10 風邪


「じゃあ、行ってきまーす」


 皆で朝食を食べた後、いつも通り下駄箱まで妹を送った。朝7時少し前。


「ふう……」


 思わずふらふらした僕を帆希と凛々が支える。


「大丈夫、ふーちゃん?」

「すまない、私が一昨日バスタオルを持っていってしまったばかりに……」


 あれから二日、僕は風邪を引いていた。

 昨日は少し具合が悪い程度だったんだけど、今日になって熱が出た。

 原因はおそらく濡れたまま裸で歩いていたからだろう。

 十中八九。


「いや、全然帆希のせいじゃないって。僕が制服を持って行き忘れなければあんなことにはならなかったんだから」

「でも……」

「とにかく、学校にはちゃんと行ってよ。クラス違うけど、同じ先生の授業はノート見せて欲しいし」


 帆希は僕が風邪を引いたのは自分のせいだと言い張って、学校を休んで看病しようとしている。

 凛々は帆希が休むのなら自分も休んで看病すると言っているし、さっきも言った通りどう考えても自業自得なんだから、僕に構わず学校に行ってもらいたい。

 ずっと一緒にいたらうつす可能性があるし。


 雪乃に至ってはもし僕が風邪を引いてると知ってしまったら100パーセント学校を休んで看病するだろうし、その看病の内容も心配だ。

 という訳で、彼女には今日学校を休むことを伝えていなかった。

 勘が鋭い奴だから気取られないか心配だったけど、どうやら気付いていないようだった。


「わかった。学校が終わったらすぐ帰るから、ゆっくり寝てろよ」


 帆希と凛々はなおも心配そうにしていたが、のろのろとした足取りで外に出て行った。

 ふう。

 最近環境が急に変わったりして少し疲れてるし、今日はゆっくり休ませて貰おう。

 雪乃に気付かれないために制服に着替えていたので、それを脱いでパジャマを着なおす。

 布団にもぐると、遠くから学校のチャイムが聞こえてきた。


…………………………

……………………

………………

…………

……


 目を覚まして起き上がると、何かが太ももに転がり落ちた。

 これは、濡れたタオルだ。

 乗せたばかりなのか、まだ冷たい。

 アニメとかマンガで風邪を引く話の時はよくおでこにこういうタオルを乗せる描写があるけど、実際にやってもらったのは初めてだ。


 もう帆希が帰ってきたのかな?

 まだそんなに寝てないと思うけど。


 ふと気配を感じて横を見ると、メイド服を着た女性が膝立ちでこちらを覗きこんでいた。


「うわわっ」

「まだ寝てないと駄目ですよ」


 そう言うとメイドさんは僕に布団をかぶせ、またタオルを頭の上に乗せてくれた。


「あの、ずっと見ててくれてたんですか?」

「はい。お嬢様から蕗乃さんがお風邪を召されたという連絡をいただいたので」


 この人が帆希のメイドさんか。


 雪乃がヘリコプターで登校するときに一度離れた場所から見たけど、間近で見ると若くて綺麗だ。

 二十歳くらいだろうか。

 帆希の話を聞く限りではどうやらここには一人しかメイドさんがいないようだし、この人が校舎の掃除や植物の手入れ、防犯などを一手に引き受けているのだろう。


「あの、すみませんいつも。面倒なことを全部やってもらってるみたいで……」

「いいんですよ。お嬢様の近くにいられて幸せですし、それにこの生活も結構良いことがあるんですよ……」

「? そうですか……」

「それよりもうお昼ですよ。食欲はどうですか? とりあえずリンゴを用意しておきましたけど」

「あ、はい、いただきます」


 メイドさんは机の上に置いてあるリンゴとナイフで剥くと、フォークで刺して、僕の口元に運んだ。


「はい、あーん」

「あ、いや、自分で食べれますから!」

「遠慮しないで良いんですよ」


 半ば強引にリンゴを口の中に押し込められる。

 それから5分ほどで食事を終え、薬を飲む。

 一人でリンゴ丸ごと1個食べると結構多く感じるな……。


 それにしてもさっきのタオルといい、なんてベタな展開なんだ。

 この調子で行くと次は……、


「そういえば蕗乃さん……」


 メイドさんが僕の首筋の辺りを見つめる。

 ま、まさか……。


「汗が凄いですね。拭いてあげます」


 やっぱりいいいいい〜!


