最終話 無常
全てが温井紹春の思惑通りだった。
主君の関与に関してはもっと上手い逃れ方があるのだが愚かな主君畠山義綱は言い逃れ一つできなかった。その主君はといえば三人の紹春の追手相手に狭い敷地を逃げ回っているのである。
見世物としては面白いが、このままではいつまで経っても外の長兵に事が決した合図をおくることができない。そうすると飯川光誠本人を取り逃がす恐れがあった。
「よい、二人で追いかけよ、一人は外の続連に連絡にゆけ」
「はっ」
そう返事すると一番太った男が義綱を追いかけるのをやめ、すたすたと門外に出ていった、それと同時に、川吹屋形を駆け回っていた畠山義綱が残った二人により取り押さえられた、顔を抑えつけられた義綱は紹春を見た。その目は怒りと絶望が入り混じった目であった。目は雄弁に語る、特に「負けた男の目」は。畠山家と温井家の全てが逆転した瞬間だった。主君と家臣、主と家来。二十歳になったばかりの小倅はこの瞬間より温井紹春の主君ではなくなったのだ。
それは温井紹春にとって野望が完成した瞬間だったと言ってもいい
今、このときより能登国は「名」・「実」共に温井紹春のモノになったのだ。
それは長く紹春が待ち望んだ事だった。
七人衆という権力機構を作ったのもそのためであったし、遡ると和歌や音曲を鍛錬し畠山義総に気に入られようとしたのもそのためだった。
自然と笑みがこぼれてくる、この歌人だらけ席で、変な歌を作られやしないかとは思ったが、生涯にこれ以上の喜びはないかもしれない。
(今笑っておかねば損ではないか?ふむ笑ってやろう、誰がワシを止めるというのだ)
「ふ、ふふ」
「ふふふふ、ははははは、ふっはっはっはっはっはっは」
歌人一同は一様に不気味がったが、目の前の繰り広げられた政治的意味合いが分かっていたので、皆引きつり笑いし紹春にあわせた。歌人でさえも、彼を同じ歌人仲間などではなく、能登の最高権力者であると認めていた。
するとふと続光のことが頭によぎる、何度も温井紹春に立ち向かって来た、男の姿が
(あの男はどうしておるだろう、飢え死にしてるであろうか、それとも他国で誰かの庇護のもと暮らしておるのだろうか、ヤツはワシが能登を治めた事を知り歯ぎしりするに相違ない)
最大の野望を達成すると、自らの政敵に対してもなにやら愛しさが湧いてくる。
「はっはっはっは、阿呆せがれにも見せたいわ、この様を!!はっはっは!!」
するとその刹那である
「へぎゃ!!」「うお!!」「おおおおお」「ぐお」「ぎゃあああああ」
壁外より人の叫ぶ男が聞こえてきた。
その声は、なんといえばいいのか人の断末魔にも似たような声であった。
「はっは・・・・・・・・・・・な、なんじゃ?」
その叫び声はしばらく続くと、突然終わりを迎えた。
この間、奇妙な沈黙があたりを包んだ。
「川吹屋形」に居た一同の誰もが状況を理解できなかった、あまりの不気味さに紹春さえも笑う事を止めてしまったほどだ。
(なにごとならん)
「キィィ」
奇妙な沈黙を破ったのは「川吹屋形」の内と外を隔てた門だった、その門はゆっくりと徐々に開けられた。
そしてその門が開ききると、そこから現れたのは遊佐続光であった。
温井紹春は己の目を疑った。
まるで自分が悪い呪いにでもとりつかれたように感じる光景である。
目蓋を二三度パチクリさせ、もう一度門の方を見たが、やはりそこに居たのは遊佐続光であった。
(目の間違いではない・・・何がおこっておるのじゃ・・・何が・・・)
