04
港はよい天気だった。周りは私と同じように働きに出ていた夫を迎える家族達で賑やかだ。
私は見苦しくない程度に身なりを整え、乗客出口で彼を待っていた。
嬉しくないといえば嘘になるけど、私はむしろ緊張と不安をより多くかかえ一人彼が姿を現すのを待っていた。
人ごみの密度がほどほど薄くなってきたころ。同僚に付き添われた彼の姿が見えた。
ある程度姿を見せるのに時間がかかる事は予想していた。うまく歩行できないという事は前日入った彼の同僚からの電話で既に確認していたし、それに──。
私は、歩きづらそうな彼のそばへすっと歩み寄っていった。
彼は途惑った表情で、私を見下ろした。
大丈夫。私は、大丈夫。……だって彼は約束を守って、生きて帰ってきたから。
「初めまして、マーティン。私はシズ=フォード……貴方の妻よ」
その電話は、夜更けにかかってきた。
「ジェシー、私が出るわ」
「えぇ頼むわ」
私はマーティンが基地に戻ったあとエミリアの好意に甘えて館の仕事を少し減らしてもらい、パン屋の仕事の他にジェシーの身の回りのお手伝いにもちょくちょく顔を出すようになっていた。
最初はちょっと大変だったけど、パン屋の親方とおかみさんや職人さんの好意、そしてジェシーの穏やかな性格もあって何とか慌しい毎日をこなす事ができた。
「はいフォードです」
「あ、えっと、あの……シズ=ファラ……さん?」
「? はい」
私とマーティンは結婚の約束をしたものの、マーティンが急いで基地に戻らねばならなかった為、そのときはまだ法的には元の苗字だったのだ。
「俺……いや私はマーティンの同期で、ダグって言います。マーティンとはずっと同室で」
「初めまして」
「……あの……えっと、その……」
……歯切れが悪い人だな。
あまり途惑われると最悪の事態を考えてしまう。私は不安な気持ちを抑え込む為、彼の返事を催促した。
「何でしょう?」
「……実は……」
彼はたどたどしく、マーティンの現状とそれに至る経緯について、私に説明し始めた。
どうやら最悪の事態には至っていないようで、私は安堵の息をついた。
「……じゃ、現状は問題ないんですね?」
「えぇ日常生活は……ただ後遺症なのか、何ていうか、ここ数年の記憶が混濁しているみたいで……二、三年の記憶は霞んでるみたいなんです……」
消え入りそうなダグの声。
「あぁ」
私は彼が話しにくい理由を理解した。
「……彼は私の事を覚えてないんですね?」
それは非常に衝撃的だった。けれど、ジェシーが心配そうに私をみつめていたから、私は動転してはいけなかった。
そう。彼は生きている。……パパやママ、ユウのように、もう会えなくなったわけじゃない。
そのときは、そう思ったのだ。
「……もし? もしもし?」
電話の向こうの慌てたようなダグの声に意識が急に引き戻される。
いけない。まだ電話中だった。
「もしもし、はい、おります」
「とにかく俺、××日にマーティンをそちらの港まで送りますから……大変申し訳ないんですけど、その……迎えにきてくれると助かるんですけれども……」
「了解しました。また前日に確認の電話をお願いします。……では」
「あのっ……」
がちゃん。私は勢いに任せて電話を切った。
「シズ……」
おずおずと、ジェシーが私に声をかける。
「マーティン、帰ってきます。元気ですって」
私は笑顔を作ってジェシーに答えた。
「シズ……いいの」
私の様子をじっと見ていたジェシーは、そっとそう言った。
「つらいときは、泣いていいのよ」
「ジェシー……私は……」
「……マーティンの事がなくても、貴方は私の娘よ。母親に娘が泣き顔をみせても変じゃないでしょ?」
「……はい……」
彼女に言われるより早く私の笑顔はそのままに力をなくしていて……涙は出なかったけれども、ジェシーの小さい体に覆い被さるように彼女の身体をだきしめた。
ジェシーの私の背中を叩く手の感触がほんの少し、私の気持ちをなだめてくれた。
「ただいま、お袋」
ジェシーとマーティンのアパートメントに戻ってきて。
マーティンの記憶が混濁しているというのはここ数年分で、そのためジェシーについての記憶にはあまり問題はなかった。
「お袋、老けたなぁ……」
「やぁね。当たり前でしょう」
「……あ、そうか……俺、本当は十九なんだよな」
そう。彼の今の意識では彼は今十五らしい。──ギルドの軍属になるちょっと前だそうだ。
