18

 持ち上げる事すら出来ない鞄を引きずり続けて五分。

 重い……五十センチ動かすだけで呼吸を整えなければならないほど──

 鞄の取っ手を離し、手のひらをしげしげと見る。握り締めすぎて朱く染まった指。

 こんなものを身一つで持ってきたジンジャー。自らを『兵器』と名乗った、その言葉が現実感を帯びてくる。

(……それでも)

 これが彼女を助ける事のできるものなら。

 私はきっと目的地の方角をにらみつけ──

(間に合いますように)

 取っ手にかけた指に力を込めた。


「防ぐだけか? ジンジャー」

 息を乱さぬまま、ローレルは問う。

 放たれる銃弾を、ひたすら鉄骨で防ぐジンジャー。

「──つまらないな」

(ローレル……)

 殺したくないから。

 今の彼に伝えても、笑いとばされるだけの理由。

 同じ目的の為に生まれ、作戦を忠実に遂行したがゆえ意識を書き変えられた「彼」を……二度も殺したくない。

 そこに隙が生まれた。

 ふっと浮かぶ笑み。

(……しまっ──)

 真正面からローレルが突っ込んでくる。

 そのまま、銃を持った手の甲でジンジャーの横顔を殴りつける。

 小さな身体がそのまま強い勢いで壁にぶつかり……跳ね返って、落ちた。

 起き上がろうとして力を入れた腕を、少年の足が押さえつける。

 額の上にポイントされる銃口。

「──これでも、本気にならないか?」

「──」

 ジンジャーの表情が苦しそうに歪む。

 『あれ』さえあれば、少なくとも負ける事はないのに。

 ──否。理性が仮定を否定する。

 この状態を予想の範疇に入れなかった時点で自分の負けなのだ。

 ジンジャーは深く息を吐き──目を閉じてその瞬間を待った。


「……?」

 殺意が自分からそれたのを感じた。

 銃口が額を離れる。

 視線を、動かす。ローレルの視線の先……そこに、小さな人影がいた。

「……ジンジャー!」

 シズ……? まさか。

 あの重量の鞄を、そう簡単に持ってこられる筈がない。

 そう思って、シズを見る。汗だくの表情と、真っ赤になっている指。

 ──あの部屋からここまで引きずってきたのか。


 ジンジャーが私を見てる。

 ──彼女は私の意図に気がついた。


「……!」

 ジンジャーがてこの要領で身体を起こし、ローレルの足の下から左腕を引きずり出し──そのまま私の──アタッシェケースの元へ走り出す。

 瞬間衝撃を感じ、私の身体は後ろの壁にぶつかった。

 ほぼ同時に、壁から伝わる別の振動。

 ジンジャーが素早く中の銃を取り出し、銃弾を装填する。一方、ローレルも一旦シズへと移動した目標をジンジャーへ戻し──

 お互いの額に銃口をポイントした状態で止まった。

 ──もっともそれは一瞬の出来事で、最後に見えたその状態から推察したにすぎないのだけど。

 壁には穴が開いている。……私がいた筈の方向に。


「……なるほど、武器が不足だったか」

 苦笑気味に呟くローレル。

「退いて下さい」

 ……ジンジャーが宣告する。

「貴方の装備では私の機能を完全に停止できない。──しかし、私の『これ』は貴方の機能を完全に止められます」

「……『執行人を処刑する者』(カーマイン)か……いかれた科学者どもが嬉々として作り上げた、お前と共に生まれた限定兵装……『実行者』抹殺の為に作られた『裏切りの魔銃』……」

「……」

「引き金を引いたら? ……そうすれば僕の中の『誰にも平等な殺意』は消せる」

 ほぼ書き変えられた「彼」のなかに、ふっと最初の「彼」が見える。

 凍りついたような刹那の時間──

 沈黙は数人の足音で破られた。


「……邪魔がきたか……」

 舌打ちするようなローレルの言葉。


 ……加勢?

 目の前が真っ暗になる。

 男達の服には見覚えがある。マーティンやダグが着ていたのと同じ──ギルドの軍組織の制服。

 どうしよう。壁に打ち付けられた痛みで、身体が動かない。

 ジンジャーを……エミリアを、助けられない──?

「下がって下さい。後の処理は我々で行います」

 近寄ってくる隊員。ローレルは不機嫌な表情ながらもジンジャーを放し、隊員のほうへ歩み寄った。


 ぱん。──乾いた破裂音が鳴る。


「……な……」

 驚愕の声を上げたのは、隊員達のほうだった。

 ローレルへ歩み寄った隊員はすでに事切れている。

「興が褪めた……帰る。君達も帰るんだね」

「……任務です……それを」

 何か言いかける男を、別の男が制す。その様子をちらっと見て、ローレルが呟いた。

「任務? ──雇い主が僕を信用しなかったんだから、別に失敗したって僕のせいじゃない。……君達で憂さ晴らしさせてもらってもいいけど、結局気分転換にもならなさそうだしね」

「……」

「もっとも、自分から憂さ晴らしの材料にしてほしい、っていうんなら止めないけど?」

「……逆らうな。無駄だ」

 そんな囁きが聞こえる。

 他の隊員が仲間の死体を抱え──他の隊員達も背を向ける。そのまま向こうへ歩きだし──そして、見えなくなった。


 ……助かったの?

 ぼーっとした頭のまま思う。

 なぜ彼らが目的を諦めたのかわからなかった。

 わからないまま──あの男の子の気まぐれに感謝するしかないみたいだった。


「……シズ」

 気がつけばジンジャーが目の前に立っていた。

「ジンジャー……大丈夫」

「……どうしてですか」

 私は驚いて、ジンジャーを見た。

 声は抑えてるけど──ジンジャーは怒ってる。

 その……褒められるとは思ってなかったけど、怒られるとも思っていなくって。

「どうして、特佐といい、貴方といい……自分の命を危険にさらすような真似を──」

「だって──ジンジャーをほっとけないよ」

 私がそう言った途端……ジンジャーがすとんと倒れこんだ。

「ジンジャー?」

「……申し訳ありません。マイクロマシンのプログラムにエラーが発生しています……群体が維持できません」

 つらそうな表情でジンジャーが言う。

「システム再起動。骨子崩壊。偽装外骨格が解除されます」

 ……偽装?

 と。いつも見慣れているジンジャーの姿がふっと消え……

 そこに現れたのは、銀灰色のの短毛種のような姿の……かなり大きめの「猫」だった。

「……ジン……ジャー?」

「……これは本来の私の姿です」

 ……しかも喋ってる……

 私は何とか身体を動かして、ジンジャーの身体を抱きかかえた。……柔らかい。

「──有難うございます」

 その言葉は、小さく……毛皮にうずめた耳に聞こえてきた。

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