23
葬儀の日は、小雨だった。
優しい音が静かに空気を清めてゆく。
アルは現れなかった。
そんな予感もしていた。
彼の外見は歳を重ねていかないから……自分の姿を公に見せるのも難しいのだろう。
たった一人。アルについて訊ねてきた人がいた。
途惑いながら不在を伝えると──そうじゃないかと思ってたと微笑った。
「大丈夫だよ。多分弔問客がめっきり居なくなった頃には戻ってくるだろうから」
『よろしく伝えてくれ』と言って彼は同じ年代の人達の群れへ去っていった。
多分若い頃のエミリアとアルを知る人達なのだろう。その背中を見送りながらぼんやりとそう思った。
遺品は思ったほど多くなかった。
写真だけが膨大にあって……ほとんどは子供達とうつしたスナップだった。
ゆっくり整理しながら、1周忌には写ってる人達に渡してあげよう。
そう思いながら整頓を続けていったとき──1枚の写真に目が止まった。
若いけどそこはかとなく面影が残ってる……エミリアの若い頃の写真。
そして──横に並んだ青年の姿は……何となくダグに似ていた。
写真を裏返す。
そこには写真の日付と『後輩のパウエル君と』という文字があった。
もう一度写真をじっと見つめ……その写真を別に分けて、自分の鞄に入れる。
『──俺は、既に天涯孤独なので』
そう言って、ぎこちなく微笑った顔を思い出す。
今となっては、真実はわからない。
ただ、エミリアの横に佇むその青年の姿は──外見以上に彼のあの時の笑顔を彷彿とさせていた。
それから数ヶ月後。
私はギルドの看護科に復学して──もう一度、勉強を始めた。
エミリアのお墓は海の見える小高い霊園の片隅にある。
その霊園は家からちょっと離れた大きな公園の中にある。
「じゃ、マーティン行ってくるわね。向こうで待ってる」
「あぁ」
子供の家はまだ続いているけど……もう子供は増えない。
それぞれの家庭を持つ私達では、これ以上の運営は不可能だった。
今は当番制で交代しながら食事当番や家事を続けてるけど──今一番小さな子供が卒業したら、あの家は終わり。
週三日学校に通ってる私はそれ以外の平日が当番。
そして、週に一度は仕事帰りのマーティンと待ち合わせてエミリアに会いにゆくのが習慣になった。
……ちょっと早かったかな。
そう思いながらも、花を抱えてエミリアの眠る場所へ向かう。
霊園に入り、丘をちょっと下る。
エミリアの場所を黙視で確認する──と。
先客がいる。……あれは。
「……アル!」
彼はゆっくり、普段とまったく変わりないように微笑みながら振り返った。
「どこに、行ってたの……?」
芝の生え揃った坂を急いで駆け下りてきた私は、少し息を切らせて訊ねた。
「……思いのほか仕事が立て込んでしまって」
苦笑いしながら応えるアル。
芝生の上に座り込んで。どのくらいここにいたんだろう。
私は持ってきた花を墓前に供え、スカートを気にしながらアルのそばに座り込んだ。
風が吹いてる。優しく髪を絡めとり、いつのまにか逃げてゆく。
「──いい場所だね」
「うん。ここからだと海も見えるし……みんなすぐ会いにこれるしね」
鳥の声も聞こえる。心地良い静けさ。
「……葬儀、まかせっきりにしてしまったね。申し訳なかった」
「ううん」
聞きたい事がたくさんあった。
けれどきっとそれは──エミリアとアルの中で確立された約束の中の事で……だから、訊かない。
ただ、一つだけ。
「ねぇ……アルは、人を信じてる?」
私の問いに、アルが目を丸くする。
「随分唐突だね」
「うん……あのね」
私はかつてエミリアにした話を、アルに話し始めた。
ダグの事。ジンジャーのしてくれた説明の事。……そして、マーティンの事。
アルは処々で相槌をうちながら、最後まで私の話を聞いてくれた。
話し終わったあと、彼はしばらく考え込んで……応えた。
「でも……もうシズの中じゃ解決はついているんじゃないのかな」
「うん。……私もそう思う」
だから。欲しいのは──私の背中を押してくれるもの。
「確かに、人間の意志が書き変えられる事──それを知ってしまった事の不安は大きいと思うけど、実はそれは大した事じゃないんだよ」
大した事じゃ……ない?
