕らを取り囲んでいた蛙たちが次々にシャボン玉の様にパチンと弾け、大量の水となり地面へ流れた。
コートの男は滅茶苦茶にマシンガンを撃ち。哀れな蛙たちは銃弾をうけて次々にはじけ飛び、小川の様な流れに変わった。弾道がちょうど脱出できそうな小道になったのだ。
すかさず先輩の手を引いて小道へ駆け出す。くるぶし位の水位に足を取られないように、降り続く雨蛙に道を塞がれないように気を付けながら僕は走った。
先輩は手を引かれながらしっかりついてきていたけど、その視線は背後にいるコートの男へ向けられていた。
爆発の炎が濡れた先輩の金髪をオレンジ色に染める。
すごく綺麗で、印象的なその一瞬は、スローモーションのように引き伸ばされて僕の記憶に深く刻み込まれた。
雨蛙の群れとコートの男から逃げ切って、僕たちは工場裏にある駐輪場へたどり着いた。真新しいロードバイクや錆が自転車の形をしているような物に雑じって、見慣れた自転車を見つけた。先輩に急かされながら僕は自転車の鍵を外し、僕らは工場からの脱出に成功したのだった。
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