第1話 能登畠山氏の成り立ち

この物語は戦国時代後期の能登国が舞台である。


能登国と言ってもピンとこない人は能登半島というと分かると思う、更に分からない人は石川県といえば分かるだろうか、まぁ石川県は能登国と加賀国が合わさった土地であるが、とにかく能登国はその石川県の海に出っ張った半島部分をそのまま能登国と思ってくれればほぼ間違いない。

能登国の最南端は今の富山県と石川県を分け隔てている場所と同じで碁石ケ峰、石動山と平ノ山を堺に北が能登国、南が富山(越中国)といった具合に分かれている、能登と越中の西隣には一向一揆で有名な加賀国があり末森山あたりが境目になりそこから西が加賀国、北が能登国となっている、山脈を隔てているので能登と越中の境目は分かりやすいが、加賀と能登はほぼ平坦な道がつながっている。

この後に何度も出てくるが、この能登の武士たちは加賀の一向一揆と組む事が多い、能登畠山氏の居城が石動山の麓にあったと言われる七尾城であるとすると越中(富山)の方が近く感じるが、越中の武士団と組む事は稀でほとんど一向一揆とつるむという現象をみせている、もちろん政治的背景があったことは間違いないがそれでも加賀から能登まで平坦で来やすかったというのが理由の一つにあると思われる。そういう意味でこれは能登と加賀の話なのかもしれない。




 戦国時代後期、能登は能登畠山氏が室町幕府の要職である「守護」を名乗り治めていた、戦国時代といえば室町幕府の権威が失墜し至るところで下剋上がおこった時期である、隣の越中では守護の河内畠山家を差し置き守護代の神保、地方豪族の椎名が台頭し、加賀では守護の富樫を差し置き宗教勢力である一向宗が国ごと奪うに至った。だが能登国では「守護」である能登畠山氏が変わらず治めていた。少しこの畠山氏の話をしようと思う。


畠山氏と言えば源頼朝にしたがった武士の鑑、畠山重忠や、室町時代の三管領家の1つとして有名である。とにかく畠山家の歴史は偉大なる男、畠山重忠から始まったと言っても良いと思う。

彼は頼朝死後の殺伐とした鎌倉において反乱を起こし死んでしまうが、娘が当時御家人の足利に嫁いだ事で畠山は足利一門として生き延びることとなる。


時は流れ足利将軍をトップとする室町時代になり畠山家は再び名門家として蘇り三管領家の1つに名を連ねるのである。


畠山の本来の嫡流は奥州畠山家らしいが、戦国時代にその存在感はほぼなく河内畠山氏こそがこの時代の嫡流と言って問題ないと思う。河内畠山氏治める領土は広大で河内だけではなく紀伊、越中の守護も兼ねていた、更に能登の守護が二転三転してなかなか決まらなかった事もあり、能登の守護も兼ねることになった。


本来であれば畠山家で長男の満家がこの4国の家督を継ぐはずであったが足利義満の逆鱗に触れたことで畠山家の家督は弟の満慶が継ぐこととなり弟が4国を治める事なった。その後、足利義満が死ぬと兄の罪が赦免された為、満慶は兄に4国の守護をゆずったのだが、この出来た弟に感謝した兄は能登一国を満慶に与えた、ここに初代を満慶とする能登畠山家が誕生し、この後、能登は畠山満慶の子孫が守護として代々治めることになる。




 そして物語はこの満慶から数えて6代目の義総の代からはじまる。

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