1 家出少女と旧校舎
化学の先生の髪が実はカツラなんじゃないかとか、古文の先生が昔暴走族だったとか、とかく学校にはゴシップ・噂話が絶えないものだけど、旧校舎に関する話もそのうちの1つだった。
どうやら女の子の幽霊が出るらしい。
僕が通うこの高校の校舎は、今年に入ってから完成した建物で、丘の麓に建っている。
だけど僕が去年中学生の時にここの学園祭に来たときは、校舎は丘の頂上に建っていた。
新しい校舎が建った現在でも残されているその建物は、今では旧校舎と呼ばれている。
その旧校舎は、特にどこかにガタが来ているというわけでもなく、古い木造校舎とかでもない、どこにでもあるような校舎だった。
規模も今の校舎と変わらない。
つまり、建て替える必要性は全く感じなかった。
そんな旧校舎だけど、現在は使われていない。
部活とか、委員会とか、補習とか、そんなことに使われている様子も一切ない。
もぬけの殻のはずだ。
新校舎をわざわざ造った理由に関して生徒の間で色々な噂が立つのは当然だった。
ある人は耐震構造に問題があったからだと言い、ある人は化学の実験に失敗して有毒な物質が蔓延したからだと言い、ある人は、自殺した生徒の幽霊が出るからだと言った。
だけどどの意見も決定打に欠けていた。
もし旧校舎に何らかの問題があるんなら、まずは取り壊してから新校舎を建てるのが普通じゃないだろうか。
色々な謎を孕み、噂好きな生徒の興味を引きつつも手がかりをつかめないままだった旧校舎問題だけど、最近になって新たな進展があった。
幽霊を見た人が複数現れたのだ。
その少女の幽霊は、旧校舎の屋上あたりをぐるぐると行ったり来たりしているところを、新校舎の屋上やグラウンドから目撃されたらしい。
僕はクラスの女子が話しているのを離れたところから何となく聞いていただけだったけど、どうやら学年や性別を問わず、目撃者が数人いるみたいだ。
しかし、その真偽を直接確認した生徒は、僕が知る限りでは皆無だった。
その理由は単純で、旧校舎が現在立ち入り禁止区域になっていて、門も閉じられていて、新学年が始まって2週間で早くも規律を乱そうとするような生徒はこの高校にはいなかったからだ。
そしてそれは、僕が旧校舎に侵入しなくてはならない理由でもあった。
僕の趣味は隠れ家を探すことだ。
誰もいない場所で、お弁当を食べたり、携帯ゲーム機で遊んだりするのは、僕にとって至福の時間だった。
幽霊が出る、しかも誰にも使われていない校舎なんて、隠れ家として最高じゃないか。
以前テンションが上がりすぎて部屋でマイケルのダンスを激しく踊っていたところを偶然妹に見られたときは、3日間ご飯も喉を通らなかった。
だけど旧校舎では恥ずかしいことをしても見られる心配はあまりないだろうし、見られたとしても幽霊の仕業になるだろう。
マイケルのダンスを踊る幽霊が学校の怪談として適切かどうかはともかくとして。
これで一人遊びにも拍車がかかるというものだ。
そんな訳で、僕には友達がいなかった。
……まあそんな事はどうでも良くて、とにかく僕は、人が見ていない時を見計らって、坂道をふさぐ立ち入り禁止のポールを越え、足早に丘の上に向かった。
しばらく黙々と坂を登る行為を続けるとようやく旧校舎の門が見えた。
去年までの生徒は毎日この坂を上っていたのか……。
門は当然鍵がかかっていたものの、その攻略は簡単で、ただ脇にある植え込みに上って入ればいいだけだった。
そしていよいよ一番の難所である建物の扉が目の前に現れた。
まあ、ここに鍵がかかっていたらもうどうしようもないし、さすがにそこまでして隠れ家を探すこともない。
ここのグラウンドを独り占めできるだけでも大きな成果だ。
と思ったけど、驚いたことに、扉には鍵がかかっていなかった。
僕は少し戸惑いを覚えながらも、めでたく建物内への侵入を果たした。
下駄箱を越えて廊下に出ると、そこにはカーペットが敷かれていた。
それも、学園祭の時に敷かれていたような安っぽいマットではなく、豪邸にあるようなカーペットだった。
土足で歩くのは少し躊躇われるので、なるべく脇を通りたくなるような。
そして、壁には絵画がかけられていた。
カーテンが閉じられていて外からは気付かなかったけど、明かりも点いている。
これらのことを総合すると……、
「この建物、普通に使われてるじゃん」
話が違う。
がっかりだ。
っていうかこれはまずい。
立ち入り禁止の看板がある以上、生徒はここを使用しないはずだ。
そこらじゅうに飾られている高級な調度品などから類推するに、今ここを使っているのは先生かそれ以上の人達だろう。
このままでは隠れ家に使えないどころか、見つかって怒られる可能性が高い。
すぐに出た方がいいな。
そう思って、下駄箱の方に踵を返すと同時に、目の前にある女子トイレから、水の流れる音と足音がした。
やばい! 見つかる!