「だって、人は自分の都合でいくらでも他の人を裏切る事が可能だから」
その言葉を自分の中で噛み砕く。
──そうか。
やるかやらないか、は別として……信頼している人間を裏切る事は、人格書き変え云々の前に──容易い事なのだ。
だとしたら。
「だとしたら……救いはないの?」
ほぼ反射的に問い返した言葉に──アルが返したのは他愛のない言葉だった。
「……シズは、相手が信じられるから信じるの?」
「え……」
「信じる事は無償のものじゃないのかな」
「……」
「信頼して、相手も自分を信じてくれれば嬉しい。……それでいいと思うよ」
まるで禅問答のような言葉。けれど。
「まぁゆっくり考えてごらん。単にシズは色々な事が起きて混乱してしまっただけだと思うよ」
「……そうかな」
「うん。シズは人が信じられなくなった訳じゃない。今もこうやって僕に訊ねてくれたでしょ?」
でも、それは。
アルならどう考えるのか、知りたかっただけで。
「……ってのが、今考えた僕なりの結論だけど」
……
今、思いっきり気分がずっこけた。
「普段、そう思ってる……って事じゃないの?」
「そんなの考えたくないよ。考える時間は好きなだけあるんだもの、疑いだしたらきりがない」
……あぁ。
そうだ。この人は、既に人の生きる時間の3倍の時を過ごしている。
「実際……もう何回死んだか記憶してないしね」
「アル……死ぬ事も──あるの?」
苦笑気味に言った言葉に、疑問を口に浮かべる。
「この身体は人間だから、許容量を越えて負担がかかれば死ぬよ。……けれど僕の意思にかかわらず、バックアップされた情報により瞬間にこの身体は再生する。──僕はそういうものなんだ」
……だから。いつまでも年老いる事なく、そのままで。
「──それでも、バックアップがいつまでも完全にコピーされつづけるわけではない。何百年かかるかわからないけど、いつかは僕の精神(こころ)も消滅する事ができる」
まるでそれが救いであるかのように、彼は微笑んだ。
きっと裏切りも悪意も、人の倍受けとめてきたに違いなかった。
それでも。この人が人を信じつづけるというのなら。
「シズ!」
丘の上から声がする。──マーティンだ。
「大丈夫だよシズは。だって『人が信じられなくなった、怖い』と思っても──マーティンや他の人を責めたりはしなかったんだから」
ちょっと、回り道をしてしまっただけ……それをちょっとずつ埋めていけばいいんだ。
それが、今の答え。
「……じゃ、そろそろお暇しましょうか」
アルが立ち上がる。
「……行っちゃうの?」
「うん。約束がまだ残っているから」
それは、きっと──エミリアと交わした誓い。
「……それじゃ」
「──アル!」
立ち去ろうとして振り返った背中に……笑顔を見せる。
きっともうこの人と会う事はなくなるだろう。何となくそう思った。
だから。
「またね……『お父さん』」
アルは驚いた顔をして──そして微笑んで、言った。
「うん。──またね」
そして……その言葉と共に瞬間的に姿を消した。
「なぁ……今の」
降りてきたマーティンが、信じがたいものを見た、という表情でアルの消えた位置を見てる。
「うん、あたし達の『お父さん』」
「え? でもお前」
混乱している状態のマーティンを見て、心の中でくすっと笑って。
御免ね。あとで、ちゃんと話してあげるから。
空を見上げる。
エミリアの眠る場所は、変わらず優しい風が吹いていた。
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