09

 その後、二、三週間は何も起こらなかった。

 本来別の目的の為に始めた筈の看護の勉強は興味深かった。まだ何ができるというわけでもなかったけど、義足であるマーティンや、ここ数年で体力の落ち始めたジェシーの状態を少し楽にする手伝いができる事は喜ばしい事でもあった。


 世界をまとめる経済団体であるギルド。現在その存在がなければ流通も雇用もなく……街の小売店とて、ギルドなしでは原材料を手に入れる事すらおぼつかない。

 その一方で軍需産業もまたギルドの大きな柱。アルと私を襲ったあの男も、その生産物の一つなのだろう。

 そして、表立っては見えないギルドの内部。アルと私を襲った男の存在は私が追い求めているものに繋がっていると確信させるに十分だった。

 はたしてギルドの存在は……私達にとって善なのか悪なのか。

 誰かが、肩を叩いた。

「シズさんみつけたー」

 図書室に、明るい声が響く。

 ……いけない。勉強を始めた筈が、考え事にふけってしまったようだ。

「ダグ……もうちょっと声を抑えて」

「はぁい」

 ダグが、私の向かいに座る。

「……シズさん、こないだ怖い目にあったんだって?」

 ……あぁ、とうとうここまで伝わったか。

 この間の事件についてはアルが私の状況をも含めた上で師長さんなどには口止めをしていたみたいだったけど……やっぱり人の口は完全には蓋ができないみたいだ。

「何の話」

 とりあえずとぼけてみる。どこに耳があるかわからない。

「……隠し事はなしですよ。しかもあの人がらみだそうじゃないですか」

 あの人……? あぁ、アルのことか。

「……図星でしょ」

 ……私も、ポーカーフェイスは苦手なようだ。

「いずれにせよ、ここでする話じゃないわ」

「だから言ったじゃないですか。近寄らないほうがいいって」

「看護実習生が患者に近寄るなってのが無茶な話でしょ」

「何だ、やっぱりあったんじゃないですか」

 ……話を打ち切って欲しいと思ってるのがわからないのか……

 私はノートと教科書をぱたん、とそろえて立ち上がった。

「勉強の邪魔しないで」

「……」

 彼が心配して言ってくれてるのだと思うとちょっと良心が痛んだが、私はそのまま彼を無視して図書室を出た。


「……それで、ここに避難にきた訳かい」

 アルがあきれたように言う。

「多分ここならダグも近寄らないだろうと思って」

 私はアルの待機している部屋にお邪魔させてもらっていた。

「いいけど、僕の関係者だと思われると危険だよ?」

「……そのほうが、都合がいいの」

 アルが困ったように上を向く。

「──参ったな……」

「……困る?」

「いや……頼られるのは悪い気はしないけど」

 私の考えはこうだった。

 私とアルが関係者であるという事はギルドが大きな組織である以上隠しきれる事じゃないだろう、と。

 それなら……アルのそばにいるほうがまた何らかの情報が手に入る可能性が高い。

「僕がいいたいのは、裏っ返せばまた自分に危険を呼び込もうとしてるって事だよ」

 まぁそんな事はとっくのとうに読まれてたりするんだけど。

「……エミリアが怖い?」

「言うね」

 アルが苦笑する。

「……あまり心配かけさせたくないんだよ。彼女もその……それなりの年だから」

 そう。私が引き取られた年、エミリアは既に七十代で。

 ジェシーと違ってそんなに身体は弱くないけど、さすがに年をとった事は否めない。

「そういえば……エミリアは大丈夫なの?」

「……なにが?」

「関係者といえば、一番の関係者なんじゃないの?」

「……ギルドの創始者と繋がりのある人を、僕ごときの為に巻き込もうとする人はいないよ」

 ……は?

 ……私は思わず、手にもっていた教科書とノートを取り落とした。

 ──エミリアがギルドの創始者の関係者?

「僕の存在を消す事に成功したとしても、エミリアに手をかけたら、元老院に制裁を受けるのは目に見えている。それじゃ意味ないだろう?」

「……」

「……だからだよ。彼女が心配するのは……ギルドの灰色の部分を知ってるから」

 ……そういう事だったのか。

 マーティンもジェシーも、私がギルドに勤めるといったとき、ほとんど反対はしなかった。むしろ一番反対していたのはエミリアだった。

「僕の待遇も昔はそんなに悪くはなかったんだけどね。……まぁ大昔の事だから」

 アルはそこまでいうと、急に立ち上がり私の方へよってきた。

「……?」

 アルが私の肩に触れた。

 布が引っ張られる感覚。

「……というわけなんだけど。言っておくけど僕の身内を巻き込んだら破滅するのはそっちだよ」

 アルが、プレパラートのように薄っぺらい何かにむかって、話してる。

 ……盗聴……機?

 アルはそのままそれを指でぱきんと割る。

「……」

「はい」

 アルが、私の手のひらにそれをのせる。

 それは、ほとんど厚みのない、指でつまめばしなりそうなマイクロチップの残骸。

「……最初から気がついてたの?」

「うん。特有の周波数が聞こえてた」

 でも。今日はこちらに来てすぐに図書室に行って。ちょっとだけいてそれからすぐここに……

 ──ダグ?

 そんな。まさか……

「……心当たりがあるって顔だね」

 アルが言う。私の顔を見て……ため息をついて。

「シズはもう手をひきなさい」

 そう言った。

 ……え?

「ここまできたら、相手の反応は二つしかない。……おとなしく引き下がるか、なりふり構わず出てくるかだ」

「でも……」

「シズさん」

 ……あ。このあいだ黒い飲み物を出してくれた……女の人。

「貴方がこれ以上この件に関われば、彼には弱点が一つ増えます。邪魔です」

 ……!

 私は、何も言い返せなかった。


 確かに、アルが以前あれだけの痛みを負ったのは私のせいだった。

 ようやくつかみかけたと思ったものを、手放さなくてはならない。けれどそれは──私の我儘だ。

 まっすぐ私を見る彼女の瞳はそう語っていた。

「ジンジャー。……君が無理に悪者になる必要はない」

 アルが静かにいう。そして。

「……シズ」

 申し訳なさそうに私をみる。

 そんな顔をしなくてもいいのに。

「わかった……」

 ──私がいないほうが、アルが余計な痛みを感じなくてすむのなら……きっとそれが最良の方法なのだろう。

「……御免ね」

 アルが、私の頭に手を置く。

「ううん」

 いつも本人が悪くない事で謝らせているな。

 そう思ったら……何となく、心の中で踏ん切りがついた。

「安全になったら、また勉強をつづけてもいい?」

「勿論」

 私は微笑って……心の中でそっとアルに私の願いを託した。

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