僕はなるべく音をたてないようにちょこちょこと走って、そばにあるガラス扉を開け、中庭に出た。
しかし、ここはよく見たら廊下の窓から丸見えだった。
反対側の窓と違い、こっち側の窓にはカーテンがかかっていなかった。
このままでは見つかってしまう。
焦りながら辺りを見回すと、庭の真ん中に巨大なゴリラの銅像があり、その側には地下に続く階段があった。
僕は数瞬迷った後、そこに飛び込んだ。
地下は螺旋階段が続いていた。
去年学園祭に来たときはこんな階段はなかったと思う。
電気もしっかり点いてるし、おそらく、現在この学校を使っている人のために後から作られた階段だろう。
だとしたら、ここに逃げ込んでしまったのは、わざわざ敵のアジトに飛び込むような行為だけど、今更引き返すわけにもいかない。
しばらく螺旋にそって降りると、下のほうから水音が聞こえてきた。
それと共に微かに聞こえる……鼻歌?
僕は螺旋階段を下りると、音がする方に向かった。
本来ならここから逃げたほうが良いんだろうけど、テンポと音程を大きく外したような、緊張感とはかけ離れた呑気な鼻歌に引き込まれてしまった。
廊下を進んで、のれんをくぐると、かごや体重計、扇風機や洗濯機などが置かれている部屋があった。
そしてその先の扉を開けると、
そこには、全裸の美少女がいた。
「ふんふふふんてっててー♪」
その青髪の少女は、鼻歌を歌いながらシャワーを浴びていた。
しまった!
お風呂場に迷い込んでしまった!
旧校舎に勝手に侵入したことに加え、覗きまで……。
もしこの事が先生にばれたら……うふふ、退学もあり得るかも……。
僕が器用に顔を赤くしたり青くしたりさせながら慌てふためいていると、
「誰かいるのか?」
やばい、気付かれた!
僕は一目散にこの部屋……脱衣所から逃げ出そうとする。
が、その辺に脱ぎ捨ててあった、少女のものと思われる衣類——この学校の制服だ——でうっかり滑って転んでしまった。
慌てて起きあがり、後ろを向きながら再び遁走しようとすると、今度は少女が食べ散らかしたと思われるバナナの皮につまずいてしまった。
「んぎゃっ!」
尻餅をついた拍子に、僕は後ろにあったゴミ箱にすっぽり入り込んでしまった。
「うおお、抜けない!」
お尻がはまって身動きがとれない!
体を揺すって何とか脱出を試みようとすると、ゴミ箱が倒れ、僕の体ごとコロコロと転がる。
そこに、先ほどの美少女がお風呂場からでてきた。
少女は僕の姿を確認すると、慌ててバスタオルを体に巻き付け、こちらにやってきた。
これから先生達に突き出されるのだろうか。
こんな情けない格好で。
それで退学になったら離れて暮らしている両親や妹はどう思うだろう。
僕が絶望的な気分に包まれていると、
「可哀想に、みんなに捨てられたんだな……」
少女が意味の分からないことを言い出した。
「クラスのみんなに邪魔者扱いされてゴミ箱に捨てられ、命からがら坂道を転がり上がって逃げてきたんだろ?」
「どんな解釈だ!」
僕は自分の立場も忘れて叫んだ。
ゴミ箱にはまりながら坂道を転がり上るって……なかなか壮絶なストーリーだ。
「違うのか? でもゴミ箱にはまっていることに、他にどんな解釈が?」
「そうだなあ、たとえばお風呂を覗いていたのがばれて、慌てて逃げようとしたら転けてすっぽりはまっちゃったとか」
「あはは! そんなマヌケな奴がいるわけないだろ!」
裸にバスタオル1枚の少女は、ひとしきり笑うと、僕を倒れている状態から起こして、肩に手を置き、悲しい目を向けた。
「私に気を使わせないように冗談を言っているんだろ? 君は優しいな」
僕は普通に正直に話してるだけなのに、罪悪感で押しつぶされそうだ!