「い、いや、本当にいいですから!」

「駄目です。大人しくしててください」


 そう言うとメイドさんは強引に僕の服を脱がせ、濡れたタオルで背中を拭き始めた。


「…………」


 背中を拭き終わると、次は腕を拭いた。

 二人とも無言だ。

 それから前に廻り、胸やおなかを拭う。


 それが終わると、いきなりズボンを脱がされた。


「ちょ、下は自分でやりますって!」

「こんな時に何恥ずかしがってるんですか。じっとしててください!」


 メイドさんは僕の静止も聞かず、さっきよりも強い力で足を拭き始めた。

 膝の辺りに彼女の息がかかる。何か少し興奮してないか?

 顔も赤い気がする。


 ふと机の上を見ると、さっき食べたリンゴの皮やナイフの他に、スケッチブックが置いてあった。

 そして開いてあるページに描いてあったのは……。


「さあ、最後はここですね……」


 メイドさんは遂にトランクスを脱がそうとしてきた。


「ま、待ってください」

「何ですか、この期に及んでまだ抵抗するんですか? 無駄だと知っていながら……。くふふ」


 何かキャラが変わってきたぞ。

 それより。


「これは何ですか?」


 僕はスケッチブックを指差した。

 そこには僕の寝顔や、リンゴを食べる姿、裸の背中などが描かれていた。


「まさか、絵のヌードモデルのために僕を脱がせようと……?」

「ち、違います! これは、その、ただの退屈しのぎというか、体が勝手に……」


「………………」


 メイドさんをジト目で見ていると、最初は焦りの色を浮かべていた彼女は、やがて俯き、


「お願いします! 夏コミの新刊……じゃなくて芸術のために協力してください!」


 土下座してきた。

 えー……。


「さあ、早く私に全てを委ねてください! あなたはただ私に言われたとおりのポーズを取ればいいんです。そうですね、今は風邪を引いているから無理はさせませんが、いずれは私の服を着て男の娘のモデルを……」

「嫌だああああああああ!」


 そうだ、思い出した。

 このメイドさん、僕が寮を出るときに、退寮届けを出す代わりに、僕が隣の部屋の男に夜這いを仕掛けて追い出されたという噂を流したトンデモメイドさんじゃないか!

 何で今まで無邪気に信用してたんだろう。


 必死に抵抗したものの、メイドさんのパワーとスピード、そしてガッツに押され、ついにトランクスに手がかけられた。


「優しく……してね?」


 僕が諦めて目を閉じた瞬間、第三者の声が部屋に響いた。


「お兄ちゃんから離れて!」

「雪乃!」


 そこには学校に行ったはずの僕の妹が立っていた。


「どうしてここに!? まだ帰ってくるような時間じゃないだろ!?」

「ふふふ、私がお兄ちゃんの体調の変化に気づいてないと思った? 学校に行くふりしてずっと影でお兄ちゃんの事見守ってたんだよ。まあすぐにこのメイドさんが来たせいで何もできなかったけど」


 やっぱり気づかれていたのか。

 いつもは名残惜しそうに学校に行くのに今日はやけにあっさり行ったと思ったらそういう事だったのか。


 メイドさんはやれやれと肩をすくめると、


「今日のところはこれくらいにしておきましょう。しかしまだ諦めたわけではありません。私は何度でも甦るでしょう。この世に同人があるかぎり……」


 そして彼女は煙玉を床に叩きつけ、煙幕と共に消え去った。


「メイドさん! スケッチブック忘れてるよ! 持って帰って!」


 雪乃はしばらくスケッチブックを眺めて、


「この絵柄はまさかあの成人向けの兄妹物専門サークルの……」


 とか、


「今度会ったらぜひサインとリクエストを……!」


 とか呟いてたけど、僕の方に向き直ると、


「大変だったね、お兄ちゃん。熱は大丈夫?」

「ああ、だいぶ良くなったよ」


 また妹に心配をかけて学校を休ませてしまったのは遺憾だけど、おかげで助かった。

 今回ばかりは妹に感謝しないとな。


 彼女が食堂から持って来てくれたスポーツドリンクを飲んで一息付いていると、


「ところでお兄ちゃん」


 妹が僕の全身を熱い目でみている。

 しまった、まだトランクス一丁のままだった。


「また汗かいてるね。私が綺麗にしてあげるね」


 妹は手をわきわきさせながら僕に迫り、


「〜〜〜〜〜〜」


 旧校舎に僕の断末魔の声がこだました。

 結局妹の献身的な看病のおかげで次の日には風邪は治ったけど、何か大切な物を失った気がする。

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