8 アルバム
次の日の朝、目覚めると、当然の事のように隣には雪乃がいた。
お腹とかをわざとらしくはだけながら、「むにゃむにゃ」と口で言って明らかに寝た振りをしていることがバレバレな彼女を見て、僕は「ああ、昨日の事は悪夢じゃなかったのか」と思った。
昨日は結局あのあと凛々の時のようにピザを注文して、ゲームをしたりしたのだった。
それから帆希は雪乃と一緒に寝たがったけど、雪乃は「すみません、今日は兄妹水入らずで過ごしたいんです」と言ってやんわりと断り、現在にいたる。
何かもう全てが彼女の思惑通りにすすんでるよ!
とはいえ昨日まで学校をサボっていた雪乃も今日からはまた登校するようだし、学校に行っている間は付け回されることもないだろう。
早めに準備をして学校に行ってしまおう。
僕は布団を出て、パジャマを脱ぎ捨て、制服に……、
「雪乃、後ろから抱きつかないで」
いつの間にか雪乃が僕の真後ろに立っていた。
「だって、私の目の前で服を脱ぐんだもん……」
「仕方ないでしょ。急いでるんだよ。雪乃も早くしないと遅刻するよ」
「うん、じゃあ私も脱ぐね」
言うが早いか雪乃は勢いよくパジャマのズボンを脱ぎ捨てた。
「…………」
こういう展開は慣れっこだ。騒いだら余計雪乃を調子に乗らせてしまう。
僕は一旦着替える手を止めると、黙って目を閉じ、彼女が着替え終わるのを待つ。
「着替え終わったよ」
「いや、まだだな。たぶん今全裸だろ」
「ちぇっ」
それから5分以上もかけてから、ようやく次の声がかかった。
「はい、今度こそ着替えたよ」
あまり見ないように薄目で確認する。うん、ちゃんと着替えてるようだ。
僕は目を開けると、着替えを再開する。
「それにしても時間掛かりすぎだろ。何してたんだよ」
「えっ? お兄ちゃんの下着姿の動画撮ってた」
「消して!」
僕が雪乃のスマートフォンを奪い取ろうとすると、
「お兄ちゃんも私の下着見たいの? はい、特別に見せてあげる」
後ろを向いてぺろんとスカートをめくった。
「ぎゃあああああああああ! ノーパンだああああああああ!」
「この程度で興奮しすぎだよお兄ちゃん……」
「この程度で、ってなあ……」
「この程度、お兄ちゃんが寝てる間に私がしたことに比べればなんてことないよ」
「一体何をしたんだ!?」
「お兄ちゃん寝付き良いよね。あんな事してもグーグー寝てるんだもん」
「くっ……何をされたか気になるが知ってしまったら正気を保てるかわからないから忘れることにしよう……」
何故か悪寒が止まらないぜ。
こんな事がこれからずっと続くんだろうか。
「っていうかお前なあ、僕たちは兄妹なんだよ。もうこういうのは止めにしようぜ」
「でも私たち血はつながってないから大丈夫だよ」
「そんなの初耳だよ!」
「お兄ちゃんがいないときにお母さんが私にだけ教えてくれたんだもん」
何で雪乃だけなんだ。
そんな話を信じれるわけないだろう。
「だって、もし私と血がつながってないことを知っちゃったら、お兄ちゃんケダモノになっちゃうかもしれないって、お母さんが心配してたから……」
「どう考えても逆だろ!」
こんな妹より信用されてないなんて……ショック過ぎる。
まあどうせ作り話なんだろうけど。
雪乃によると、事の経緯はこんな感じらしい。
僕の母親には、大学生の頃仲良くしていた後輩の女の子がいた。
その人とは大学を卒業してからも度々会っていて、とても仲が良かった。
母親が結婚して、僕が生まれたときも、
「蕗乃ちゃんって良い名前ですね! 私も子供が生まれたらそういう名前付けたいなあ」
と言っていて、実際次の年に生まれた女の子に雪乃と名づけた。
ところがそれからまもなく、その後輩夫婦は事故で亡くなってしまう。
駆け落ちのような感じで結婚した二人に身寄りはなく、残された娘の雪乃は僕の母親が引き取ることになった……。
「というわけなの。わかってくれた?」
「うん。即興にしてはよく出来た話だけど、嘘だよね?」
「ううう嘘なんかじゃないよ! だだだだから安心して今すぐこここ子作りを!」
「思いっきり焦ってるじゃん! ……う、うわあっ!」
「ど、どうしたのお兄ちゃん!?」
「あ、あれ!」