でも誤解が解けたら解けたで、退学が待ち受けているだけなので、僕は慌てて話題を変えた。
「と、ところで君はこの学校の生徒だよね? ここは立ち入り禁止だよ? 何でここにいるの?」
それは本来僕に向けられるべき質問だろうと心の中でセルフ突っ込みをしつつ、尋ねた。
「何でもなにも、ここは私の家だぞ」
「へ?」
「ここで自立して一人暮らしをしているんだ! 偉いだろう」
えっへん、と胸を張る美少女。
「パパが私のことをいつまでも子供扱いして、着替えを手伝おうとしたり、学校に毎日車で送り迎えしたりするのが鬱陶しいから、家出した!」
「家出!?」
「高校に入ったら一人暮らしさせてくれないともう2度と一緒にお風呂に入ってあげないって言ったら、新しい校舎を造って、古い校舎は私に譲ってくれることになった。ここなら一人で登下校しても安全だからって」
「お風呂なんて、もともと小さい時以来一緒に入ってないのに、パパはちょろいな!」
と彼女は小悪魔っぽい笑みで言った。
「新しい校舎って、そんな事……」
「パパはこの学校の校長兼理事長だし、お金がたくさんあるからそんなの簡単にできちゃうのだ!」
ニコニコと無邪気な笑顔を僕に向ける少女。
理事長の娘だったのか……っていうか、
「そんな理由で新校舎が誕生したのか……」
僕はがっくりとうなだれた。
知らない方が良かった……。
それから彼女は僕をゴミ箱から引き出してくれた。
僕はそれはもう見事にゴミ箱にはまりこんでいて、一生懸命僕の両腕を引っ張ってくれていた少女も徐々に、
「これが最新のファッションだと主張すれば……」
とか、
「でんでん虫やヤドカリのような生活も悪くないぞ……」
などと弱気な発言をするようになったものの、何とか抜け出すことができた。
抜けるときに、勢いが余って彼女を押し倒してしまい、その拍子に彼女のバスタオルが外れるアクシデントが発生したものの、お互いに忘れることにした。
彼女はバスローブを羽織り、僕たちは、旧校舎の5階に移動した。
その階の端から2番目の教室が、彼女の部屋だった。
「そういえば名前を聞いていなかったな」
「僕は1年2組の雨降蕗乃」
「蕗乃か。私は佐渡帆希。帆希と呼んでくれ。クラスは1組だ……と、ここが私の部屋だ。着替えるから少し待っていてくれ」
帆希は教室の前で僕を待たせると、部屋の中に入っていった。
ちなみに、教室の扉は一部がガラス張りになっているから、簡単に中を覗けるけど、もちろんそんなことはしない。
しばらくして彼女に呼ばれて中に入ると、そこにはタンスやら天蓋付きのベッドやら色々なものが揃っていて、とても元教室とは思えなかった。
「凄いだろう!? メイドに私の部屋の物を全部運んで貰った。部屋の掃除は私が学校に行ってる間にメイドが全部やってくれるから楽だし」
「それを自立した一人暮らしと言えるのかな……?」
「むー、そんなこと言って、蕗乃は一人暮らしなんかしたことないだろ?」
「いや、寮だから一応一人暮らしじゃないかな? まあ寮費は親に出して貰ってるし、仕送りもして貰ってるから自立してるわけじゃないけど」
「なるほど……寮……寮か……」
腕を組み、思案顔の帆希。
突然彼女は悪人のような笑みを浮かべた。
「……つまり、蕗乃が突然いなくなっても、家族は気付かないんだな」
「一体何を企んでるんだ!?」
思わず後ずさる僕。
まだ出会ってから少ししか経ってないけど、早くも彼女の思考についていけない感があるな……。
「よし、今日からここで一緒に暮らそう!」
「え」
「家出した者同士肩を寄せあって生きていこうじゃないか」
「いや、別に僕は家出してきたわけじゃ……ちゃんと寮だってあるし」
「ここだって寮みたいなものだぞ。むしろここの方が学校に近いし、一体何の不満があるんだ?」
不満……は特にないけど、突然そんなこと言われても普通は困るだろう。
寮での生活にもやっと慣れ始めた頃だし。
それに今日知り合ったばかりの女の子と二人暮らしっていうのもなあ……。
僕がブルドッグのような渋い顔をしていると、
