7 変態少女


 なにやらまた妙な噂が教室に流れている。

 男子寮周辺に幽霊が出るらしい。


 僕がその話を聞いたのは、僕と同じクラスで、寮にいた頃はよく互いの部屋に行って遊んでいた友達からだったけど、帆希や凛々たちのクラスにも同じ噂が流れているらしい。

 そういえば今僕が住んでいる旧校舎にも幽霊がいるっていう噂が流れてたんだよな。

 まあその正体は帆希だったわけだけど、今回はその噂とは少し状況が違う。


 旧校舎の場合は、本来人がいないと思われていた建物だ。

 実際はこの学校を経営している帆希の父親が、独り暮らしをする帆希を住まわせるために明け渡した校舎だった訳だけど、そのことを知っている生徒は僕達旧校舎に住み着いている3人しかいないだろう。

 そんな旧校舎に人影が見えたことから、幽霊の噂が立ったんだろうと推測できる。


 だけど今回の噂の幽霊の場合は、男子寮の周辺を深夜にうろついていたらしい。

 夜中に出歩く程度なら普通に考えれば仕事帰りの人とか、悪くて不審者とかだろう。


 聞くところによると、その徘徊者を幽霊とする根拠は3つあるようだ。


 泣きながら歩いていた事。

 同じ場所を数時間に渡って往復していた事。

 そして、


「『お兄ちゃ〜ん、お兄ちゃ〜ん……』と呟きながらふらふらしていた事。たぶん兄が男子寮に住んでいて、会いに行く途中事故で死んでしまって化けて出てきたんじゃないかって話だ」


 帆希が神妙な面持ちで言った。

 怖がりつつも、興味津々なのか口元が緩んでいる。


 一方凛々はさっきから無言で僕の服の裾を掴んでいる。


「なるほど……」


 旧校舎に帰る途中、3人でこの噂を確認しあっていた僕だったが、話を聞くごとに嫌な予感が募っていく一方だ。

 っていうか、心当たりがありすぎる!

 自分の部屋に帰りついた僕は、帆希と凛々に見つからないように下駄箱に降り、外に出た。



 向かう先はもちろん男子寮だ。

 坂をおり、横断歩道を渡ってすぐの場所。

 ほんの数日前まで住んでいたのにやけに懐かしい気がする。


 とりあえず入り口付近を確認して見たものの、目的の人物はどこにもいない。

 流石に帰ったのかな?

 いや、あいつはそんなに諦めがいい奴じゃなかったはずだ。

 きっと何処かに潜んでいるに違いない。

 裏手の、人気がない場所に回って彼女の姿を探す。


 と、その時、突然何者かに後ろから抱きつかれた。

 心の準備はすでにできていたので、驚きは最小限ですんだ。


「僕に何の用だ、雪乃」

「だってぇ、こんな人気のない所に来るなんて、私とこっそりイチャイチャしたかったんでしょ?  私はお外でもいいんだよ?」


 そういうと彼女は僕の耳に息を吹きかけた。


「気持ち悪い〜っ! 離れろ〜っ!」


 抵抗してどたばた暴れていると、


「こりゃーっ! 誰だ裏手で騒いでる奴は! むっ、雨降! 貴様また騒ぎを起こすつもりか!?」


 2階の窓から、ガーディアンというあだ名で恐れられている寮監が剣道着姿で竹刀を振りかざしながら飛び降りてきた。

 仕方がない、僕は雪乃の手を握ると全速力で逃げ出した。



 僕の妹、雪乃とは、数日前に電話で話したきりだった。

 それ以降、今まで尋常ではない数だった電話やメールもピタリと止んでいたので、嫌な予感がしていたんだけど、やっぱりあれからすぐにこっちに来ていたらしい。


「本当はすぐにでもお兄ちゃんに会いたかったんだけど、男子寮にいるはずなのにいなかったし、お兄ちゃんにまとわりつく子たちの調査もしないといけなかったし、ずっと我慢してたんだよ。偉い?」

「うん。いい子だね。いい子はちゃんと家に帰って、学校に通おうね」


 どうやら彼女は、こっちに来てから中学にも行かず、昼夜を問わず僕の身辺調査をしていたようだ。

 本来なら今すぐ逃げたいところだけど、僕の手はさっきから固く握られている。


「お兄ちゃん、さっき寮監さんが追いかけてきた時、咄嗟に私の事かばって、手を握って逃げてくれたよね。昔からずっとそうだったよね。私は、これからもずっとお兄ちゃんにそうしてもらいたいだけだよ?」

「何言ってんだよ。これからもずっとそうに決まってるだろ。お互いに結婚したりしても、僕たちが兄妹なのはずっと変わらないんだ。困った時はいつでも助けになるからさ、もうこんな事はやめよう」

