14 ラブレター
息を切らせて新校舎の廊下を駆ける。
すでに日は沈みかけている。
帆希達はもうとっくに旧校舎に戻っているだろう。
みんなで宿題をしたり、ゲームをしたりしているのかもしれないし、もしかしたら心配して僕を探してくれているのかもしれない。
“あいつ”に突然追われ始めてから1時間は経っている。
「くっ!」
足が限界だ。
とはいえ速度をゆるめるわけには行かない。
追っ手はすぐ後ろにいるのだから。
「ん?」
その追っ手の足の動きが突然鈍った。
相手が先に疲弊したのだろうか?
まあ何でもいい、これは千載一遇のチャンスだ。
僕は最後の力を振り絞ってスピードを上げ、追っ手の視界から外れる位置まで行くと、すぐそばにある教室の扉を開けた。
「ふう……」
僕はやっと一息ついた。
ここはどうやら家庭科室のようだ。追っ手があきらめて帰る頃まで棚の中に隠れているとしよう。
長い戦いだったけど今回も僕の勝ち……
「かかったな」
「!!」
僕がギギギ……という鈍い音を立てながら棚の中から後ろを振り返ると、そこには、
血塗られた鎧に包まれた修羅がいた。
☆
10時間ほど前。
僕は旧校舎から新校舎に移動すると、靴箱で靴をはきかえた。
といっても、旧校舎でも上履きを履いているので、本来ははきかえる必要もないのかもしれないけど、一応気分の問題で、旧校舎用の上履きと新校舎用の上履きと別々の物を用意してある。
と、靴箱の奥に何やら不審な封筒があるのを見つけた。
「?」
そのときは帆希と凛々がそばにいたので、それぞれのクラスに分かれた後、急いでトイレの個室に入って封筒を開けた。
中にはかわいらしい便せんに丸い文字で簡潔な文章が書かれていた。
『今日の放課後、体育倉庫で待ってます』
「こ、これは……」
俗に言うラヴ・レターというやつでは!?
僕にもついに春が!?
手紙の差出人に全く心当たりはないけど、僕は以前男子寮から旧校舎に引っ越すときの手続きの際に起きた騒動と、その後の情報操作(3話参照)や、男子寮でもっとも恐れられている寮監、通称ガーディアンをお巡りさんに引き渡した事(7話参照)などで結構な有名人になっていた。
連日別のクラスの女子達が僕の噂を聞きつけて期待に満ちた目でやってきて、僕の顔を見るなりあからさまにガッカリした顔をして帰っていくのを、心の中で泣きながら見ていたけど、その中に僕の本当の魅力に気づいた人がいたのかもしれない。
「ひゃっほう!」
僕が興奮して思わずシャウトしながら立ち上がった瞬間、突然トイレのドアが開いた。
しまった。鍵をかけ忘れてた。
「……」
そこには凛々がいた。
ん?
「……間違えて女子トイレに入っちゃった!」
僕は急いでトランクスとズボンをはくと、近くにいた帆希を横目にトイレから逃げ出した。
そして待ちに待った放課後。
教室の前に迎えに来てくれた帆希と凛々に、
「ん〜、今日はちょっと大事なアポイントメントが入っているっていうか〜、ちょっと一足先に大人の階段を上っちゃうっていうか〜」
と重々しく告げ、
「なんか蕗乃がやたら調子に乗ってる感じだぞ!?」
と驚かれた。
そう。
僕はこのとき、明らかに調子に乗っていた。
だから、その後、待ち合わせ場所の体育倉庫に行ったとき、
「ふん、よく来たな。逃げないで私の『果たし状』に応じたことは誉めてやろう」
中でガーディアンがいつもの剣道着姿で仁王立ちしている姿を見ても、しばらく事態がつかめなかった。
手紙の送り主、ガーディアンは、リベンジのために僕を呼んだのだった。
数週間前、僕が男子寮の裏で雪乃にベタベタされていたのを、不純異性交遊と判断したガーディアンは、剣道着姿のまま僕たちを追いかけ回したんだけど、敷地から大きく外れて、住宅街や商店街の方まで竹刀を振り回しながらの鬼ごっこを繰り広げてしまったのが運の尽きで、彼はお巡りさんにしょっぴかれてしまったんだよね。
「あの時はすぐに事情を説明して解放してもらったものの、あれ以来私は学校の笑い者だ。それから私はお前への復讐……それだけを想いながら臥薪嘗胆の日々を過ごしてきたという訳だ」
「それは逆恨みじゃないかな!?」
「うるさい! 帯刀している先生なんか別に普通じゃないか!」
「それはマンガとかアニメの話だよ!」
「問答無用!」
そしてガーディアンのリターンマッチが始まった。
僕はもちろん彼と戦闘行為をするつもりはないので、ひたすら走って逃げた。
途中色々な先生や生徒とすれ違ったけど、みんな一様に「ああ、またガーディアンが何かやってる」みたいな感じの表情を見せて、誰も助けてくれそうにない。
階段を上り下りしながらがんばって逃げるけど、このままでは埒があかない。
と思っていると、後ろでガチャーンという音がした。