僕は部屋の扉の小窓を指差す。
そこには凛々が無言で立っていて、悪霊のような禍々しい気配を放ちながらこちらを覗き込んでいた。
僕たちの視線に気付くと、凛々は静かに扉を開けて入ってきた。
「い、いつから立ってたの?」
「……二人が服を脱いだあたりから」
「…………」
まずい、何か非常に怒ってるぞ。
やっぱり自分が住んでいるコミュニティの風紀が乱れるのは嫌なんだろう。
何とか誤解を解こうと考えていると、
「あわわ! もうこんな時間だー! 何で起こしてくれなかったんだよー!」
帆希がネグリジェにナイトキャップを被り、目覚まし時計と枕をぶんぶん振りながら飛び込んできた。
時計を見ると、登校30分前だ。
遅刻するような時間じゃないけど、朝食を作る手間を考えると急いだ方が良さそうだ……って、
「雪乃! お前はもうとっくに家出てないとやばいんじゃないのか!?」
「あっ!」
雪乃ははっとした表情で口元を押さえた。
「ど、どうしよう!」
おそらく彼女は見た目ほど慌ててないと思う。
僕に会いに来るために学校をサボるような奴だし。
でも帆希と凛々の前ではまだ優等生のキャラで通すつもりなんだろう。
凛々にはもうばれてる節があるけど。
「大丈夫。そんな雪乃ちゃんのためにちゃんと手は打ってある」
そう言うと帆希は携帯で誰かと話し始めた。
メイドさんかな?
それから3分くらいすると、突然上の方からバタバタバタ……という音が響いてきた。
廊下に出て階段を上っていく帆希に付いて行って屋上に出ると、
上空にヘリコプターが飛んでいた。
ぽかーんと眺めていると、ヘリから梯子が垂れて来た。
「さあ、雪乃さん、乗ってください」
ヘリの中には、メイド服姿の女性が座っている。
ま、まさかこんな物を手配してくるとは……。
さすがの雪乃も冷や汗を顔面に貼り付けている。
「雪乃さん、もう時間がありません。急いでください」
メイドさんに急かされて、恐々と梯子を上る雪乃。
よく見ると手が少し震えてる。
そういえば昔から高いところが苦手だったなあ。
まさかヘリで登校する日が来るとは思わなかっただろう。
少し彼女をかわいそうに思いながら、ふと梯子を上る彼女のスカートの中を覗いた。
別にやましい気持ちなんてない。
ただ、さっきまでノーパンだったから兄貴としてちょっと心配になっただけだ。
果たしてその中身は——
「雪乃おおおお! お前が今穿いてるのは僕のトランクスだ! この変態妹がああああああぁぁぁああ!」
僕の絶叫が痴女を乗せたヘリの飛ぶ空に響き渡った。
新校舎に着き、下駄箱に向かう。
旧校舎でもずっと上履きを着用してるから、本当は下駄箱を使う必要はないんだけど、一応新校舎と旧校舎で別の上履きを使い分けている。
下駄箱の蓋を開けると、中から大量のラブリーな感じの便箋があふれ出してきた。
遂に僕にもモテ期が到来したのかと思ってどきどきしながら見てみると、差出人は全て男子寮の住人で、昨日ガーディアンをお巡りさんに引き渡したことに対する感謝状だった。
ガーディアンは規律にうるさいので、男子寮では誰もが煙たがっていたのだ。
中にはガーディアンにちなんで(?)、カーディガンをプレゼントしてくれた人もいたが、かさばるのでそのまま放置しておいた。
僕たちが帰宅して、しばらく3人でゲームをしていると、雪乃が帰ってきた。
「おかえり雪乃。遅かったね」
「うん。一度家に帰って、荷物を取ってきてたから」
「そうなのか。重くなかったのか?」
「ううん。メイドさんがトラックで運んでくれたから」
あのメイドさん色々な技能を持ってるな……。
一度ゆっくり話してみたいものだ。
「それで、荷物の事なんだけど、ちょっと量が多くて……」
「僕は手伝わないからね」
雪乃が最後まで言う前にきっぱりと宣言した。
だって、荷物の内容がろくな物じゃないことが容易に想像できるからね。
毅然とした態度を取る僕だったけど、
「そんな……うっ……」
「こらっ、蕗乃! 雪乃ちゃん泣いちゃったじゃないか! ほら雪乃ちゃん、皆で手伝うから泣かないで」
「はいっ、ありがとうございます!」
くっ、もう完全に帆希を味方に付けてるな……。
これだと状況は実家にいた時より悪いじゃないか!
