02

 その人が帰ってきたのも、また唐突だった。

 ある朝起きて、朝食を食べに一階へ降りてきた時……彼はエミリアに髪を結ってもらってる最中だった。

「……」

「おはよう」

 ほぼ同時に、彼とエミリアは朝の挨拶をくれた。

「おはようございます……あの、いつ帰ってきたんですか?」

「昨日、遅くにね」

 穏やかな笑顔で、さりげなく彼はそう答えた。

「……だいぶ、元気になったようだね」

 椅子に掛け朝御飯を食べ始めた私に、声をかけた。

「はい……」

「だからね言ったでしょう? アル」

 エミリアが微笑みながら言った。

「この人ってば、貴方を助けたのはいいけどあのあと仕事がなかなか終わらなくて帰れなくて……でも貴方の事が心配で、ずっと私に連絡をいれていたのよ。私は何回ももう大丈夫よって言ったのに」

「エミリア……」

 気恥ずかしそうに答える彼。

 ……アルっていうのか。名前を心の中で反芻する。

 改めて見ると彼は若かった。男性の割に不自然に長い髪を三編みに結い、細い面立ちに眼鏡をかけ、書生風の外見だった。

「君の名前は、何ていうの?」

「……シズです。あの……エミリアには……?」

「うん。聞いてたけど、やっぱり君の口から聞きたくって」

 エミリアがさ、できたわよとアルの背中を叩く。

「有難う」

「あ、あの!」

 私は、意気込んで訊ねた。そうでないと、タイミングを逸してしまいそうな気がした。

「……あの時は、御免なさい。アル──が、悪かった訳じゃないのに」

「え?」

 不思議そうに振り返った目が、あぁと頷く。

「別にいいんだ。……自己満足といえば、自己満足だから」

 大きな掌が髪の上に乗る。

「──で? もうちょっと頑張る元気はある?」

「……まだわかりません。……感謝できるかもわからないし」

「率直だね」

 アルが、苦笑した。

「でも、それでいい。──みんなとは仲良くしてる?」

「まぁまぁです。好きな人達も……いますから」

 エミリアや、シャロン……あの館の子供達。

「なら、いい」

 彼は背中を向けた。

「──それじゃ僕は行ってくる」

「もう行っちゃうんですか?」

「仕事がね、時間を選んでくれないんだよ」

「仕事って……」

「王様、よ」

 何て答えようか悩んでいるアルの横で、エミリアがくすっと笑って答える。

「エミリア……」

「あら、本当じゃない?」

 ころころとエミリアが笑う。

 エミリアは普段から笑顔を絶やさない女性だけど……何だか今朝はすごく楽しそうだった。

「……エミリアは、アルのお母さんなの?」

 私はあまり深く考えず、その問いを口にのせた。

 そう、さっきからそれが不思議でならなかったのだ。すごく近しい感じがするのに、顔はあまり似てないし……

「──いや、エミリアは……」

「親子じゃ、ないわよ」

 エミリアがアルを差し置いて答える。

「さ、もうお日様が高いわよ。早く洗濯を始めないと」

「あ!」

 そうだ。急いで食べて開始しないと、あの大量の洗濯物が間に合わない。

「貴方もね、アル」

「あぁ。……いってきます」

 それからアルはまたしばらく帰ってこなかった。


「シズーっ。彼氏が迎えにきたぞー!」

「くぉらーっ。年上をからかうんじゃないっ」

 あれから数年後。

 シャロンはギルと結婚してこの館を卒業していき……館の最年長になった私はエミリアの次に館をとりしきる立場になっていた。

「もうっ。あんたが毎回ここに迎えにくるから、子供達がからかうのよー」

 玄関に現れざま言った一言に、マーティンが肩をがくりと落とす。

「……シズ……俺は本気だって、何回告白すればいいんだ……」

「私は軍人が嫌いだって、何回言ったかしらね?」

 ……あ。死んでる。

「そりゃあ、俺はギルドの軍関係の新米だけどぉ……」

「……」

 マーティンはこの街の生まれで……ギルドに就職し軍部に所属したばかりの青年だった。

 パン屋で仕事をしていた私を療養で戻ってきた合間に何度か見かけていたらしく、ある日仕事で遅くなった日に館まで送ってもらったのが縁で話すようになった。

 正直私はマーティンのその人なりは嫌いじゃなかった。

 ギルドに就職したのも、母親を養う為に選び勝ち抜いた彼の努力の結果である事も知っていた。

 けれど彼は療養で故郷に戻ってきているのであり、また前線へいく。

 いつ死ぬかわからない。そして。

 ……私みたいな子供を彼が作るかもしれない。

 そう考えると、彼の申し出を二つ返事で受けるわけにはいかなかった。

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