15
静寂の中を、硬質な足音が響く。
その音は規則正しく続き……いきなり止まった。
歩みを止めた青年の前に、スーツ姿の男性が立っていた。
「ご苦労」
「いえ」
青年が砂の入った小瓶を胸ポケットから取り出し、放り投げる。
小瓶を受け取った男性は瓶を傾け、中の蒼い結晶を確認するとそれを自分の後ろにいる職員に渡した。
「危ないな」
「この位の小さな結晶なら例え剥き出しになったって大した事はありませんよ」
「……ルナリウムの専門家である君がいうなら、大丈夫なんだろうが」
「無駄に長く生きているだけです」
静かな微笑をたたえて答える青年に、男性は苦笑する。
「……そうしていると、私の数倍の人生を生きてるとは思えないね」
「まぁ、歳食った話し方をしても似合いませんからね」
青年は表情を崩さない。
「帰ってきたばかりの処を申し訳ないが……先程、旧南米あたりでルナリウムの反応がみつかったようだよ。直にまた呼ばれるだろう」
「お心遣いどうも」
男性はそのまま立ち去り、青年はそのまま近くの部屋へ入る。
電気のスイッチを入れ……椅子に座り込む。
肘をついて……普段伏せたままの写真立てを起こす。
既に変色した写真。その中に無愛想に立っている今とまったく変わらぬ自分と、かつて一緒に治験を受けた仲間の姿。
この時一緒に写った仲間は──遥か昔に亡い。
ある者は施術中に、ある者は生命維持の為の筈の薬が合わず、一人ひとり倒れていった。
その頃はいつ自分が逝く事になるかと怯えていたというのに……今は先に逝った彼らを少しうらやましいと感じる自分がいる。
──無論、これは生き延びた者の驕りというものだろう。あの時生き残れなかった彼らは、彼らの無念を抱えていたのだろうから。
僕は、彼らが生きる筈だった時間──それを全て合計した半分も生きてはいない。
……沈黙を破るように、内線の呼び出し音が鳴る。
「はい。──いえいえ。わかりました、伺いましょう」
簡潔に返事をして受話器を置く。
「──感慨にふけってる暇もないね」
呟いて、返事をする者がない事に気がついて苦笑して。
青年は写真立てを元通りに伏せると、部屋を後にした。
日々は過ぎる。
あれから事は起こらないけれど、ジンジャーさんがここへ留まり続けている事で、事態は恐らく好転してないのだろうと思う。
私はといえば、正体不明の不安を感じて落着かずにいた。
エミリアについて言えば……病状はだいぶ安定してきているし、ジンジャーさんがついていてくれるんだから、一応は安心できる筈なのに。
「エミリア、ジンジャーさん。お昼ご飯できたけど……」
「有難う」
「恐れ入ります」
ジンジャーさんはとにかく食事が変わっていて──動物性の食品が不得手なのだそうだ──でも野菜などではエネルギーがたりないとの事で、ベーグルやお菓子や甘い飲み物を食事代わりにとっている。
その割には……とても華奢な……
「処で、シズさん」
「はい?」
しまった。素っ頓狂な声で返事を返してしまった……
ジンジャーさんは寡黙な人で──必要な時以外話す事がまずなかったのだ。
「あの……私の事なのですけど、敬称なしで呼んでもらえないでしょうか」
……と言われても。
「うーん……でも、いつもそんなに丁寧に話されると、なかなか……」
「申し訳ありません。普段は、任務先に伺う前に調査を行なった上で現場に即した会話パターンを書き込んでくるのですけど……今回は特佐からの依頼が急でしたので、通常の状態できてしまいました」
……書き込む?
以前ジンジャーさんの説明の中で出てきた「人格の上書き」を連想してしまい、私はすこし嫌な気分になった。
ジンジャーさんが続ける。
「私は人間より下位の存在であるよう設定されているので……敬称つきで呼ばれたり、話をされると落着かないんです。任務が短期間なら問題なかったのでしょうが、まだしばらくこちらに待機しなくてはならないようですので……」
落着かない? まったく冷静に見えるジンジャーさんを見て途惑う。
今までの会話で、ジンジャーさんが人間でないという事はわかっていた。
ただ、積極的に何なのかを聞く気にもなれず。
私は、「知る事」「気付く事」に臆病になりつつあった。
私達が、ギルドの上部の人間の「無関心」によって生かされているにすぎないという事。
私はギルドの片隅で数ヶ月すごしただけで、それが事実であると知った。
そんな事他の人間に言ったら……一笑に伏されるか……それともその人まで不安に陥れる事になるか。
私の目で見る、街で日々の営みを続ける人達。彼らは変わらないのに──まるで硝子一枚通した景色のように思えて。
そしてもう一つ。
もっと、根本的な──強迫観念的不安。
私はその正体をはっきりさせたいと思いつつ……気がつきたくなくて、忙しい日常の中で思考を停止させていた。
「えっと……そうしたら、ジンジャーって呼べばいいのかしら」
思考を中断させる為、私はジンジャーさんに訊ねた。
「……はい」
あ。
すごく些細ではあったのだけれど……何となく彼女を取り巻く空気が柔らかくなったのを感じる。
私はその事に何となく安堵し……積極的に彼女に話しかけていった。
「ただいま」
「おかえり」
予想しない返事に驚く。
「マーティン、帰ってたの?」
普段なら、今ごろパン屋の最後の仕込があがるかどうかという時間なのに。
「うん」
私が中に上がると、マーティンは台所に立っていた。
「お腹すいちゃってた? 交代しましょ」
「いや、いいよ。たまにはね」
「……でも……」
「君は、ここの処ずっと考え込んでいる顔をしていた」
マーティンが苦笑いする。
「僕はそれが気になって……ついつい最後の仕込み、失敗しちゃったんだよ。で、親方に怒られて……早く帰ってやれって」
……親方は、以前店で働いていた私をいつも気にかけてくれている。
「──大丈夫よ」
「それ、君の悪い癖。たまには頼ってくれよ」
……そこまでいわれると流石に食い下がれず。
私はダイニングの椅子に腰掛けて、マーティンが動くのを見ていた。
何だろう。この不安。
私は色々な事を知ったけど、私の周りの人は何も変わっていない筈なのに。
この空虚な気持ちは何だろう……?
「シズ」
マーティンが寄ってきて、隣の椅子に座る。
「本当に、大丈夫かい? ……疲れているんじゃないのかな」
「うん……」
額をかるくもたれかけさせて……目をつむる。
そして──
人格の書き換え。
ふと、言葉が浮かぶ。
そして言葉とともに、私は不安──というより、恐怖の正体を認識する。
「シズ?」
身体がこわばったのを感じ取ったのか、マーティンが私の名を呼ぶ。
馬鹿な──そうだったんだ。
私は私の考えを拒否しようとし──納得してしまう。
人格を、本人が知り及ばない処で書き換える事ができる事を私は知った。
なら──私の目の前にいる貴方は、ずっと貴方のままでいてくれる?
「シズ……」
「……」
心配してくれるマーティンの身体にもたれかかったまま……私は身体を預ける事しかできなかった。
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