帆希と雪乃が廊下に出てしまったので、僕と凛々もしぶしぶ後に続く。
雪乃の部屋は凛々の部屋の隣だ。そこはもう既に整理されて、机や布団が置いてあり、後は廊下に並べられたダンボールの中の私物を並べるだけの状態になっていた。
メイドさん仕事しすぎだろ。
雪乃はいそいそとダンボールを開けると、その中に入っていたアルバムに頬ずりした。
「そのアルバムにはどんな写真が入ってるんだ?」
「お兄ちゃんの過去から現在に及ぶ壮大なクロニクルです。見ますか?」
雪乃がアルバムを大事そうに開き、横から帆希がわくわくした表情で覗き込む。
「おお、蕗乃かわいいな! 今もかわいいけど!」
「ほら、この寝顔写真100連発なんて国宝級ですよ!」
何か恥ずかしいな。
今すぐやめさせたいところだけど……。
何か他に彼女たちの気を引くものがないかとダンボールの中を調べてみると、
「うおおっ」
思わず箱から飛びのいた。
ダンボールの中は全部アルバムだった。
次のダンボールも、その次のダンボールも。
「これ全部僕の写真集?」
「うん。まさか今までのお兄ちゃんの人生がたった1冊のアルバムに納まると思ってた?」
「そんなに写真撮られた覚えないんだけど……」
「ほとんど盗撮だから」
「そんな事だろうと思ったよ!」
ふと凛々のほうを見ると、一人で僕のアルバムのうちの1冊を見ていた。
やれやれ、凛々もか。
何やら赤い顔をして固まっているので後ろから覗いてみると……、
「うわっ、何だよこの『入浴シーンベスト50〜中学生編〜』って!」
僕は全てのアルバムを奪い取ると、ダンボールに戻した。
「大事なのは思い出より今だよね! このアルバムは全部預かるよ!」
「えっ、つまり今入浴シーンを撮らせてくれるって事?」
「違う! こんなイリーガルな写真は全部処分するって言ってるんだ」
「言っとくけど、写真は全部パソコンにバックアップとってあるから焚書しても無駄だよ」
「じゃあパソコンも没収」
「CDに焼いてあるしオンラインストレージにも保存してある」
「用意周到すぎる!」
結局アルバムの件はあきらめて、他の私物を整理することにした。
意外なことに、アルバム以外は本当にただの私物だった。
ぬいぐるみや、文房具、本など。
兄妹もののマンガがたくさんあったのは気になったけど、まあ許容範囲だ。
中には雪乃の年齢では買えない物もあったような気がするけど、今までの事を考えればかわいいもんだ。
「本当はお兄ちゃんが使ってた枕とか、お兄ちゃんのマグカップとかも持ってきたかったんだけど、それはこれからいくらでも手に入るもんね。さっきのお兄ちゃんの言葉じゃないけど、思い出より今だよね」
「やっぱり僕は昔に戻りたいよ……」
妹の異常な性癖に気付いていなかった過去に。
ようやく部屋の整理が終わり、晴れて雪乃もこの校舎の一員になった。
僕もまた一人部屋に戻った。
いやあ、妹と一緒の部屋で過ごしたのは1日だけだったけど、凄い開放感だ。
それから夕食を済ませ、部屋でマンガを読む。
ふと気になって、携帯である人物に連絡を取る。
「もしもし、お母さん? 今いいかな?」
『くふふ、我の事はマザー・ウィズダムと呼べと言っておろうが……』
久々に聞くお母さんの声。
因みにウィズダムというのは、本名の千恵→知恵→ウィズダムということらしい。
やめてほしいんだけど。
