百年の満月

あきら るりの

01

 あの瞬間の直前に、私の目は何を映していただろう。


 ぶれる視界。揺れる世界。

 そして、闇が落ちる……


 煙い。熱い。……怖い。

 何が起こったのか、わからなかった。

 苦しい。痛い。ママ、どこ。パパ。ユウ。

「見つけたっ!」

 すっと耳に入る声。──知らない、男の人の声……

「無理です! 幾ら何でも……」

「瓦礫を順にどかしてたら、火が回ってしまう! 助からない!」

 唐突に、私は咳き込んだ。ただ燃える煙とは異質の──蛋白質の焦げる匂い。

 そして、差し込んでくる光。

「居た……」

 逆光でよく判らなかったけど、苦しさと喜びの混ざった複雑な表情で、その人は私を見下ろしていた。

「出られる?」

 私は返事をせず足を動かそうとして……首を横に振った。

「足がひっかかってるか……すぐどける。もう少し我慢してくれ」

 私は頷き……その人に訊いた。

「ママは……?」

 その人は、聞こえたのか聞こえなかったのか、返事をしなかった。

 私は足が痛い事もあったので、その人の返事を待つ事にした。というより、意識を保ってるだけで精一杯だったのだ。

「……よし。これで運べる……」

 不意に、身体が持ち上がった。

 同時に、周囲の風景が視界に入る。

 ずっと、空しか見えなかったので気づかなかった。黒ずんだ中に、ぽつぽつと浮かぶ赤。

 あれは──火だ。

 ここどこ。こんな処、知らない。

「……ママは……」

 一回訊ねて飲み込んだ質問が口をついて出る。

「パパは……ユウは……」

 その時、私は悟ってしまった。

 この人が返事をしなかったのは、『聞こえなかった』んじゃなく、『返事ができなかったんだ』という事に……

「──離して!」

 肩に背負われた私は、その人の背中に思いっきり拳を打ちつけた。

「いっ……おとなしく……」

「下ろして! ママ……パパ……ユウ……! 探さなきゃ!」

 構わず、私は言葉と拳で訴え続けた。

 ……不意に、力が抜ける。

「……御免ね……」

 何に向かって謝ってるの。そう思ったとき、意識が途切れた。


 次に目覚めて、目に入ったのは天井。

 ランプの灯りが輪を大小させながら、揺れていた。

 気を失う直前の記憶を引き出すのに、しばし時間が必要だった。

 身体が重くて動かない。

 何も考える気力がなかった。……次の瞬間までは。

 唐突に扉が開いた。

「……気がついたの?」

 聞き覚えのある声だった。

 枕許で、何かが乗っかる軽い音がする。

「……お腹が空いたら教えて。点滴は打ってあるけど、ちゃんと食べられるのなら、そのほうがいい」

 声はそれだけを告げて、立ち去ろうとする。

「……何で、助けたの……」

 その気配に、私はそう呟いた。

「ママも、パパも、ユウもいないのに……一人ぼっちになっちゃったのに……どうして……」

 困らせてる。そう思った。

 でも。今は恨み言しか出ない。喪くなったものが多すぎて。大きすぎて。

「……足は、ちゃんと手当してある。歩けると思うけど、無理そうだったら呼んで」

 その人は戻ってきてボタンを指差した。

 再び去ってゆく足音。閉まる扉の気配。

 ──深く、息を吐いた。

 再び襲ってくる、眠気。

 私は再び気を失うようかに、眠りに落ちていった。


 もう、目覚めなければいい。

 そう思いつつも、目が覚めたのは空腹感のせいだった。

 でも、何も食べる気は起きなかった。

 ……このまま餓死してしまっても、いいな。

 そう思いつつ、点滴を打ってもらったらしい事に思い至り──一ヶ月くらい食を絶たないと餓死する事すらできないだろうことに気づいてしまう。

 何となく私は呼出ボタンを押してみた。……無為に時間を過ごす事にも耐え切れなくなっていた。

 しかし。次に現れたのは祖母くらいの年齢の──おばあさんだった。

「あらあら。お腹、空いたのかしら」

 優しい口調でそう語る。

「……いえ……食べたくないです」

「そうよねぇ……いきなり普通の食事は無理よねぇ。パンと一緒に、スープもってこようかしら?」

「食べたくないです」

 きゅるきゅるきゅる。