「たのむ! ここに引っ越してきてくれ! 寮への連絡とか、荷物の移動とか面倒な作業は全部私……のメイドがやるから!」
「何でそんなに必死なの!?」
僕の肩をつかんでしつこく食い下がる帆希を不審に思いつっこむと、彼女は俯いてぽつりとつぶやいた。
「寂しいんだ……」
「えっ」
「こんな広い校舎に一人きりで、理事長の娘は狙われやすいからって一人で学校の敷地の外に出ることは禁止されてて、結局家にいるのと大して変わらないし、友達も出来ないし、料理もうまくいかないし、楽しみといえば孤独を紛らわせるためにネット通販で大量に買い込んだゲームや漫画だけ……。自分で望んで一人暮らしを始めたのに……」
「あー……」
確かにこの広い校舎で一人で暮らすのはきついかもしれない。
隠れ家にするのと、本当に住処にするのとではぜんぜん違う。
「3日くらいは裸で広い校舎を走り回ったりして楽しめるかもしれないけど、そんなのはすぐに飽きるだろうし、なかなか退屈そうだねぇ……」
「いや、私は別に裸になったりはしなかったけど……」
何故か少し引いている感じの帆希だった。
裸になる程度ではお嬢様には刺激が足りないのかな……。
「パパには自立するとか偉そうなこといったのに、本当は逃げてるだけだった……」
帆希の目には涙がにじんでいた。
僕は女の子の涙に多少うろたえながら、
「僕も一人でしっかり生活できるようになろうと思って、寮での生活を選んだ……つもりだったんだけどさ、本当は家族から逃げたかっただけなのかもしれない」
「家庭に何か問題でもあるのか? よかったら、私に話してくれないか? 何か力になれるかも……」
涙を拭いて僕の目を見つめてくる帆希。
「僕の妹は……ストーカーなんだ」
我ながら残念な告白だった。
帆希は何を言っているかわからないというような顔をしている。
だけど事実なんだ。
詳しいことは別の機会に話すけど。
「だから僕は妹から逃げるようにして家を出た。きっと大抵の人はそんな感じだぜ」
ストーカーな妹はいなくても。
家族から。
生まれ育った町から。
あるいは自分から。
逃げて、逃げ回って、でも「逃げている自分」からは逃げられなくて。
仕方なく向き合っていくうちに、いつのまにか自立しているのかもしれない。
「蕗乃……」
何か言おうとする帆希を遮る。
「それよりゲームしよう」
「えっ?」
突然の話題の切り替えにきょとんとした顔を見せる帆希。
「ゲーム、大量に買い込んだって言ってたじゃん。寮だとそういうの禁止だからさ、そろそろ禁断症状が出そうなんだ。対戦しようぜ。ああ、しばらく、具体的に言えば卒業するくらいまで、ここに住み込んでゲームをやって暮らしたいもんだ」
僕は半ば勢いに任せて、早口で言った。
「蕗乃! じゃあ……」
「もう寮には帰らないぜ。さっそくロックな感じの絶縁状をしたためよう」
「ありがとう! 蕗乃!」
喜びのあまり高く飛び上がり、僕の胸に飛びついてくる帆希だったが、僕は恥ずかしいのでさっと身をかわした。
「べ、別に同情したからとかじゃないよ。ただ、僕も友達いないし、規則が多い寮にうんざりしてたから、こっちに来た方が楽しそうだなって……。この前だって、手頃な板を見つけたから、寮の共同浴場で湯船に浮かべてサーフィンごっこしてたらめちゃくちゃ怒られたし」
「それは酷い話だな。あれ楽しいのに」
おお、僕の趣味に共感してくれる人がここに……。
喜びのあまり高く飛び上がり、帆希の胸に飛びつく僕だったが、帆希は普通に迷惑そうにさっと身をかわした。
僕はしばらく落ち込んだものの、すぐに気を取り直した。
「そんな事より、ゲームだゲーム。うがー!」
僕はゲームを捜し求めてゾンビのように辺りを徘徊し始めた。
帆希はしばらく俯いて、それからニヤッと笑った。
「私は強いぞ。何しろゲームばかりやってたからな」
こうして、僕は寮から家出して、旧校舎で暮らすことになった。
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