温井紹春には何が起こったのか分からない、ただ何かが、自分の中の大きな何かが崩れる音がする。これは何かとんでもない思い違いをしたのではないだろうかと。
続光と目が合った・・・続光のそれは確信に満ちた目だった。
それは先ほど見た畠山義綱と対照的で「勝った男」の目であった。勝利を確信した時にだけ見せる目。
温井紹春は今まで感じたことのない恐怖を覚えた。奥歯が鳴る、手足が震える、汗がとまらない、温井紹春の全生命が目の前の存在を危険と認識していた。自分の完璧な計画に存在してはならない男が目の前にいるのだ。
とにかく紹春は目の前の男を殺さなければならない気持ちが高ぶり義綱を抑えつけていた二人に命令を下した。
「あそこの!あそこの門にいるのは逆臣遊佐続光なり!!その方ら討ちとれ!!早く!!早くじゃ!!!」
「はっ!!」
さきほどまで畠山義綱を抑えつけていた二人が、義綱を抑えつけるのを止め、刀をたずさえ遊佐続光に斬りかかる。
その瞬間、続光を襲いかかった二人の背中に“大きな枝が生えた”。
そう紹春には見えたのである。
だがコンマ数秒後に気づく。
それは枝ではなく、背中から突き出た槍の部分であった。
そして二人の枝が生えた影から黒装束の大柄な男がぬっとあらわれた・・・
温井紹春は己の生涯においてこの時ほど驚いたことはないだろう
その黒装束に包まれた大柄な男は長続連であった。
正確には長続連とその配下達である。
長続連は遊佐続光の隣にくると紹春の顔を見てニヤニヤした。
この瞬間、温井紹春は理解した。
(長続連が裏切ったのじゃ・・・)
続光は温井紹春が驚愕の顔を長続連に向ける光景を見ながら、自分の賭けが成功したのを確認した。
(やはりあの時の判断は間違いではなかった)
時間は少し遡る、“連歌の宴”の一週間ほど前である。
続光は光誠と毒殺計画を決めてから言い知れぬ不安感に襲われていた、それは作戦決行の一週間前であるにも関わらずむしろ増大していたのであった。
続光はこれを前回と前々回の失敗からくる臆病であると決めつけていた。が、やはり気になる。そこで続光は飯川光誠とは別に行動をおこす。光誠は毒の策を必勝と決めつけて動かない以上、続光が自分で行動するしかなかったからだ。
そこで続光が頼ったのは妻の「松の方」であった。松の方は長続連の妹で今は長家にやっかいになっていた、続光は光誠に「穴水に行ってくる」というと乞食姿のままで穴水に潜入した。そして手紙を介し妻に「飯川」と「毒」というワードが長続連の口から出ていないか探らせていたのだ。妻の返事はこうだった。
「兄上から飯川やら毒やらは聞かず、只戦仕度をしている様子、七尾に用があるようで候」
この文面を見て穴水に潜入していた続光は直感した。
(謀が露見している)
確かに文面には「飯川とも毒とも聞かない」とは書かれていたが、戦仕度をしているというのだ、しかも七尾方面に向けて進軍するということで、明らかに“連歌の宴”と重なる日程で長家が動いていたのだ。
飯川光誠から聞いたところによると軍の動きは前回の乱の【伊丹が続光に懐柔され偽りの軍事行動をした件】以来、七人衆に届け出ることになっていた、つまり、勝手な軍の行動はできないのだ。
となると長続連の軍は、ほぼ100%近い確率で温井紹春の意向により動いている事となる。
(ただの警備で良いなら七尾の畠山の護衛兵を使えば良い、そうはいかぬ事情であるからこその長家の軍の動きと言えよう)
(恐らく毒を飲ませようとした罪にて、すぐに飯川屋敷に迫り討ちとる腹積もりでないだろうか?)
