3 迷子少女
旧校舎に引っ越した3日後、僕は憂鬱な気分で廊下を歩いていた。
ここは2階で、あたりには空き教室や図書室くらいしかない。
僕がこの階をのんびり歩くのは初めての事だ。
帆希はまだ寝ている。
今日は日曜だ。
僕が何故そんな休日にダウナーな気分で、人目を避けるように歩いているのかというと、昨日の朝、
「約束通り寮を出る手続きはメイドさんに頼んでやっておいてもらったぞ」
と言われて、手早い対応に感心しつつ学校に行くと、教室内に、僕が寮で隣の部屋の男子に夜這いを仕掛けて追い出されたという噂が広まっていた。
「こんな手続きの仕方があるか!」
僕は憤怒したものの、帆希は普通に退寮の手続きをしてもらうように頼んだだけで、すべてはメイドさんの独断だったようなので、本気で帆希を怒るわけにもいかず、昨日は一日掛かりで誤解を解いてまわったのだ。
途中からは帆希の部下の諜報部隊にも協力してもらったおかげで、下校時刻までには誤解はほとんど解けた。
それどころか、情報操作が効きすぎて、僕は聖人君子であるとか、神の生まれ変わりであるとかいう噂が広まってしまった。
お賽銭を投げつけられて体が痛いぜ。
そんなことがあって、今の僕は肉体的にも精神的にも疲れはてていて、こうして一人で誰もいない廊下をさまよい歩いて気分を紛らせている次第である。
うろうろしているうちにだんだんテンションがあがってきて、スキップしたり口笛を吹いたりしていると、不意に、ザーッ、という水音が聞こえてきた。
「ひゃあ!」
僕はびっくりして尻餅をついてしまった。
いたた。
まったくもう。
「帆希が水道を使ってるのかな?」
廊下を歩いているうちにもう昼過ぎになってしまったし、さすがに起きる頃だろう。
しかし、水音はいつまでも止まらない。
顔を洗うにしても長すぎる。
しかも、帆希はいつも5階のトイレを使用してるけど、この水音は今僕がいる2階の近くから聞こえる。
不審に思って音がする方に向かう。
どうやら水音は1階のトイレから聞こえてくるらしい。
もしかしたら誰かけしからん人物が校舎に入り込んだのかもしれない。
数日前の僕みたいに。
そう思うと急に怖くなって、階段の上から声をかけてみる。
「誰かいるの〜?」
すると、何かがぱたぱたとあわてて移動する音が聞こえた。
僕は恐る恐る下の階に降りて、女子トイレの中を覗いた。
そこには誰もいなかった。
水道の方を見ると、一番手前の水道が全開で、激しい水音をたてている。
床も水浸しだけど、普通に水を出しただけではこうはならないはずだ。
まるで頭から水をかぶったような感じだ。
個室にも誰もいないようなので、とりあえず水道の栓を閉めてから外に出てみると、段ボール箱があった。
このあたりはあまり通らないから断言はできないけど、以前はなかったはずだ。
何より、廊下のど真ん中に置いてあるのが怪しすぎる。
僕がその段ボール箱に近づくと、それはもそもそと遠ざかっていった。
「誰か中にいるの!?」
僕は怖くなって叫ぶと、段ボール箱はガサガサと逃げていく。
「待ってくれーい!」
追いかけると、箱は中庭の方に這っていった。
「あ、そっちは……」
僕が叫ぶと同時に、段ボール箱は地下に続く螺旋階段に入り込んで、そのまま段差をごろごろと転げ落ちていった。
僕は慌ててその段ボールを追って、お風呂場に続くその階段をかけ降りていった。
途中、何故か靴下や下着が落ちていたので、それを回収して階下に向かう。
そこには、段ボール箱と、それにすっぽりとはまりこむような形で、制服を着た少女の姿があった。
「大丈夫!?」
少女に大声で声をかけるが、返事はない。
大変だ、目が渦巻きになってる!
気絶してるんだ!