振り返ると、後ろで壁のペンキを塗りかえていた人とガーディアンがぶつかって、赤いペンキが剣道着にべったりとくっついてしまっていた。
「こらー! 何しやがる!」
「す、すまん」
ペンキを塗っていたおじさんは頭からペンキ入りのバケツをかぶってご立腹の様子だ。
よくわからないけど今がチャンスだ。
僕は手近な部屋の扉を開けると、格好付けるために無意味に前転をしながらその中に飛び込んだ。
「な、何かね君は!?」
校長室だった。
校長先生は部屋の中央やや後ろの、一人で使うにはやたら大きい机に向かって執務をしていたようだけど、突然の闖入者に目をむいている。
当たり前だ。
「ふむ……」
僕は冷静になって部屋を見回した。
冷静に考えて、冷静になっている場合でもないと思うけど。
まず目に入るのは、壁一面に飾られた写真だ。
壁だけじゃない、机の上にも、僕の後ろの扉にも、よく見知ったかわいい女の子の写真が貼られていた。
そういえば校長先生は帆希のお父さんだったんだ。
すっかり忘れてた。
「むっ、君はうちの娘の写真に見とれているようだね!? かわいいだろう! 嫁にはやらんが特別にワシと娘のハートウォーミングな家族愛エピソードを聞く権利をやろう! あれは5年前……」
何か面倒なイベントが始まっちゃった!
帆希の様子を見ていてそうじゃないかと予想はしていたけど、この人子煩悩すぎる。
幸い僕が帆希と同じ場所で共同生活を営んでいることは気づいていないようだけど、もしばれたらどうなることやら。
そんなことを考えている間も、このやたらと恰幅のいい校長先生は、スキンヘッドと目を爛々と輝かせながら帆希がいかにかわいいかを語っている。
しかし帆希とは全然似てないな。
「……というわけで今度こっそりお忍びで娘が今住んでいる秘密の場所に行ってみようと思うんだがどう思うかね?」
などと校長が言った瞬間、バン! と扉を突き破りながら、ガーディアンが現れた。
「お前のせいでペンキのおじさんにひどく叱られてしまったではないか! 許さん! 成敗する!」
彼は竹刀を構えると、僕に向かって飛びかかってきた。
風が起こり、校長の机の上の資料が舞い、帆希の写真立てが倒れた。
「ぬおお……帆希の写真が……! ガーディアン君、きみには常々これが最後のチャンスだと伝えていたはずだが……」
校長先生も手を焼いていたのかガーディアン。
しかしガーディアンは僕に一撃を見舞うことに夢中で何も耳に届いていないようだ。
その熱意を純粋な教育に向けて下さい。
そして僕たちは校長先生の周りをぐるぐる回って追いかけっこをした。
回るごとに風圧で壁の写真がぺらぺらと剥がれたり、額縁の表面のガラスに亀裂が入ったりし、そのたびに校長先生のスキンヘッドに血管が浮かび上がり、体がプルプルと震え、最終形態に変身する直前のラスボスみたいな近寄り難い雰囲気を放っていた。
が、時間が経つにつれ異変が起きた。
「グゴゴ……貴様……ヌガァアアア……ん……お、おい、そんなに周りをぐるぐる回ると、うっぷ……おえええええええええ!」
僕とガーディアンは並んで校長室から脱出した。
☆
というような艱難辛苦を乗り越え、この家庭科室まで逃げ続けてきたけど、それもどうやらここまでのようだ。
ガーディアンは僕が隠れている棚の前に立ちふさがった。
もう逃げ場はない。
「私はお前のことを少し誤解していたようだ。まさかここまで逃げ続けるとはな。思いのほか骨のある奴だったんだな。だからこそ——」
言いながらガーディアンは棚の扉を開けた。
「教育的指導のし甲斐がある」
ガーディアンが手を伸ばしてくる。
さようなら雪乃、帆希、凛々。
僕は覚悟を決めて目を瞑ろうとした。
その刹那、彼が右手で棚の扉を開け、左手で僕を掴もうとしていることに気づいた。
つまり、武器である竹刀は彼の手から離れている。
僕は思い切って渾身の力で棚から飛びだし、ガーディアンを押し倒した。
「ぐうっ!」
勝利を確信して油断していたのか、彼は思いの外あっさりと倒れた。
僕は彼に体重を乗せて抱きつきながら、片手で近くに転がっていた竹刀を遠くにはじき飛ばした。
「は、離せ!」
突然の抵抗に混乱している様子のガーディアンから飛び降りると、僕は家庭科室を飛びだして再び駆け出した……瞬間、信じられない光景を目の当たりにした。
それは数十メートル先に見える中年の男と犬。
「あれは校長先生と……ドーベルマン!」
ドーベルマンは軍用犬としても活躍していて、探索能力や、戦闘力に優れている犬種だ。
もちろん家庭で飼う場合は、躾にもよるけどそこまで凶暴ではない。
でも校長の側にいる犬はやたらマッチョでいかにも血に飢えていそうな感じに涎を垂らしている。
まさかあれで僕たちを捜しているというのか?