「まずい」
続光はすでに計画がバレている事を飯川光誠に急ぎ伝えなければいけなかった。
だが同時に“ある可能性”に気がついた。いや、閃いてしまったと言った方がいいのかもしれない。
それは“七尾に軍を派遣するのが長家だけであるのならば長続連を懐柔すれば温井紹春を殺せる”という可能性である。
もう少し説明を加えると、七尾には町や城を含めても平時は僅かな兵しかおらず、軍事的空白地帯になっているといえる。そこに長軍だけが戦闘可能な軍隊として配備されているならば、七尾の地域一帯を手に入れることも簡単なのである。そういう軍隊を唯一跳ね返しうるのが堅城で知られる七尾城なのだ。七尾城であれば少数の兵で籠られても持ちこたえられる可能性がある。
もしも七尾城に紹春が籠ったとしたら、長軍だけでも討ちとれない可能性がある。
だが今回、温井紹春は七尾城ではなく「川吹屋形」にて“連歌の宴”を催す。
この屋形はただの町の一角にある庭園鑑賞用の屋形でとても防御施設として機能しそうにないのだ、それに屋形のまわりは四方の塀で囲まれているので入口さえ押さえてしまえば逃亡される心配もない。
つまるところ、【七尾に長軍以外に戦闘可能な軍隊がない】状態で【長続連の軍】を味方につけ、【温井紹春を川吹屋形に誘い出すこと】ができるのであれば、ほぼ確実に温井紹春を討ちとる事が可能なのだ。
ここで続光は人生最大の大勝負にでる。
なんと松の方を通じ長続連と面会を求めたのだ。長家が七尾に出立する一日前の話である。
この行動に流石の松の方も面を喰らった。
「何を考えているのです!!」
「いや、続連殿に良き策をもってまいったのよ、はよう案内してほしい」
「こんな所に居ては見つかります!!」
「もう見つかっておる」
そう続光がいうと松の方が振り向く、そこには長続連が近習衆と共にいた。そして続光の方を向き、ゆっくりと目の前に座った。
「首をとるかどうかは話を聞いてからにしてやる」
「うむ、では手っ取り早く話を済ます、長家は今、七尾に向かう為の戦仕度をしておるな」
「それは答えられん」
「全てを話したとてワシの首をとればいいだけのこと、嘘、偽りが混じると話が見えなくなり申す」
「なるほど、では偽りなき答えを言おう、確かにしておる」
「飯川殿の首をとるためよな?」
「!!何故知っておる」
「飯川殿と行動を共にしていた」
「なるほど、では飯川光誠は己の謀が漏れているのを知っておるのか?」
「知り申さず」
「嘘をいうでない」
「知り申さず、偽りなき答えにござる」
長続連は思考する・・・恐らく続光の言葉は嘘ではない・・・なら一体・・・
「・・・そこもとの狙いはなんじゃ」
「言ったでござろう、御辺に良き策をもってまいったのよ」
「・・・」
「“連歌の宴”にて七尾に兵をおかれるのは、御辺だけか?」
「なんじゃと?」
「“連歌の宴”にて七尾に御辺以外の誰ぞの兵はおるのか?と聞いておる」
長続連は少しの間をおいて口を開く
「いや、おらぬな、ワシが七尾にて飯川屋敷を襲い、三宅殿が奥能登の飯川の領地を襲う手筈よ、してそれがどうじゃというのだ」
「ふ、ふははははは」
「なんじゃ気持ち悪い奴め」
「まことに続連殿は強運の持ち主、おめでとうござる、畠山家で一番の家臣になれましたな」
「!!??」
続連は自分の閃いた計画を長続連に事細かに説明した。
「つまり、ワシの兵で紹春殿を討ちとるというのだな」
「その通りにござる」
「で、ワシの利は?」
「温井家は畠山から放りだされ、一番の兵を持つのは御辺になる、つまり畠山家中で一番影響力をもつことになり申す」
「なるほど、じゃがな・・・」
「なにか引っかかりますかな」
「ワシはこのまま温井の下で働くというのもある」
「それはいささか鈍感かと存ずる」
「なに?」
「温井家は三宅家に養子をおくった事で七人衆では三宅殿が優遇されておりますな」
「まぁの、いたしかたなき事よ」
「その目の上のタンコブが貴殿にござる」
「!?」
「もし飯川を討ちとり、畠山を廃した後、一番目障りなのは、温井家や三宅家にとってみれば外様同然の長家じゃ、三宅家は温井家と一蓮托生じゃが、そこもとは違う」
「・・・」
「ここで飯川を討ちとれば次に狙われるのは長家であるというのは火を見るより明らかではござらんか?」
(確かに筋は通っておるな)
「これでも温井につくと?」