とりあえず少女を段ボールから出そうとして、彼女の体や段ボールが濡れていることに気付いた。
状況から見て、さっき水道を使っていたのは彼女で間違いないだろう。
おそらく彼女は何らかの理由があって裸で水浴びをしていて、それを僕に気付かれて慌てて最低限の服を着て逃げたんだろう。
ふとさっき拾った、彼女のものと思われる靴下や下着と、目の前で気絶している彼女自身を見比べる。
制服とスカートはつけているけど、おそらくその下は……。
僕は段ボールの中でぎりぎりまでめくれあがったスカートや、水で透けているブラウスの方をなるべく見ないようにして彼女を引っ張りだした。
幸い数日前ゴミ箱にはまった僕の時とは違って、あっさりと引き出せた。
というより、ふやけた段ボールが破けた。
僕はその少女を床にそっと横たえると、すぐそばにある脱衣所からバスタオルを取ってきて、それでその少女を覆った。
数分後、ようやく彼女は目を覚ました。
「ん……」
彼女は体を起こすと、ぼんやりした目で僕を見つめた。
「よかった……。もう目を覚まさないかと思ったよ」
僕は目頭が熱くなるのを感じたので、手近な布で目を押さえた。
彼女の方を見ると、顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせているので、金魚の真似をしているのだろうかと思いつつも、自分の手の中にある縞々の布切れをよく見ると、それはさっき回収した彼女の下着だった。
僕は慌てて靴下と下着を彼女に返すと、彼女はそれをひっつかんで後ろに隠した。
「このままじゃ風邪ひくよ。すぐ近くにお風呂があるから、服脱いでシャワー浴びた方がいいよ?」
何事もなかったかのように紳士的な声色を使う僕だった。
「どこ?」
「ほら、あっちだよ」
僕がお風呂の方を指し示すと、彼女は立ち上がってそっちの方に向かった。
が、不意にふらついて、倒れた。
「危ない!」
僕はとっさに彼女を抱きしめたものの、支えきれず、二人とも床に倒れ込んでしまう。
かろうじて彼女の頭の後ろに手を回して、床との衝突だけは防いだ。
「だ、大丈夫?」
「うん……」
呆然と僕の方を見上げる少女。
「ふ、ふふ蕗乃……!」
寒気がして後ろを振り返ると、そこにはパジャマ姿の帆希が立っていた。
僕の周りにはさっき倒れたときの衝撃でまた下着と靴下が散らばっていた。
端目からは、僕が少女を押し倒して服を脱がせているように見えるかもしれないな、と僕は思った。
僕が帆希に叩かれた頬をさすっている間に、帆希は少女からこの旧校舎に入り込んだ経緯を聞き出していた。
「私は元々女子寮に住んでたんだけど、道を覚えるのが人より少し……かなり苦手で、いつも迷子になってほかの部屋の子に案内してもらってたの……」
少女は話すのが苦手なのか、しばらく黙っていたけど、俯きながらもぽつりぽつりとしゃべり始めた。
「でも木曜日の帰り、いつものように学校内をさまよってたらいつの間にかここに迷い込んでて、誰もいないから道を案内してもらうこともできずに出口を探し続けたの」
「つまりもう3日もずっとここをふらふらしているのか!?」
帆希が驚愕して叫ぶと、少女は頷いた。
僕が来た日とほぼ同時に彼女もここに迷い込んでいたのか。全然気付かなかった。
っていうかこの校舎、家として考えると多少セキュリティーに問題がある気がする。
今度帆希と話し合った方が良さそうだ。
「迷うのには慣れたけど、もう限界。お風呂にもずっと入ってないから、我慢できずにトイレの水道の水で体を洗ってたら途中で見つかるし、さっきもお腹が空いてふらついたし……」
さっきは空腹で倒れたのか。
てっきり階段から落ちた衝撃がまだ残っていたのかと……。
そんなことを思いながら帆希に叩かれた頬をさすっていると、
「大丈夫?」
少女が僕の頬に触れながら心配そうに言う。
「あ、うん。大丈夫だよ。ありがとう。えっと……」
「茜橋凛々(あかねばし りり)。凛々でいい」
「凛々……。僕は雨降蕗乃。よろしく、凛々」
凛々はしばらくぼんやりと僕の顔を見つめながら頬をなでていた。僕が恥ずかしくなって顔を背けると、
「むー……」
帆希がつまらなそうな顔をして僕たちの間に割り込んできた。
「その、さっきは悪かった……。きちんと状況も確認しないで叩いてしまって……。よく考えたら草食系の蕗乃が女の子を押し倒すなんてあり得ないのに……」
そういうと帆希も僕の頬をなでてきた。
草食系は余計だ。
あと凛々に自己紹介するの忘れてない?