僕はあわてて部屋に引き返した。
「おや、やっと今までの悪行を悔い改め、指導を受ける気になったのか?」
ガーディアンはまだ床に座り込んでいたけど、僕の顔を見てゆらりと立ち上がった。
「それどころじゃない! ドーベルマンが僕たちを捜しているんだ!」
「何を訳の分からないことを言っている! さあ、そこに正座しろ!」
竹刀を拾って飛びかかってくるガーディアン。
仕方ない。
僕はなるべく部屋の外に音が漏れないように、静かに逃げる。
すでにお互い肩で息をしている。
数分ほどの攻防の末、僕は窓際に追いつめられた。
竹刀を構えたガーディアンは目の前に迫っている。
二人は足を止めて、しばらく見つめあった。
僕は微笑みを浮かべていた。
とうに日は沈み、剣道の面の奥のガーディアンの表情は読めない。
しかし、彼もまた今の僕と同じ顔をしていることは直感で分かった。
さわやかな気分だった。
お互いに死力を尽くした。あとは潔くその結果を受け入れよう。
ガーディアンは刀を大上段に構えると、僕に向かって真っ直ぐに斬り下ろしてきた。
「やっぱり怖い!」
僕はそれをさっとかわした。
「うわっはー!」
ガーディアンは全力で放った攻撃をかわされ、体勢を崩した。
彼はよろめいて僕の後ろの、開け放たれていた窓にもたれ掛かってしまった。
「危ない!」
そのまま窓の外に落ちそうになった彼を見て、僕は反射的に彼につかみかかった。
「うっ、うわああ!」
彼の重さを支えきれず、僕たちはもつれ合うようにして、窓から落ちた。
しかし、よく考えたらここは1階だったので大したことはなかった。
「いてて、ふう、今日は散々な目にあったなあ」
お尻の土をはたきながらまたガーディアンからの逃走を開始しようとすると、すぐ側を校長とドーベルマンが通りかかった。
「ふう、ストレスの解消には犬の散歩が一番だわい。ん、お前等まだいたのか。早く帰りたまえよ。ガーディアン君は明日反省文を出してくれれば今日のことは不問にするからね」
そういい放つと彼は涎を垂らす犬にビーフジャーキーを与えながら去っていった。
もうすっかりさっきの怒りは消えているらしい。
帆希と校長先生、やっぱり似てるかも……。
それから僕はガーディアンの方を見た。
さっきからぴくりとも動かないし、1メートルに満たない高さからの落下とはいえ心配だ。
僕は彼の意外と細い背中を抱き起こして、顔をのぞき込んで、絶句した。
「……」
面はさっきの衝撃で外れていて、そこにいたのは、ポニーテールの美少女だった。
「ん……」
少女は気を失っていたものの、すぐに目を覚ました。
「あれ……私は……」
彼女は僕の驚愕の表情を見ると、側に転がっている自分の面に目をやり、それから自分の顔をペタペタ触り、
「〜〜〜〜〜!!」
ぷしゅー! という音を立てて顔を真っ赤にさせた。
「ち、違……、私は……っ!」
「あの……」
「!!」
声をかけようとした僕を突き飛ばして、ガーディアンは顔を隠しながら走り去って行ってしまった。
……何だったんだ。
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