「そんなのやだ。私の事だけ見て、私の事だけ考えてくれなきゃダメなの。私がお兄ちゃんと結婚する」

「あのなあ……」

「この前電話した時にお兄ちゃんの隣にいた子に会わせて」


 やっぱりそうきたか。


「嫌だ。絶対ろくな事しないだろ」

「帆希さんと凛々さんだっけ? 可愛いよね? 今会わせてくれないと、こっそり会いに行っちゃうよ? よくわかんないけど、旧校舎の5階あたりに行けばいいのかなあ?」


 くっ、すでに調査は終了していたか。

 僕が見ていないと何をしでかすかわからない。

 不本意だけどここは従うしかないか。


「わかった。ちょっとだけだぞ。二人ともお前が思ってるような関係じゃないから、変な事するなよ?」

「うん。ちょっとお願いするだけだよ♪」

「?」


 それから僕と妹は、帆希や凛々について話しながら、しばらく駅前の商店街の店を眺めた。

 そうだ、今日の夕食の材料をスーパーで買っておこう。

 ちなみに、なんで僕が校舎の方ではなく、反対の商店街の方に逃げてきたのかというと、


「は、離せー! 私はただ教育的指導を!」

「はいはい、話は署で聞くからね」


 僕たちの目の前には、おまわりさんに連れて行かれるガーディアンの哀愁漂う背中があった。

 ……人通りの多い場所で竹刀を振り回してたらこうなるのは当然だよね。



「今までどこ行ってたんだ! 心配したんだぞ!」


 旧校舎に入って、自分の部屋に入ると、そこには帆希と凛々がいた。


「さあ、早く昨日のゲームの続きを……ん、後ろの人は誰だ?」

「幽霊だよ」


 僕が雪乃との関係や、再会した経緯を説明すると、帆希は好奇心に満ち溢れた顔でまじまじと雪乃を眺めた。


「そうかー、この子が蕗乃の妹かー。想像以上にかわいいなー。私は帆希。よろしくな」


 そう言うと帆希は手を差し出し、雪乃も普通にその手を握った。

 おかしいな。

 さっきまでの様子だと、帆希と凛々に敵愾心を燃やしてる感じだったと思うんだけど、今の雪乃はニコニコしてる。


「あなたが帆希さんですか。私は雨降雪乃です。お兄ちゃんがいつもお世話になってます」

「ん、別にお世話なんかしてないぞ。むしろいつも食事を作ってもらったり、遊び相手になってもらったり、いくら感謝してもし足りないくらいだ!」

「いえ、お兄ちゃん、うちにいた時よりも楽しそうで、生き生きしてます。きっと帆希さんや凛々さんみたいな素晴らしい方と一緒に生活しているからだと思います」

「え? いや〜、そうかな〜? そんな事ないよ〜」


 帆希が頭をかいてタコのようにくねくねし始めた。

 怪しいな。


「そんな事なくないです! 凛々さんの事も、迷子になっていたところを救い出したんですよね? 立派だと思います。尊敬しちゃいます」

「えー? うへへへへへへ……」


 もうすっかりメロメロになってしまったようだ。

 帆希は僕に近づくと、肘でつんつんしながら、


「なんだよ蕗乃〜、この前妹さんのことストーカーだって言ってたからどんな子なのかと思ったら、凄く良い子じゃないか〜。このこの〜」


 すでに酔っ払いのようになっていた。

 雲行きが怪しくなってきたぞ。


「雪乃ちゃんは今日これからどうするんだ〜? もし時間があるんなら少し遊んでいかないか〜?」

「時間はまだ少しありますけど……」


 そこで雪乃は一転して表情を曇らせた。


「ん? 何か悩みでもあるのか? フフフ、お姉ちゃんに相談してごらん!」


 いつからお姉ちゃんになったんだ。


「実は私、お兄ちゃんの事が心配でここまで来たんです。だらしないお兄ちゃんがちゃんと一人暮らしできるのか……。でも実際にお兄ちゃんと会ってみて、立派に生活しているのを見て、嬉しい半面、不安にもなったんです。たった1歳しか違わないお兄ちゃんが何か遠くに行ってしまったみたいで……。やっぱり親元を離れて生活すると変わるんでしょうか?」

「ん? そ、そうだな。私もここに住んでから結構変わった……かな?」


 帆希は実家に住んでた頃はお母さんやメイドさんと一緒に寝たりお風呂に入ったりしてたんだもんな。

 そりゃ変わるだろう。


「やっぱり! ああ、私も一人暮らししたいな〜」

「うーん、さすがに中学生で一人暮らしは早いんじゃないか?」

「でもでも! 私みたいな子供があと1年で帆希さんのような素敵な女性になれるとは思えません! 今のうちから練習しておかないと……」

「素敵な女性……。はあはあ……」


 帆希が何か興奮してるぞ。

 普段子ども扱いされることが多い彼女だから、こんなことを言われたのは初めてなのかもしれない。


 どうやら雪乃は帆希の心をくすぐるような言葉を把握しているようだ。

 どんな身辺調査をしたのか知らないけど、探偵事務所が開けるんじゃないのか?


「さすがに完全に一人で暮らすのは寂しいけど、せめてお兄ちゃんがいるここで生活できれば……ってそんなの迷惑ですよね。ごめんなさい、忘れてください。やっぱり諦めて、私は平凡な人生を歩むことにします……」

「め、迷惑じゃない! 雪乃ちゃんなら大歓迎だ! 私達と一緒に暮らそう!」


 帆希が最悪なことを叫んだ。


 僕は耐え切れずに口を挟んだ。


「ちょっとちょっと! 雪乃はここから離れた中学に通ってんだろ? どうするんだよ? それにお母さんだってきっと心配してるぞ」

「別に離れてるって言っても1時間くらいだし、それくらいの通学時間の子なら私の友達にもたくさんいるよ。お母さんにはもう言ってあるし、ちゃんと許可も取ってあるよ」

「何で簡単に猛獣を野に放つような真似をするんだうちのお母さんは……」


 まあそういう人だもんな……。


「じゃあ決定だな。これからよろしく、雪乃ちゃん」

「ありがとうございます! よろしくお願いします帆希さん!」


 雪乃は帆希に極上の笑顔を見せた後、僕の方を振り返り、


「…………!」


 飢えた肉食獣のような目で僕を見た。

 これからどうなるんだ。

 あと今日一言も話していない凛々が、不機嫌そうな顔でジーッと雪乃の顔を見ていたのも妙に気になった。

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