 ……食べたくないって言ってるだろう。と、自分のお腹に文句を言う訳にもいかず。

「何かお腹に優しいもの、持ってくるわね」

 そういうと、おばあさんは部屋を出て行って……パンとスープを持ってきてくれた。

「どうぞ」

「……有難うございます」

 ──そのあとおばあさんは、無口にちょぼちょぼパンをつまむ私に、現在の私の置かれている状況について簡単に説明してくれた。

 私の国が空からの攻撃で焼かれた事。

 それを空の船から見かけたあの男の人が見かけて、焼け野原の私の国へ降り立った事。

 たった一つ、生存者を生命反応で確認し、救出した事。

 ……つまり、それが私であるらしい事。

「……あの人を恨んでもいいわ。でも助けた事を責めないであげて」

「……あの」

「エミリアよ」

「エミリア。……それ、難しいです」

「あの人は……放っておけなかったんだと思うわ。……いつもの事」

「……」

 言いながらも。

 私が見ている正面で、鉄材をどけていたシルエットを思い出す。

 あれだけの火が燃えていた。

 多分熱せられた瓦礫もあり……あの人は自分が火傷する事も構わず、僅かな生命反応を頼りに私を探し当てたのだろう。

 ……ママが……パパが、ユウが死んだのは、あの人のせいじゃないのだ。

 あの人の、せいじゃないのだ……


「さて。じゃ、明日から、働いてくれる?」

 しばらくして。おばあさん──エミリアは、そういった。

「働く……?」

「あ、働くって言ってもね。私の手伝いをしてくれれば大丈夫」

「はぁ……」

「明日、現場へ連れてくから」

 あのあと。

 ふらついていた身体も、食べる事と歩く事によりだいぶ元の調子に戻ってきていた。

 ……あの人にはまだ、お礼を言う気にはなれない。けれど、理不尽に八つ当たりした事については「謝りたい」と思えるようになっていた。

 だけど、あの人は、あの日以来姿を見ない。


 次の日。連れて行かれたのは……子供だらけの館だった。

「……あの……これは……」

 途惑い訊ねる私に、エミリアは微笑んで答えた。

「あの人が、助けてきた子供達なの。……貴方と同じような事情の子供達。

──貴方は、子供達の中でも年が少し上なようだから、少し手伝いをしてくれれば、と思ったのだけれど……」

「……やります。別に、他にやる事もないし……」

 エミリアは、私の少し投げやりとも取れるような返事に微笑んだ。

「助かるわ。……といっても初日だから。今日は子供達と一緒に遊んでて頂戴」

 そう言って、館の中に入っていった。

 子供達がエミリアの姿をみてわっと寄ってくる。

 私はゆっくりエミリアの背中を追っていった。

 エミリアに群がっていた子供達の何人かが私に気づき、寄ってくる。

「お姉ちゃん、今日からここにくるの?」

「うん……」

 気のない返事をして……声を掛けてくれた男の子に目をやる。

 ……ユウと同じくらいの子だ。

「お姉ちゃん……?」

 不意に、私は涙を零している事に気づいた。

「お姉ちゃん……どっか、痛いの?」

「……ううん……」

 ゆっくり首を振りながらも立ってられなくなり、うずくまる。

 エミリアがそんな私の様子に気がつき、寄ってきた。

「……お姉ちゃんはね、今まで大変だったの。シドや、キャシーも、この間までそうだったでしょう?」

「うん」

「……お姉ちゃんを少し休ませて上げて。それから、ゆっくりお話しましょうね」

 そういって子供を諭すエミリアは……血は繋がってなくともみんなの母親なのだと、私は思った。


 それから私はその館で、エミリアの手伝いをする事になった。

 子供が常時三十人近くいるこの館で、加齢で体力に限界のあるエミリアのかわりに皿洗いや洗濯を行い、子供をあやしたり仲裁したりという日々が続いた。

 勿論その手伝いをしているのは私だけでなく、シャロンやギルといった私よりちょっと年下から大人に近い子供達が分担してやっていた。

 そして目まぐるしく進む日々の中、いつしか私は親兄弟を亡くした事を、静かに心の中で振り返れるようになっていった。

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