「じゃがな・・・紹春が気づかぬか心配じゃ」
「そこでもう一つの策がござる、まぁ策とも言えぬものじゃがな」
「なんじゃ」
「紹春を討ちとれるかどうかは川吹屋形に紹春が現れるかどうかにござる」
「まぁそういうことになるの」
「温井紹春にすれば飯川宗春が己に毒を使おうとするまで待たねばなるまい」
「確かにの」
「つまり飯川宗春という絶好の餌が川吹屋形におる間は温井紹春も屋形におるということではないか?」
「なるほど、つまり飯川光誠も飯川宗春も泳がすというのだな」
「いかにも、事が露見したとあれば奴等は逃げ申す、泳がせば光誠殿はそのまま謀を実行するに相違ない」
「飯川殿を捨て駒にするとはとんだ仲間よ」
「捨て駒にあらず、紹春を討ちとるための策にござる」
「まぁよい」
「これにて得心いただけたか?」
「もう一つある、ワシは七人衆が結成されて以来ずっと温井寄りじゃ畠山の殿よりもな」
「つまり?」
「今更快く迎えてくれるかどうか」
「なるほど、じゃが、その為にワシがおる」
「ほう」
「ワシは飯川殿を通じて畠山の殿と今回の策を話おうてる、畠山家が温井家を葬る為の策にな、そのワシが責任をもって畠山家との仲をとりもってやろう、誓紙に誓っても良いぞ」
「うむ、うーん・・・」
この後、長続連は黙り込んだ
しかし、しばらくすると意を決したように喋り出した。
「この話、確かにワシに利があるようじゃ」
「・・・」
「そなたの策、良き策じゃ」
「では」
「うむ、温井紹春を討つ」
(良し!!!!!!)
こうして遊佐続光と長続連は手を組み、共に七尾にて機会をうかがっていたのだ。
そしてその機会がやってきたのである。
だが、こんな裏があった事を温井紹春は知らない。
ただただ驚愕するしかないのだ。
そうこうしていると、遊佐続光がゆっくりと近づいてくる
温井紹春は刀を抜き精一杯腕を伸ばした。
「来るでない!!来るでない!!衛兵!!何をしておる!!」
続光は大きく目を見開いて後ろを眺めた、まるで
「後ろを見ろよ」
というジェスチャーのようだ
温井紹春はそこで続光の後ろをよーく見てみると、血まみれの衛兵の死体がいくつも散乱していた。
「ひっ」
そうして腕を伸ばし硬直している紹春に続光は更に近づく
温井紹春はとうとう意を決して続光に斬りかかる、それを続光は難なく払いのけ刀をはじきどばした。
紹春はもうどうしていいか分からず続連に叫ぶ。
「その方の領地!!今の倍にしてやる!!じゃから!こやつを!!こやつを殺せ!!」
長続連はただニヤニヤしていた。
「5倍じゃ!!いや、ワシの領地を全てくれてやる!!じゃから頼む!!頼む!!」
続連の顔は物言わずとも、その表情で雄弁に語っていた。
==死人に用はない、死人と約束をして何になる?==
続連には目の前の老人が数秒後に死ぬ未来しか想像していない
紹春は生まれて初めて泣きながら土下座をした、だが同時に腰にある脇差に手を伸ばす
それを見ていた続光は思い切り肩を斬った、紹春は激痛で脇差を放り投げてしまう。
(馬鹿な!!あともう少し!!もう少しじゃったのに!!)
そして遠くに落ちた脇差を拾いに行こうと紹春が続光に背を向ける瞬間つかさずそこを続光が背中に切りかかる。
紹春は声にならない声をだし、脇差にむかってほふく前進をはじめる、その速度は非常に遅かった。
(ワシは温井紹春じゃぞ!!ワシこそがこの能登を統べるに相応しい男なんじゃ!!)
(こんな・・・・こんな阿呆せがれに・・・)
続光は血まみれで這いつくばっている紹春に対し、屈みこんでゆっくりと顔を近づけ本人にしか聞こえないような声でささやいた。
「そなたの夢、ワシが引き受けよう、ワシが能登を手に入れてくれる」
紹春は続光の方をみて何か口をパクパクさせている、その口からはすでに大量の血がでてきていて何を喋っているかは聞き取れない。そんな紹春に続光は更に続けた。
「もちろん、温井も飯川も長も畠山も・・・皆滅ぼしてな」
そういい終わると温井紹春の胸に刀を深々と突き立てたのであった。
紹春は絶命した。
こうして能登の怪物「温井紹春」は死んだ。享年65歳。1555年の出来事だった。
首は七尾城に晒され遺体は川に流したという。
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