07

「はい、これでいいわよー」

「有難うございました……処で」

 若い隊員さんがずずずと寄ってくる。

「はい?」

「今度オフの時にお茶でも……」

「えっと……」

 ぱこーん。小気味のいい音が医務室に響く。

「おい、新入り。見境なく口説いてんじゃない」

 ダグがプラスチックのメガホンを放り投げてそれがコントロールよく頭にぶつかった音だった……


「助かったわ、ダグ。でもね?」

「ん?」

「治療の必要のない人は、医務室に常駐しないでほしいんだけど……」

 あれから数ヶ月。簡単な手当てくらいなら任される事も増え、私は週に何日かギルドの医務室につめるようになった。

「だって俺暇だし」

 ダグはあれから足の骨を折ったとかでずっとギルドの寮にこもっており……私がギルドの医務室に通うようになってから、ちょくちょく顔をだしてくれるようになった。

 それはいいとして。

 ……最近は、医務室に座りっぱなしの状態が続いている……

「それに、シズさんに悪い虫つけたらマーティンに申し訳たたないもん」

「自分の事は自分でどうにかするわよ」

 医務室を訪れる人が絶えて、私はやりかけのノートを広げる。

「それよりダグは里に帰らないの?」

 何気なく訊ねた一言だった。

「あぁ俺は既に天涯孤独なので」

 ……え? 走らせたばかりのペンが止まる。

「もう親兄弟は鬼籍ですし。恋人にも振られてるんで、待ってる人はいないです」

 私はぎっと椅子を回して、ダグに向き直った。

「……御免なさい……」

「やだな。シズさんの気にするこっちゃないですよ」

 ダグが、困ったように笑う。

「まぁ寮に残ってれば、飯は食いはぐれないですからね」

 そういうと、ダグがよっこいしょと松葉杖を頼りに立ち上がった。

「帰るの?」

「勉強の邪魔っぽいですからね」

「──忙しくないときなら、来てもいいわよ」

「ほんと? ……やったっ」

 無邪気にダグは笑顔を見せて、それじゃ、と手を振って自分の部屋に戻っていった。

 私は再びノートに向き直り……そして、天井を見上げた。


 マーティンが記憶を失って帰ってきたとき。敵はきっとこの中にいるのだと思ってた。

 けれど出会う人は自分の等身大にそって生きている人達ばかりで。

 本当に、私は真実に出会えるのだろうか……?

 目を閉じて首を振る。まだ一年も経ってない。

 あせっちゃだめだ……

 私は、無理やり意識をノートに埋没させた。


「じゃ、行ってきます」

 マーティンの記憶は戻らない。それでも私達は少しずつ、記憶を紡ぐ。

「……どうしたの?」

 普段は、すぐに部屋に戻ってしまうマーティンが私をじっと見つめる。

「……ちょっと心配になって」

「え?」

「君はまっすぐだから」

 私はくすっと笑って、マーティンに答えた。

「私は大丈夫。──でも、有難う」


 その日。朝、すぐに顔を出した医務室で師長が私を呼んだ。

「あ、ちょうどよかった。シズ、臨床検査室に持っていってほしいものがあるんだけど」

「はいっ。すぐ着替えるんで、待って下さいー」

「うん」

 手早く髪を結い、白衣を羽織る。

「悪いね。急ぎの患者さんがくる事になっちゃって」

「いえ。臨床検査室の……」

「5C。毎回で悪いけど、カルテを含むから」

「はい」

 5C。……一番奥の部屋か。

「じゃ、頼んだ」

「はい」

 私は、使いを果たす為に部屋をでた。

 けれど、5Cを使う患者さんだなんて……

 いけない。急がなきゃいけないんだ。

 急いで角を曲がろうとしたとき。

 向こうからやはり角を曲がろうとした影に身体をぶつけた。

「ひゃ!」

 思わず書類袋をとりおとす。

 ばさばさっと、中身がちらばった。

「気をつけたまえ」

「はいっ……」

 慌てて返事をして……胸に何かついてる……幹部クラスの人か……

 それより書類。拾い忘れがないようにしないと……

 その時、私の目は、拾ったカルテの患者名に吸い寄せられた。

「Alfred Jeeling」

 ……アル?