ダグが話してくれた経緯というのはこういう事だった。
ギルドが自らの技術の発展の為、治験者を募集した。
尚、ギルドの条件は……高額の礼金と、あと軍属の者に対しては兵役期間の実質的短縮。
拘束される期間に変更はないが、検査や実験がスケジュールに加わる為実質戦場に出向く時間が少なくなる。
私が彼が基地に戻る直前自分の過去を話した事で、彼には前線に向かう事への葛藤ができたようだった。
しかし兵役に準じなければジェシーの生活費や医療費分のお金は稼げない。また私と結婚する為の費用に対しても思う処があったようで……
マーティンは私やジェシーに相談もせず、治験者に応募してしまったのだ。
しかも彼はその事を同室のダグや他の同期にも相談せず……ダグが事の異常に気がついたのは、しばらく留守にしていたマーティンが戻ってきてからという状態だったらしい。
マーティンは相談すれば反対される事を理解されていたのだろう。
ダグがマーティンの状態を把握したのはマーティン宛に届けられた報告書を読んでからだった。
サイバネティクス手術をマーティンが受けた事。……脳と差し替えられた足との神経接続がうまくいかず義足状態になった事。……その影響か不明だけれど、記憶の混濁が起きた事。
「でも驚いた。俺が君みたいな綺麗な可愛い嫁さんもらってただなんて」
街路樹の下。マーティンは照れたようにそう言った。
その日は仕事先にも休みをもらって……マーティンの家に向かった。
本当はマーティンの家にずっといるつもりだった。けど、ジェシーが私に気をつかってくれて……私と一緒に散歩にでてくるようマーティンにすすめてくれたのだ。
ギルドの義足はそこらへんのものより品質が高いらしく、比較的痛みも感じにくいようだけど……それでもまだ松葉杖が必要で慣れてないようで歩きにくそうだった。
私はマーティンの歩く速度にあわせて、ゆっくり彼の横にならんで歩いていた。
「あの……俺、御免な。その……覚えてなくって」
「いいのよ。仕方ないもの」
相談してくれなかったのはちょっと寂しかったけど……彼のその行動はジェシーと私の為で。その事に対して私は彼を責めるのはやめようと決めていた。
むしろ、怒りのやり場はまた別の処にあった。
「……あの、さ。俺、こんなだから……でも、もしかしたら、思い出すかもしれないし、それでよければ一緒にいてくれればと思うけど……でも、もしつらかったら」
そう。素の彼は、まだあのときの面影を残しているし。
「……あのね。覚えてないの、わかってるけど」
私は彼を下から覗き込むように見上げた。
「私、出かける前の貴方と約束をしたの。とにかく、怪我しようがなにしようが、生きて帰ってきてって……」
「……」
「記憶をなくすな、って約束をしなかったのは、私の片手おちだったわ」
冗談めいた口調で、にっこり微笑む。
「……シズ……」
「……貴方の、私とのなくなったかも知れない記憶は、ちゃんと私が持ってる」
私は、今の気持ちをきちんと彼に伝えたかった。
「だから、最悪戻ってこなくても大丈夫。これから、始める事ができるんですもの」
私はこの時、アルが私を助けた気持ちをはっきり理解できた気がした。
そう。生きてさえいれば始められる。やり直しもできる。
だから……
マーティンが、微笑んだ。
杖が、音をたてて倒れる。
私は一瞬マーティンの身体を支えきれなくて、少しよろけた。
「ご、御免。重かったかな」
「大丈夫。ちょっと心の準備ができてなくって、びっくりしただけ」
私はバランスをとりながらマーティンの身体を支えるように抱きしめた。
「……ちょっと手間、かかるかも知れないけど……よろしくな、シズ」
「こちらこそ」
腕の感触に、去年の記憶を重ね合わせ、私は答えた。
その年の冬私は正式にシズ=フォードとなった。
そして……ある事を、決めた。
心に決めたことを、実行するために。
「はい、ダグ=ピアーズですが……あ、シズさん」
「その節は、大変お世話になりました」
ひとまず礼儀として御礼を言う。
私が連絡を取ったのは、マーティンの同期──ダグだった。
「いえ、こちらこそ……で、俺に用ってのは……」
彼しか、あてがなかった。
私は、深呼吸して、ダグに言った。
「……教えてください。ギルドに就職するには、どうすればいいんですか」
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