2 旧校舎案内
「ギィエェ〜! また負けた〜!」
旧校舎に少女の叫び声が響きわたる。
僕と、その隣で悔しげな顔でプルプルと震えている帆希は、5階の一番端にあるレクリエーションルームでひたすら格闘ゲームやレースゲームをプレイしていた。
が、帆希は致命的なほど弱かった。
何回か対戦して、数回負ける度に別のソフトに変えて……ということを繰り返したけど、ほとんど僕の圧勝だった。
普段RPGやアクションしかやらないから、初めて触ったゲームばかりだったのに……。
帆希は負ける度にどんどん機嫌が悪くなり、今や学園の理事長の娘というよりは番長の風格を漂わせている。
たまにわざと負けようとすると、帆希はポーズボタンを押して、
「なんだその腑抜けた動きは? かつて私に最高の好敵手と言わしめた蕗乃はどこにいってしまったんだ? さあ、真の力を私に見せよ!」
などと言ってくる。
少しは察して欲しい。
その後、違うタイプのゲームで流れを変えようと思い、コントローラーを振り回したり台の上でバランスをとったりするゲームもしたけど、結果は大して変わらず、というよりむしろ悪くなった。
帆希は、勢いよくコントローラーを振りすぎて僕の顔を殴打してしまったり、台の上でバランスを崩して後ろに座っていた僕の上で尻餅をついたりした。
そのうち、まともに対戦したのでは分が悪いと思ったのか、僕がプレイしているときにわざと体当たりしてきたり、体をくすぐってきたりしてきた。それでも僕が勝った。
そんなことを延々と繰り返し、夜は更けていった。
深夜2時頃。
僕がパズルゲームで連勝記録を重ねていると、帆希は、
「まあ、新しく入った仲間に華を持たせるのもリーダーのつとめか……」
などと涙目で負け惜しみを言うと、ゲームの電源を切って立ち上がった。
「あ、もう寝るの? 実は僕もさっきから半分寝ながらプレイしてたんだけど、僕はどこで寝ればいいかな?」
「な、何……、あのプレイが……半分寝ながらだと……?」
「ああ、うん……」
っていうか、僕はほとんど適当にやってただけなんだけど、帆希がものすごい速さで自滅するから……。
帆希はしばらく下を向いて押し黙ってたけど、
「……そうだ、校舎を案内してやろう」
「えっ? いや、もう深夜だから今日は寝てまた明日に……」
「や! だ! 今日これから案内する!」
目に涙を浮かべて叫ぶ帆希。
うーん、機嫌悪いなあ……。ここはひとまず言うとおりにしておこう。
僕たちは部屋を出ると、1階に降りた。
一旦中庭に出て、昼間、帆希と出会ったお風呂場に続く螺旋階段を下りる。
しかし、お風呂場には入らずに、脇にある通路をどんどん進んでいった。
そこには鍵のかかった扉があった。
「この扉を開けると新校舎の中に出る。登下校の時はこれを使ってくれ」
そう言うと帆希は僕に鍵を渡した。
「セキュリティーの問題があるから必ず鍵をかけてくれよ。といっても私もたまにかけ忘れるけど」
それからまた階段を上がり、今度は食堂に向かった。
食堂は、まだこの校舎が使われていた頃とあまり変わっていないようで、たくさんの長机と椅子が並んでいる。
周りはガラス張りで、外の草花を眺めながら食事が出来るようになっているけど、たった二人でこの広い食堂を使うのはちょっと寂しいかもしれない。
「朝ごはんと夜ご飯はここで一緒に食べよう」
帆希は笑顔でそう言ってから、少し恥ずかしそうに、
「悪いけど、ご飯は毎回蕗乃が作ってくれないか?」
「えっ、帆希は作れないの?」
「作ったことはある。あれは1ヶ月前、私がここに引っ越した日だ。自立した一人前の生活に憧れていた私は張り切って料理を作ろうとした。チキンカレーだ。初めての一人暮らしにテンションが上がっていた私はレシピも読まずに適当な具材を鍋に詰め込み、煮込んだ。校舎全体を包む異臭に気付き、火を止めて鍋のふたを開け、中身を一口食べた私は、次の瞬間には何故か全裸でケタケタ笑いながらグラウンドで踊ってた。間の記憶は全くなかったからどんな味だったかもわからない。食堂の大鍋で作ったから、それからもずっと三食カレーの日が続いたが、そのたびに記憶を失った。そんな日が3日続いたある晩、ついに私は倒れた。中庭の地面の上で目を覚ましたものの、体が痺れて動かない。メイドには昼間に掃除をしに来るとき以外は来ないように言っていたから、私は次の日までずっとそこで倒れていた。いやあ、あの時は泣いたなあ。その後、結局カレーは傷んでしまって、それを処分するときも泣いたけど……」
「……わかった。食事は僕が作る」
「無理しなくて良いんだぞ。自分で作れないんなら、毎日ピザを注文すればいいだけなんだから」
……明日から少し忙しくなりそうだ。
次に僕たちは体育館に向かった。ここはほとんど新校舎と変わらない。
「ここにはボールとか楽器とか色々な遊び道具を用意してもらった」
なるほど、バスケットボールやフリスビーなどがあたりに転がっている。
奥のステージの上を見ると、マイクやアンプ、ギターやドラムなどが整然と並んでいた。
「……まあ一人で演奏してたらすぐに飽きたけど。で、でも蕗乃が来たから、これからは二人でバンドを組んで猛練習するぞ! 一緒に武道館で演奏しよう!」
言いながら帆希はすぐに出ていって次の場所に向かった。
二人で楽器の練習をする日は来るのだろうか……?