 一瞬カルテを見たい衝動に駆られて……理性でそれを押さえ込む。

 個人情報なのだ、勝手に見る訳にはいかない。何にせよ、見たってよくわかる訳じゃないんだから。

 私は書類を全部回収し、臨床検査室に急いだ。


「失礼しますー」

 私は臨床検査室のメイン受付のドアをノックした。

 ……反応がない。

 変だな。通常患者がくるときには、医師か技師か看護師が待機している筈なのに。

 私はもう一度ドアをノックして、反応が完全にないのを確認すると……メイン受付のサイドの扉から中に入った。

 やっぱり人はいないようだ……

 機械の音は響いてる。

 ……これはあれかなぁ。検査が始まっちゃったので、ちょっとだけ中座してしまった状態かしら……一応誰かしら機械のそばにはいなくてはいけない筈だけど、お手洗いなどの小用で二、三分程中座してしまう事はたまにある。

 とりあえず、すぐには戻れなさそうだ。

 カルテの受け渡しも、個人情報の為医師か技師か看護師に渡す……つまりおきっぱなしにして帰っちゃいけない事になっている。

 私はカルテを机の上におき、師長に連絡をする為にインターフォンに手を伸ばした。

 ……冷たい金属の感触を首筋に感じて、私は伸ばした手を止めた。

「動くな」

 くぐもった声。

 ……そろそろと上げかけていた手を下ろす。

 首筋にあたっていた金属の感触はなくなった。

「……よし。それでいい」

 右の手首をつかまれ、無理やり身体の方向を変えられる。

 男の顔は見えない。声もおそらく……変声器を使ってるのだろう。不自然な声。

「……担当の看護師だな。5Cの機械を強制終了させろ」

「──私は担当看護師ではありませんし、看護実習生です。……強制終了させろと言われても方法がわかりません」

「スイッチはわかっている。それを教える。お前はただ操作すればいい」

「それがわかってるなら……」

「強制終了のスイッチを作動させるには、医師か技師か看護師の個人コードがいる」

 ……

 どうしよう。

 5C。一番奥にあるこの部屋はかなり治療に大掛かりな装置が必要な患者が利用している筈。そう……たとえば、透析のような。

 そして中にいるのは、ほぼ間違いなくアルで……

「早くしろ」


 ……敵の多い人ですからね。


 ダグの言葉が去来する。


 動けなくなっている私に埒があかなくなったのだろう。男は掴んだ右手をひっぱって、私の身体を無理やり5Cの前までひきずっていった。

 5Cの作業室には大きなコンソールが設置されている。

 男は私が首からぶら下げてたIDカードを取りあげ、個人コードをスキャナに読み取らせた。

「オペレータ シズ=フォード カクニン」

 無機質な文字が画面に浮かぶ。

 続けてコンソールを操作してゆく男。

 どんどんとまってゆく画面。

「やめて!」

 私は機械を操作する男の腕にしがみついた。

「放せ!」

 いとも簡単に振り払われてしまう。

 硬い衝撃を覚悟した私の身体を誰かが受け止めた。

「……女の子をそんな風に扱っちゃいけないよ」

 ──アル?

 現在中にいる筈のアルが、どうしてここに?

 しかし、その疑問は見知らぬ男にとっても同じだったらしく、完全に驚いた表情でこちらを向いた。

 ……銃を片手に。

 アルが、私の身体をぐいっと後ろに下げた。

 ……

 鈍い衝撃がアルの身体を通じて伝わってくる。

 私の前に立ちふさがったアルの、身体が沈む。

 刺激臭が私の幼い記憶を呼び覚ます。

 蛋白質がこげた時の──

「アル!」

 半分悲鳴のような声で、私は彼の名を呼んだ。

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