「あのさあ、もう雪乃から連絡があったと思うけど、雪乃もこっちに住むことになったよ。出来ればやめるように説得して欲しかったんだけどね」
『我の強大な力をもってしてもあやつの<結界>を解くことは叶わなかった……。全てはうぬに一任する。それが<預言書>に記された<運命>……』
「息子に丸投げかよ!」
『ふふふ……。この程度の試練を乗り越えられぬ者に余の継承者を語る資格はない……』
「で、ここからが本題なんだけど、雪乃って本当にお母さんの子だよね?」
『ぐぼっ!』
電話口に、何かをぶちまけるような音が聞こえた。
「どうしたの!? また飲めもしないのにコーヒーをブラックで飲もうとしてむせたの!?」
心配する僕の声をよそに、母親は何か呟いている。
『な、何故だ、何故今になって<古の記憶>……ミッシングリンクが甦ったのだ……? <世界の終焉>が近づこうとしている前兆か。面白い、受けて立とうではないか……フハハハハ! ウワーーーーハッハッハッハはっ、社長! 何でもないですから! 病院の手配とかしなくていいですからぁ!』
電話が切れた。
残業中だったのか。
悪い事したなあ。
それにしても、結局雪乃が本当の妹なのか、はっきりしたことはわからなかった。
でもよく考えてみたら、雪乃と血がつながっていようがいまいが、僕が彼女によって迷惑を被っているという事に変わりはないし、それと同時に、そんな彼女を少しはかわいいと思っているという事実も変わらない。
彼女が気にしていないんなら、僕が詮索することもないか。
どうせ雪乃と結婚なんてしないしな!
そんな事を考えていると、帆希たちが部屋に入ってきた。
「蕗乃〜、これを見てくれ!」
帆希の手にはアルバムが握られていた。
また僕の恥ずかしい写真を見せられるのかと恐怖したけど、表紙には、『旧校舎の思い出』と書いてあった。
「雪乃ちゃんからまだ使ってないアルバム貰った。今日から皆で少しずつここでの生活を写真に残そう」
それから早速1枚とることにした。
デジカメのタイマーを設定して、机の上に置く。
僕の右腕に雪乃が自分の腕を絡めると、凛々が左腕の袖を掴んだ。
「むー、蕗乃、人気だな。それならこうだっ!」
帆希は腕を大きく広げると、僕たち3人を後ろからぎゅっと包み込んだ。
しかしタイマーに間に合わず、\(^o^)/ こんな感じのポーズで写っていた。
「じゃあこの写真は後でプリントしてアルバムに張っておきますね」
雪乃は大切そうにデジカメをしまった。
「思い出が少しずつ増えていくといいな。うーん、何かテンション上がってきたぞ! 今日はこれから撮影会だーっ!」
帆希はそう叫ぶと、自分の部屋に戻っていき、いろいろなコスプレを持ってきた。
「さあ、これを着て夜の校舎で撮りまくろう!」
女子が着替え始めたので、僕は廊下に出て着替える。
今日の事を、数年後、数十年後、僕は覚えているだろうか?
それはわからない。
でもきっとアルバムは覚えていてくれる。
だから僕は——
「蕗乃ー、着替えるの遅いぞー! 先いっちゃうからなー!」
走り出した。
結局この日の撮影会は朝まで続き、僕たちはひたすら写真を撮り続けた。
しかし、この事が僕に思い出から抹消したい出来事で歴代1,2を争うような事件を生み出すことになろうとは、そのときの僕には知る由もなかった……。
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