12
薄暗い照明のカウンターで男が一人、グラスを揺らしていた。
スーツを一糸の乱れもなく着こなした初老の男だ。
その、グラスを持つ手に影が落ちる。
「……失礼」
男はおもむろにグラスを置き、立ち上がろうとする。
「ちょっとまってください」
「私は君に用はない」
「話があってきたんです。立ち去られたら意味がない」
「……」
「このあと、ここで商談の予定でしたね」
男は浮かせた腰をもう一度椅子へ置いた。
「──勝手にすればいい」
「どうも」
青年は隣に腰掛けると、バーテンに注文をする。
「……こういう席では酒を頼むものだろう」
男は苦々しげに言う。
「嗜好に合わないんですよね。飲めないわけじゃないでしょうけど」
「……雑談をしにきたわけではあるまい。さっさと用件を言え」
吐き捨てるような言葉に、青年は前を向いてゆっくりと言った。
「……もう一度、釘を刺しに来ました」
「……知らんな」
「心当たりがないならいいですよ。──そうそう」
青年の手許へグラスが置かれる。
「──自分の分身が好きになった女の子を犠牲にできなかったことは、そんなにあなたにとって気恥ずかしいことでしたか」
長い沈黙が流れる。
「……貴様はギルドの方針には関与しないはずだろう」
「自分だけのことならほっときます」
青年が自分のグラスに口をつける。
「でも、私は身内には弱いから。……泣かされちゃ困るんです」
「相変わらず、甘いことをしれっと言う」
男の口振りに青年に対する嫌悪感が滲み出す。
「それが嫌なら、さっさとギルドを去ればいい」
「それはできません。エミリアの望みですから……」
青年がそういった途端、男はグラスをカウンターに叩きつけるように置いた。
「──その名を軽々しく呼ぶな……!」
「気に障りましたか」
青年の素振りには動揺の気配はない。
「……口より先に手がでる、ていうのはあなたらしくもない」
「貴様がエミリア様を……そして数多くの同志をギルドから奪い去った……!」
「──違いますよ」
冷静なまま青年は言葉を続ける。
「彼女が去る決心をしたのは、ギルドが意に染まない団体たちへの攻撃を強行したからにすぎない」
「貴様がその甘い価値観をエミリア様に植え付けなければ、いつかは納得してもらえたはずだ……」
「私は私の価値観を基準に、独自で動きます。それが一番最初に契約したときの条件ですから。今更勝手に変えられても困ります」
男はグラスを持つ手に力をこめた。
腕がかすかに震え続けている。
「やはり……貴様の存在は危険すぎる……」
「──お客さまが到着したようですよ」
青年は静かに席を立った。
「確かに貴様は死なないかもしれないが……ギルドへの干渉からは手を引いてもらわねばならない」
「憎まれたましたね……だが、まだわかりやすい。私は君から大事な人を奪い去った人間ですから」
「……」
「大義やら、理想やらの話をされるよりまだましです。ですが、私を悪者にすることによってあなたの意趣は晴れるのですか?」
青年は静かにその場を去った。
憎しみの表情をたたえた男を残したままで。
†
「……心配かけたわね」
ジンジャーさんを連れて私が戻ってくると、エミリアは既に目を覚ましていた。
「あら……シャロンが護衛の人が来てくれてるって言ってたけど、貴方だったのね? ジンジャー」
「──ご無沙汰してます」
ジンジャーさんがエミリアに会釈する。
顔見知りだったのか。軽く驚いた私の表情を見て取ったのか、エミリアが微笑んで言った。
「ジンジャーは私の仕事を引き継いでくれた人なのよ」
エミリアの仕事? ……そういえば、エミリアはギルドと縁のある人だった筈……でも。
「あの……」
おずおずと私は尋ねた。
「エミリアは、昔ギルドにいたの?」
「えぇ」
笑顔のまま答えるエミリア。
「私はアルの部下だったのよ。ギルドの仕事をやめる事にしたとき、ジンジャーに後を引き継いでもらったの」
……部下? でも。
「エミリアの事、ギルドの創始者の関係者って……聞いた、けど……」
はっきり聞いていいのかわからなくて、だんだん声の小さくなる問いにエミリアがくすくす笑いながら聞き返した。
「それ、アルが言ったの? 嫌だわ……」
どう反応すればいいのかわからなくて困っていると、エミリアが続けて答えてくれた。
「間違いではないのよ。私の、伯父に当たる方が──もうかなり前に亡くなったけど──ギルドの中央の仕事をしていてね。自分の子供がいない方だったので、娘のように可愛がってもらってたの」
「……」
「私の両親もギルドの業務を生業にしていたし、ほぼ自然に学校を卒業してすぐにギルドの職員になったのよ。今は自分から縁を切ってしまったから、こんな処でのんびりしてたんだけど」
エミリアの目が遠くをみつめるように細くなる。
「ひどい話ね。アルの事は、ギルドから離れられないようにしてしまったのに──」
「お言葉ですが」
ジンジャーさんが鋭く言葉をはさむ。
「特佐は自分の自由意志で任務を行っているにすぎません。エミリア様の気にする事では……」
「有難う、ジンジャー。でも、きっかけを作ったのは私だわ」
ジンジャーさんが複雑な表情で黙り込む。そんなジンジャーさんの横顔をエミリアは確認すると、私に向き直って言った。
「ねぇ、シズ。昔話を聞いてくれるかしら?」
私は、戸惑いながら頷いた。
「隠してた訳じゃないのよ。ただ、とてもとてもたくさんの事があって……どれが欠けても、本当にはならない、一度に話すには、ちょっと長いお話……」
ジンジャーが軽く頭を下げて、中座しますと言った。
エミリアは頷いて──静かに話し始めた。
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