仕方ない、僕が代わりに紹介する。
「こっちは帆希。この校舎の持ち主だよ」
凛々は帆希の顔をのぞき込むと、
「つまりあなたがこの複雑なダンジョンのボス……。ということはあなたを倒せば外に出られるの?」
そう言って僕の後ろに隠れて、服の裾をつかんだ。
なつかれてしまった……。
「な、なんか私嫌われてないか?」
「そんなことないと思うけど……」
「そ、そうだよな。なあ凛々〜、そんな格好じゃ風邪引いちゃうぞ? 親睦を兼ねて私と一緒にお風呂入ろう?」
帆希が猫なで声を出しながら近づくと、凛々は嫌そうな顔をした。
「なんでボスなんかと一緒に入らないといけないの?」
「そう言わずににゃ〜ん!」
めげずにさらに猫なで声、というかただの猫の物まねをする帆希だったが、
「やだ」
帆希と凛々は追いかけっこをするように僕のまわりをぐるぐると回った。
結局長時間に渡る説得により、渋々一緒にお風呂にはいることになった帆希と凛々を待つ間、僕は自分の部屋で宿題をやっていた。
昨日、僕の部屋にも帆希の部屋にあるような立派なベッドや机が配備され、僕がついこの間までいた寮からも着替えや本などが送られてきた。
そんなわけで、昨日は午前中に学校が終わってからずっと荷物を整理していて、全然勉強に手をつけていないので、その分を今取り返そうとしているのだった。
そうは言っても、まだ学校が始まったばかりで、大して授業も進んでいないので、帆希たちが部屋に戻る頃には全部終わってしまった。
「というわけで、凛々もここに引っ越してくることになった」
帆希は自室で着替えてから僕の部屋に来るなりそう宣言した。
ちなみに凛々は帆希の服を貸してもらっているようだ。
「えっ? 本当に?」
「うん。また迷子になったら困るから、ここに住んでもらって、私と蕗乃が毎日凛々のクラスまで送り迎えすることになった」
まあ、学校に登校する度に数日間のサバイバル生活をするんじゃ大変だろうからなあ……。
僕たちがそばについていた方がいいかもしれない。
「女子寮の退寮手続きとか、部屋の用意とかは明日学校が終わるまでにメイドさんにやっておいてもらうから、とりあえず今日は私の部屋にきてくれ。寝るときはレクリエーションルームのソファーを使うといい」
「やだ。この部屋で寝る」
僕のベッドを指さす凛々。
「な、何言ってんだ! それは蕗乃のベッドだぞ! 大人は一人で寝なくちゃいけないんだぞ!」
「そんなことない。大人でも子供でも仲がいい人同士は一緒に寝るものなの」
「そ、そうなのか? じゃ、じゃあ、例えば私と蕗乃が一緒に寝てもいいのか?」
「それはだめ。私が一緒に寝るから」
何故かにらみ合う二人。っていうか……、
「あの、帆希と凛々が一緒に寝ればいいと思うんだけど?」
僕の提案に、二人は顔を見合わせ、
「そ、そうだな。そうしよう」
「まあ、別にそれでもいいけど……」
こうして、また旧校舎の住人が一人増えた。
「じゃあ、今日は凛々の歓迎会だ。出前を頼もう! ピザを山ほど頼んで明日の朝まで寝ないでパーティーをしよう」
そう言うと帆希は僕の部屋を飛びだしていった。
本気で徹夜するの?
明日学校なんだけどなあ……。
「ねえ、帆希はあの通り良い子だから、仲良くしてね?」
僕が、先程から何故か帆希を嫌っている感じの凛々をたしなめると、彼女はうつむいて、
「ふーちゃんが言うのなら……」
ふ、ふーちゃん……?
「そ、そう言えば、何かさっきから僕にやけになついてくれてる気がするんだけど」
「迷惑?」
「いや、何でかなって……」
凛々は少し顔を赤くして、
「ふーちゃんは私を見つけてくれた……。助けてくれた……。ふーちゃんについていけば……大丈夫」
何かすごく頼りにされちゃった……。
「私、ボスの部屋に戻る。ふーちゃんに言われたとおり、ボスと仲良くしてみる」
そう言うと、彼女は立ち上がり、扉を開けて、振り返ると、
「これからもよろしく、ふーちゃん」
そして、帆希の部屋とは反対の方向にふらふらと去ってしまった。
うーん、心配だ……。
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