15 忘れ物
6月に入り、雨の日が多くなった今日この頃。
僕は夕飯のあと、レクリエーションルームで帆希たちとゲームをしていた。
といっても一人用のRPGなので、実際にコントローラーを握っているのは帆希だけだ。
僕はうしろでその様子を見たり、たまに交代したりしている。
雪乃は僕の膝を枕にして、モザイクが必要なタイプのマンガを読んでいる。最近帆希たちの前でも遠慮がなくなってきたよね?
凛々は床をゴロゴロしながら分厚い本を読んでいる。ちょっと中を覗いてみると、なにやら数式がたくさん書いてあって意識が飛びそうになる。
「ふう、今日はこのくらいにするか」
一時間半ほど遊んだあと、セーブして電源を切ったところで、帆希が硬直した。
「どうしたの?」
「どうしよう。明日授業で当てられるのに英訳の宿題忘れてた」
「今からでも間に合うんじゃない?」
僕だったらたぶん深夜までかかるだろうけど、帆希の学力なら余裕を持って終わらせられるだろう。
「課題のプリント、新校舎に忘れてきた……」
「…………」
壁に掛かっている時計を見ると9時半を少し過ぎた頃だった。
「一緒に取りに行こうか?」
「……うん」
そういうことになった。
この時間だと、学校の正門は施錠されている。
でも、僕たちがいつも学校に行くときに使っている旧校舎の地下からのルートだと、直接新校舎の内部につながっているので、普通に行き来できる。
旧校舎と新校舎の間は扉で隔てられているけど、その鍵はこっちに引っ越したときに帆希からコピーを貰った。
というわけで数分後には僕と帆希と、成り行きで何となくついてきた凛々と雪乃は新校舎の中にいた。
「真っ暗だな……」
帆希が不安そうに僕の服の袖をつかむ。
「きゃ〜、怖い〜」
雪乃が全然怖くなさそうに僕の体にしがみついてきた。
当然のごとく振り払った。
凛々は両手で電車ごっこのように帆希の肩をつかんでいる。
彼女の場合は迷子の危険性もあるから、用心しないとな。
持ってきた懐中電灯で先を照らしながら慎重に廊下を進む。
「…………」
何やら足取りが重くなったので帆希の方を見ると、僕の袖をぎゅっとつかんでもじもじしていた。
「どうかした?」
「……トイレ」
僕たちは階段のすぐそばにあるトイレの前に移動した。
「じゃあ帆希さんがトイレに行ってる間に私がプリントとってくるよ」
雪乃は突然そう切り出すと、帆希の教室の方に歩きだした。
「えっ、帆希の教室知ってるの?」
雪乃は新校舎に入ったことはないはずだ。
「え? お兄ちゃんが過ごす場所のことは何でも知ってるよ。お兄ちゃんの学年の女子の名前も全員知ってるし。えーとお兄ちゃんの好みの順に言うと……」
「もういい! 早く行ってくれ!」
疲れた顔で雪乃を追い払うと、凛々が後ろからふらふらと彼女の後を追っていった。
おいおい、迷子にならないでくれよ。
ふと帆希の方をみると、泣きそうな顔をしていた。
「ううー、置いてかないで……」
「大丈夫だよ、僕はここに残るから」
帆希は一緒に入るように言ってきたけど、そういうわけにもいかないので、半ば無理矢理彼女をトイレに押し込んだ。
うーん、凛々だけでもこっちに残って帆希と一緒にトイレに入ってもらった方がよかったな。
僕は窓から夜の校庭を眺めた。
雨がひたすら地面を濡らしている。
そして何事もないまま数分が過ぎた。
雪乃たちも帆希も遅いな。
帆希はトイレで何かあったのかもしれない。
ドアを開けて声をかけてみようかな。
でも何もなかったらお互い恥ずかしいし。
つくづく凛々をこっちに残さなかったのが悔やまれるな。
そんなことを思いつつもあんまり遅いのでトイレに乱入しようとドアに手をかけると、
「ぎゃ〜〜〜〜〜〜〜!!」
トイレの中から帆希の絶叫が響きわたった。
「どうした!?」
ばん! とドアを開けると、スパッツを膝まで下ろした状態の帆希が僕の胸に飛び込んできた。
「うわ〜ん!」
状況が飲み込めずに戸惑っていると、僕の耳に帆希の泣き声のほかに何か妙な音が聞こえてきた。
よく見ると、帆希の首からぶら下がっている携帯電話が震えている。
「バイブレーションか……」
しばらくすると、帆希の携帯の震えは止まり、今度は僕の携帯が鳴り出した。
「あ、お兄ちゃん? 帆希さんのプリントとってくるついでにお兄ちゃんの教室に行って、お兄ちゃんの机とか置き忘れた体操着とかで色々してたら、思いの外遅くなっちゃったから一応連絡しておこうと思って……」
「もう切るよ」
僕は通話をやめて携帯の電源を切った。
たぶん帆希はトイレの個室にはいるのが怖いから、しばらく躊躇していたんだろう。
でも我慢の限界がきて仕方なく個室に入ったら、突然雪乃から電話がかかってきて、びっくりして飛び出してきた。
そんな所だろう。
「帆希、もう大丈夫だよ。妹たちも戻ってくるし。……帆希?」
「…………うう…………」
帆希を抱きしめて背中をぽんぽんしていると、彼女はぶるりと体をふるわせた。
何やらひんやりとした感覚を覚えて、足元を見ると、
「……まだしてなかったのか」
床には水たまりができていた。
僕は帆希のプリントを持って戻ってきた雪乃と一緒に床をきれいに掃除した。
凛々は濡れた帆希の服を脱がせてあげていた。
因みに、凛々がさっき雪乃についていったのは、彼女がおかしなことをしないかどうか見張るためだったらしい。
結局雪乃は凛々の視線なんか気にせず奇行に走ったようだけど……。
戻ってきたとき何やら満たされた表情だったし。
雪乃が僕の教室に忍び込んだ際に、僕が置き忘れてしまった体操着を後生大事そうに持ち帰ってきてくれていた。
とりあえず帆希にはそれに着替えてもらうことにする。
「うう、ごめんな蕗乃。ズボンも体操着も汚しちゃって……。凛々も雪乃ちゃんもごめん」
「気にしないでボス。失敗は誰にでもある」
「そうですよ。お兄ちゃんも去年お漏らししてたし」
「それはお前がふざけて食事に大量の利尿剤を混入したからだ!」
こうして疲労困憊しながらも、僕たちは旧校舎に戻ったのだった。
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