20
「……貴方が直接招いて下さるとは思っていませんでした」
椅子に座り、視線も動かさずに青年はそう言った。
部屋に入ってきた初老の男性は返事をしないまま向かいの席に腰掛けた。
その姿は、迷っているようにも……言葉のタイミングを計っているようにも見える。
「今日の用件は、『降伏』ですか? ……それとも『宣戦布告』ですか」
「貴様が生きている限り、『降伏』などありえん」
ようやく、男性が口を開く。
「……そうだと思っていました」
青年の口許は静かな笑みを浮かべたままで、変わらない。
「貴様には聞きたい事があった」
「──話の腰を折るようで申し訳ないんですけども……呼び方だけはどうにかならないですかね?」
「貴様の名前を死んでも口にはしたくはない」
くす……と青年が嗤う。
「そうでしょうね。……じゃ、話は手早くすませましょうか」
……遠くから私の名前を呼ぶ声がする。
「──シズ!」
シャロンの声だ。
私はジンジャーの身体を一旦離して立ち上がり一旦廊下に出た。
シャロンが息せき切ってこちらへ駆けてくる。
「どうしたの」
「エミリアが……返事をしないの!」
泣きそうな声でシャロンが訴える。
「エミリアが?」
自分の声がすごく遠くから聴こえてくるような錯覚。
「ギルがお医者さんを呼びに行ってるけど……早く来て! 私、どうしたらいいか……」
「行ってください。私もすぐに参ります」
低く唸るような音とともにジンジャーが人間の姿に戻って言った。
「ジンジャー……貴方は」
「すこし休めましたから……戦闘でもしないかぎり、問題ありません」
「わかった……先に行くわ」
「シズ、早く!」
動かないと思っていた身体は……焦りとともに自然に動いた。
シャロンに手首をひかまれ、私はゆっくり走り出した。
エミリアの寝ている部屋に到着したとき、まだ医者は到着していないようだった。
脈拍と呼吸を確認し……耳許で名前を呼ぶ。呼吸は規則正しいものの──全く反応がなかった。
「ずっと、考えていた。……貴様がなぜエミリア様を選んだのかと」
男は机に手を置き──うつむきながら言った。
「……」
「エミリア様は、本当ならあんな処で生きる人ではなかった」
青年は男の言葉を黙ったまま聴いていた。
「いつか、戻ってきてもらえるように、と思っていた」
「──貴方は、彼女の一年か二年あとに入ってきた方でしたね……彼女の伯父君などには多大に面倒を見てもらっていた」
青年の言葉を無視するごとく、男は言葉を続ける。
「仕方あるまい……私しかいなかった……私がギルドの中での発言力を得れば、いつかエミリア様をお迎えできると思っていた……エミリア様もそれを望んでると思っていた」
語りながら、男は机の上の書簡に触れ──歯噛みする。
『戻る気はありません。私などに構わず、貴方自身の理想を貫きなさい』
数分後。やっと到着した医者は診察を始め──私達は後ろで様子を見守っていた。
「……お医者様……?」
黙ったままの医者に声をかける。
医者は振り向かず、ただ一言言った。
「……もし、会わせたい方がいらっしゃるのなら今の内に連絡をして下さい」
医者の言葉を私達は理解して──重苦しい沈黙が場を支配する。
さっきまで起きて、笑っていたのに?
……覚悟はしていた、つもりだった。
けれど……いざその段になってみると、その事だけで頭が一杯になってしまって……次にどう動けばいいのか迷ったまま──立ち尽くしてしまう。
とにかく。
「アルを……連れてこなくちゃ……」
うわ言のように呟く。
そうだ。連れてこなくちゃいけない。
私達のお母さんの、一番大切な人を──
「──シズ」
そんな私を見て、入り口に現れたジンジャーが手招きした。
「ちょっと来ていただけますか」
私は途惑い……シャロンに視線で了解をとって、ジンジャーと廊下に出た。
「貴様がエミリア様を変えた……」
「……」
「エミリア様は、ギルドを変革する……そういう理想をもっていた筈の方だった……!」
青年は黙って男性の言葉を聴いている。
「……最初に貴様に好意をもったのはエミリア様のほうだろう。……だが、人間の何倍も生きている貴様が一時的感情で流される筈はない……!」
「……言いたい事は、それだけかな」
冷ややかな声が男性の言葉を斬った。
「……」
「確かに、僕は貴方達の何倍もの刻を生きている。それは間違いない」
独り言のように、視線を窓の外に向けたまま呟く青年。
「けれどその事によって変わるのは、理性が強くなるだけの事であって……感情を失う訳でも心が動かなくなる訳でもない。──むしろ、諦めてしまっていたものを得た時にはより強く心は動く。たったそれだけの事だよ」
「シズ。……貴方が行ってください」
エミリアの眠っている部屋からちょっと離れた廊下の位置でジンジャーが静かにそう言った。
「申し訳ないと思います。でも私はローレル……彼がまた戻ってきた時の為に備えなければなりません。……それに」
ジンジャーが私を見た。
堅く結ばれた口許。けれど、私を見る瞳はとても柔らかかった。
「こういうのは……多分『家族』の仕事だと思うのです……」
そう、そして。行くのは入館証を持っている私が一番いい。あの中を歩いていても、まずとがめられる事はない。
「わかった」
「少々お待ちを。……『門』を開きます。ちょっと痛いかもしれませんが……」
そういうと、ジンジャーはその場に座り込みおもむろに床に円と言葉を書き込んでゆく。……何だろう?
やがて、立ち上がり、何か呟くジンジャー。
途端に。耳をつんざくような高音が頭に響く。
それは一瞬で止まったが……頭の中はくわんくわんと音の反響が続いている。
「万が一……と思い、プログラムをセットしてきました」
淡々と説明を行うジンジャー。
「特佐が珍しくトレーサーをつけてくれましたので……おそらく最寄の位置に到着します。効果は一分ですから、急いで」
「貴方の努力を無にするような発言で申し訳ないね。でも、僕の大事な人達に害をなす人間まで親切にできるほど寛容じゃない」
「……」
「まぁ今までの事については、これくらいで勘弁しておいてあげる」
男性が、ぎりっと奥歯を鳴らす。
「しかし……エミリア様はそれでは負けっぱなしになってしまう……!」
「どうして『彼女が』勝たなきゃいけないのかな」
空気が凍りつく。
「彼女は……普通に、強くて、自分に厳しくて、優しくて……弱い女性だよ」
「……」
「確かに、ギルドに対抗する力を失わされたという意味では、君の言う処の『敗北』だろう」
淡々と語る青年。
「けれど……彼女は自分一人で闘うのをやめただけに過ぎない。──理想を追う事を諦めてはいないよ。それに」
青年の瞳がまっすぐ男性を射る。
「……ギルドを正しい方向へ持っていこうとする──その理想をどうして彼女に頼らなければならない?」
半ば呆然と、男性は青年を見ていた。
「あくまでも以下は僕の意見に過ぎない……けれど、貴方が彼女の願いを自分の願いとしたならば……闘うべきは貴方の筈だ。そして……貴方が『彼女が勝つ事』を目的にしているのならば……それは彼女の意思ではない」
青年の言葉は冷徹に男性の言葉を裂いてゆく。
「ギルド──彼らとて、理想を追い続けあのような形に進んだ。それが間違いというのなら……それを正すのには同じくらいの人と、時間と、願いが必要な筈だ」
「……」
「彼女は、失意という形の中でそれを悟った。──僕はその彼女の意思を尊重する」
男性の表情が、自失から青年の言葉を理解し──それゆえの憤りを露わにする。
「だが、同時に貴方に感謝もしている」
「何だと……?」
「自分でも甘いと思う。けれど──私は貴方を憎み切れないんだ」
自嘲するような嗤い。
「多分……形は違えど、同じ人を大事に思う立場としてね」
青年の瞳の色は常温のまま変わらない。
男性は、机の引出しを開けた。
「……それで気が済むのなら……好きなだけ僕を殺せばいい」
「──貴様の……その、全て分かっているような言動が……っ」
あからさまな挑発と、乗せられていると理解しつつ止まらない殺意と。
男性は銃を青年の額にポイントした。
青年は、まっすぐ男性を見ていた。
到着したのは、見知らぬ廊下だった。
目の前に、扉がある。
扉をノックしようと、腕を上げる。と。
「……それで気が済むのなら……好きなだけ僕を殺せばいい」
その言葉を聴いた途端。私は合図する事も忘れ、そのまま扉を開けた。
目の前には、額に銃を突きつけられてるアル。
──何も、考えなかった。
小さな破裂音とともに……肩に鋭い痛みが刺さった。
それは拡大して──感情の全てを染めぬいてゆく。
こんな痛みがあるのか、と思った。
「──シズ!」
アルの必死な表情が見える。
「何て無茶を……君は、僕が死なないって知ってるだろう!」
「うん。……でも、アルだって……痛いんだよね……」
「だからって……!」
「大丈夫だよ……それよりアル……エミリアの処へ──早く」
それだけ言うのが精一杯だった。
──私の意識はふつっと途切れた。
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