10
それからの数日間は驚くほど穏やかな日々だった。
週に数日、しかもたかが看護実習生……と思っていたものの、私はそれなりに感じていた緊張感を気力だけで抑えつけていたようだった。
おかげで日中はともかくとして、夜一旦教科書とノートをひろげてもすぐ眠くなってしまう。
「……シズ」
頭上からの声に目を覚ます。
「……あ、マーティン……」
「寝るんならベッドで寝ないと風邪ひくよ?」
う。何か子供にいうような注意を受けてしまった……突っ伏したまま眠ってしまったようで、身体がちょっと痛い。
「うん。そうする……」
寝ぼけた声で返事をして、教科書とノートを閉じてテーブルの片隅に寄せ……ぼんやり寝室に向かった。
「……」
急に、身体が浮き上がる。
「……え?」
「動かない。落ちるよ」
その言葉に、私はおとなしく従った。
やがて、シーツの上にそっと降ろされる。
「……あぶなっかしいな……」
隣に腰掛けるマーティン。
「え?」
「──君を忘れる前、僕はシズをどのように見ていたんだろう」
「……」
「最初、俺はすごく君を強い女性だと思ってた。でも……何か今はぽっきり折れたらどうしようと思って、はらはらする」
ことっと、マーティンの肩に頭を落とす。微笑みながら。
「大丈夫だよ」
「ほら」
こまったようなため息。
「……あまり自分で全部何とかしようなんて、思わないでほしい……俺は確かに頼りないかもしれないけど」
「頼りなくなんてないよ?」
心地よい体温。薄暗い部屋に、響くような穏やかな心臓の音。
「……すっかり、パン屋さんの匂いになったわね」
「そうかな……」
でも、今日の気力はここまでが限界。
心臓の音って、安心するのかな……
「……おやすみ」
苦笑するような声を意識の片隅に残し、私は眠りに落ちていった。
しばらくして。
私はエミリアの許に顔を出した。
「あら、いらっしゃい。……今日はシャロンも来てるわよ」
エミリアは玄関のそばの棚に瓶をしまうと、台所へ歩いていった。
「いいよそのままで。私、自分でやるから」
「……最近みんなそういうのよね……私を早く年寄りにさせたいのかしら」
ほぅ、とため息をつくエミリア。
「そんな事ないわよ。でも私達もいつまでも子供じゃないもの」
「そうね……あっという間に大人になっちゃって」
私はエミリアと自分の分のジュースを注いでテーブルまで持ってきた。
「有難う」
そのとき。
エミリアの言葉と前後するかのように、不釣合いな音が響いた。
(……何?)
振り返ったその視線の先に。
ダグが立っていた。
……どうして彼が。
そんな疑問を抱きつつ、エミリアをかばうように少しずつ後ずさる。
ゆっくり歩いてくる、ダグ。
口は無表情に堅く閉じられ、視線は──
最初は私を見ているのかと思った。
だが、感情の消え去った瞳は私の後ろを射ている。
……もしかして、エミリア?
「……さがって……エミリア」
ごとり。
人の物とは思えない足音を立て、ダグが一歩を踏み出す。
近づいてくる彼の身体。後ずさりを続ける私。……もう場所がない。
エミリアの盾になるような形で、私はダグの前に立ちはだかっていた。
腕が、私の首許に伸びる。
「シズさん。……邪魔です」
無機質に紡がれるダグの声。──私は目を閉じた。
その途端、耳元で大きな破裂音が鳴った。
私はそっと目を開く。
「……お宅を破壊してしまって、すみません」
聴いた事のある声に、慌てて視線を右に向ける。
──ジンジャーさん? 小柄な身体に、不釣合いな大きな銃を下げて。
「敵の一番注意のそれている状態を必要としましたので、このタイミングで撃たせていただきました」
……撃った? 慌ててダグの姿を探す。
ダグは、壁に打ち付けられた状態で、低くうめいていた。
やがて、顔を上げる。……その瞳の表情はまだ変わっていなかった。
ジンジャーさんが、再び銃を構える。
「……ジンジャーさん……!」
「殺しはしません。動きを止めるだけです」
もう一度起こる鈍い銃声音。立ち上がったダグが、そのままの位置で崩れおちる。私は怖くて、エミリアを抱えたままその場にすくんでいた。
「……貴方達をかばいながら彼と対峙するのはかなり大変です。今のうちに避難してください」
「エミリア、動ける?」
頷きを確認して、私はエミリアを支えながら、部屋の出口まで移動した。
「エミリア、シズ、大丈夫?」
すぐ外に、シャロンがきていた。
「私は……」
「──大丈夫」
私はその声に違和感を感じた。
「エミリア……?」
「御免なさい……まだ薬がよく効いてないみたいで……静かにしてたら、楽になるから……」
……薬?
「シャロン!エミリア、お願い!」
「あ、うん」
私はシャロンにエミリアを預けて、玄関に駆け寄って棚を開けた。
さっきしまっていた筈の……
「……!」
私はそのまま瓶を持ってエミリアの枕許に座るシャロンに手渡した。
「これ、そこに置いておいて……私、お医者さん呼んでくる……!」
「シズ?」
「とにかく、お願い!」
「……う……うん」
私の必死のお願いに、シャロンは面食らったように頷いた。
エミリアがさっき棚にしまっていた筈の瓶──その中身は、大量に消費された後のある錠剤だった。
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