それからプール。
新校舎ではプールは屋内にあるけど、こっちのプールは外にあった。中には水が張ったままで、葉っぱやら何やらで汚れていた。
「最初の頃は地下のお風呂場を使わないで、このプールにお湯を入れてお風呂の代わりにしていた。一度誰もいないプールで好きに泳いでみたかったんだ。でも3月の夜の気候は泳ぐには少し冷たかった……」
校舎の中もいくつか案内してくれたけど、ほとんどの教室は、物が撤去してあってもぬけの殻だった。帆希が使っている5階以外の階はほとんど用はなさそうだ。
5階まで戻ると、帆希はそのまま階段を上って屋上に出た。
「ここから見える風景は、私のお気に入りだ」
僕の周囲には、誰もいないグラウンドや、丘を覆う木々、遠くの方に見える街の灯りや、更にその向こうに見える山、そして、頭上には星空が広がっていた。
「一人暮らしを始めてから、正直あまり良いことはなかったけど、ここからの景色を独り占めできるだけで良かったと思える」
「でもそれももう独り占めじゃなくなっちゃったな」
「ああ。二人だけの秘密だ」
何気ない彼女の言葉にドキッとして振り向くと、そこには月明かりに照らされた帆希の横顔があった。
ゲームで対戦しているときは子供っぽいと思っていたけど、今は思わず見とれてしまうほど大人びていて、僕は……、
「でもこの夜空も良い思い出ばかりでもないな。2週間ほど前、あまりにも星空がきれいだから、メイドに頼み込んでベッドを屋上に持ってきてもらって、星を見ながら寝ることにしたんだ。次の日、起きてみると私が寝ている間に雨が降ったみたいで、周囲はびしょびしょ、もちろんベッドも使い物にならなくなるし、私もひどい風邪を引いた。唯一良かったことと言えば濡れたおかげでおねしょがごまかせたことくらいで……」
「僕のときめきを返せ!」
彼女が口を開く度に残念なエピソードが明らかになっている気がする。
そんな感じで案内を終え、5階のレクリエーションルームに戻ると、帆希は、
「あー、疲れた。もうお風呂に入って寝よう」
と言って、下のお風呂場の方に歩き始めた。
「そういえば、さっきも言ったけど、僕はどこで寝ればいいの?」
「ん……、蕗乃は私の部屋の隣を使ってもらう予定だけど、まだベッドとかは用意してないから……、私と一緒に寝るか?」
「なっ……!」
「あはは、冗談だ。大人は一人で眠るものだからな。隣でママに撫でてもらわないと眠れなかったのは先月までの話だ」
「なっ……!」
「じゃあどうしようか……」
僕の衝撃をよそに、腕組みをして考え込む帆希。
「そうだ! 寝るのにちょうど良い教室があった! 今からちょっと準備してくる!」
そういうと彼女は部屋を飛び出して下に降りてしまった。
待っている間、手持ちぶさたなので、散らかったままのゲームを片づけていると、帆希が戻ってきた。
「さあ、とびっきりの部屋を用意したぞ。そこで寝たら安眠間違いなし」
いやな予感がしつつも、しぶしぶ牛歩で帆希のあとをついて階段を下りる。
4階の奥の教室の前で止まると、彼女は僕に中に入るように促した。
おそるおそる扉を開けて、一歩踏み出すと、そこにはいくつか机が並べられていて、机上には何やらスライムのような粘液が広がっていた。
その横には人体模型が横たえられている。
机の端にはビーカーが置かれていて、そこからもくもくと怪しげな煙が出ていて、何かが腐ったような強烈なにおいがする。
「えーと、これは一体……」
「凄いだろう!? 私が考案したスイートルームだ! ベッドはちょっと堅いけど、特殊な粘液が身体を優しく包み込んでくれて暖かい。それに人体模型を抱き枕の代わりにすることにより得られる安心感は何物にも代え難い。極めつけは私が特別に調合した安眠香! これを使えば不眠症とは縁のない人生を送れるはず」
「ああ。その場で永眠するだろうからな……」
寮に帰りたくなってきた。
僕はそのスイートルームという名の拷問部屋での睡眠を丁重にお断りすると、結局レクリエーションルームで寝ることにした。
ここのソファーだって、結構暖かいからな。慣れれば寮のベッドより安眠できるかもしれない。
帆希が隣の自室に戻った後、電気を消してソファーに横たわる。
目を閉じて、微睡みながらも今日のことを思い出す。
帆希と出会ったこと。
ゲームで連戦連勝したこと。
校舎の案内で残念なエピソードを聴かされたこと。
スイートルームと称して魔術の儀式のような場所で寝させられそうになったこと。
まあ、色々あったけど——
「蕗乃、起きてるか?」
ゆっくりと扉が開いて、帆希が部屋に入ってきた。
電気をつけずに、静かにソファーに近づいてくる。
「こんなのしかなかったけど、暖かいぞ」
僕の体が何か柔らかくて暖かい物で覆われる。おそらく帆希が使っているブランケットだろう。
「おやすみ、蕗乃」
——ここに来てよかったかもしれない。そう思いながら眠りに落ちる僕だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます