06
「シズ、これなんてどうかしら」
大量の書類と格闘していた私の目の前に、エミリアがすっと1枚の紙を差し出した。
私は、この館に身を寄せて以来、学校に通った事がない。
この地域に学校の絶対数が足りなかった事もあるし、エミリア自身が優秀な先生であった事もある。私は、読み書きと簡単な計算をエミリアに習った。
生活そのものにはあまり問題はないけれど、ギルドに就職するにあたって、学歴を問われたらその時点でアウトだ。
「……えーと……看護を学習しながら、同時に配置先の仕事を行ってもらう……?」
「実習訓練生って事じゃないかしら」
成程。要は丁稚奉公しながら学べと。私はその紙の先に目を通した。
「ねぇ、シズ……本当に、ギルドに入るの?」
エミリアの声に顔を上げる。
「うん……そのつもり」
やはりエミリアはかなり私の事を心配しているようだった。
「……アルってば、絶対止めてくれると思ったのに」
「……御免ね、エミリア」
「まぁあの人の事だから、何か考えがあるのだとは思うのだけど……」
「……ねぇ、エミリア」
私は以前からの疑問を口にのせた。
「……?」
「アルって、いったいエミリアの何なの?」
「……大事なひとよ」
柔らかいエミリアの笑顔。これを見ると私は追及する気をつい失ってしまうのだ。
「……」
そんな私の気持ちを察したのか、エミリアは微笑んだまま静かに答えた。
「……そうね。貴方には、そのうちわかるかも知れないわね」
私は翌日簡単な願書を支部に提出し……そして一ヵ月後には実習生として、学習しながら週に何日かは仕事場に通うという生活となった。
しかし何とかギルドに近づく事はできたものの、それがゴールな訳ではない。
二十歳にて再び学問を始めるというのはなかなかに厳しいものだ。ましてや私の目的は更にその先にある。そこまで果たしてたどり着けるのか……
そんなある日の午後。
私は、図書室に参考書籍を借りに来ていた。
自分の持つささやかなお小遣いでは教科書以上のものを購入するのは難しかったし、大体簡単に専門書が手に入るほどこの地域に流通していない。
「受付けました。二週間後にご返却下さい」
「はい」
司書の女性から書籍を受け取って振り返ったとたん、そのシルエットは目に入った。
思わず叫びそうになる声をおさえて、私はそのシルエットの許まで歩いていった。
「……アル」
座って書籍に目を通していたその影は顔を上げ……のほほんとこう言ったのだった。
「……あぁ。とうとう捕まってしまったね」
「いったいこんな処で何を……!」
「シズ。図書室じゃ大声は厳禁だよ?」
アルは読みかけの書籍を閉じ、近くの書棚にしまった。
「……まぁ、みつかっちゃった事だし、別の場所に移動して話しましょうか」
アルは、図書室のそばのある一室に私を連れて行った。
「かけて」
そのそばでは、職員が書類をにらんでいる。
「ここは……」
「まぁ、待機用の部屋って処かな。いつ呼出が来るかわからないから」
「そうわかってるんだったら、部屋にずっといてくださいよ」
目の前に何か置かれる。
先ほど書類をにらんでいた妙齢の女性だった。
「それを言ったら、何時間こもってなくちゃいけないかわからないじゃない」
「連絡先を告げてくれって言ってるんです!」
女性はそれだけ言って、自分の持ち場に帰っていった。
「……あの……アル……これ、何?」
「あぁ。飲み物。コーヒーっていう」
飲み物……
私は一口口をつけた。……苦い。
「お茶の風習がギルドだけになって久しいからね……しかもこれしかない。──はい。自分で味を調節して」
そう言ってアルは砂糖とクリームを渡してくれた。とりあえず与えられた分いれて、かきまぜて……あ、何とか飲めそう。
「……でね、アル。何でここにいるの?」
「ギルドが僕の雇い主だからだよ」
……もしかして、ダグとかに聞かなくてもアルに頼めば簡単に職員になれたのでは……?
そんな私の表情を読み取ったのか、アルが苦笑して答えた。
「雇い主といっても、ギルドが仕事を発注して僕がこなすってだけだよ。従業員な訳じゃない」
あぁ、そうか……従業員ならともかくとして、仕事の依頼先は、依頼主に就職させてとはいえないよね……あれ?
「……王様って……そんな風に仕事するの?」
ふと口をついて出た言葉に、アルは目を丸くして……そして思いきり声を殺して笑っていた。
「……アル……」
「御免御免。思いきり笑いたい処だったけど、仕事をしている人に悪いからね」
……いいけど……そんなに笑わなくったって……
「けどシズ、よくそんな昔の言葉覚えてたね」
「昔の事って言ったって……アルと話した事あまりないもの……」
「そうだね。僕は大体戻りが深夜になるし、早朝には戻ってしまうし、依頼が長引けば数ヶ月帰ってこれないしね」
つい真っ赤になって黙り込んでしまった私にアルは笑いをおさめて、言った。
「……あれは、エミリアのジョークなんだよ」
「……?」
「僕の名前の『アルフレッド』。語源をたどると妖精の王様っていうらしくって……まぁ、一説だけど」
「……はぁ」
……そ……そんな他愛もない事だったのか。
何だか、そんなジョークを無意識に信じていたという事が今更に気恥ずかしく……私は顔を上げた。
アルが、何かを取り出そうとしているその背中。
「……アル」
「ん?」
「髪の毛、解けてる」
「え? ……あぁいいよ。自分じゃ直せないから」
……
「……座って」
「いや、別に」
「──座りなさい。」
「……はい」
先ほどの気恥ずかしさも手伝って、つい強い口調で言ってしまう。
私はアルの髪の毛を解いてブラシで解き始めた。
「……自分で手入れできないなら、切っちゃえばいいのに」
「よく言われるけどね……僕持病もちだから、薬が手放せなくって」
……ますます謎が深まる。
「それにもう自分の中で髪の毛がこの長さでってイメージもできてるし、あと」
「あと?」
「エミリアに髪を結ってもらえなくなる」
……
「……それが、一番重要な理由なの?」
「うん」
……聞けば聞くほど謎が深まるばかりだ……
「けど、エミリアだってずっとアルの面倒を見てられるわけでもないでしょ。だったら……」
「……いいんだ、これで」
その他愛もない返事に。
何か強い意志を感じて、私は咄嗟に返事を返す事が出来なかった。
「……多分やろうと思えば自分でできるようになるだろう。そのほうが便利だし、人に迷惑かけない事もわかってる。けど」
「……けど?」
「何でもできちゃうと、一人でも何とか生きてけちゃうから。……なら、できない事がいくつか在ってもいい」
それは、何かに対する渇望の片鱗を思わせて、私は黙り込んでしまうしかなかった。
「貴方の場合は『できない』じゃなくて『やらない』でしょう」
先ほど、えっと『コーヒー』?を出してくれた女性が通りすがりに茶々をいれる。
「……ひどいなぁ。やるべき事はやってるでしょう?」
「シズさん、この人の言う事をあまり真剣にとらなくていいからね?」
……この人達は……いったい……
折もよく、三編みも結いあがったのでアルの背中をぽんと叩く。
「……できたわよ」
「ん。有難う、シズ」
その日は、そのままお暇する事にした。
ぱたん、とその部屋の扉を閉めたそのとたん。
「シズさん!」
聞き覚えのある声に、私は振り返った。
「あぁ、やっぱそうだ」
「……こんにちは」
驚いた声で私に声をかけたのは、ダグだった。
何とはなしに、並んで歩き始める。
「……本当に、来ちゃったんですね」
「うん。心配してもらって、申し訳ないけれど」
「いや……あれは俺の我儘な気持ちであって、シズさんにはシズさんの事情があるだろうし……処で」
逡巡するようにダグが複雑そうな表情をする。
「? ……何か」
「いえ……さっきの部屋の人。あの人とは、知り合いですか?」
「……知り合いっていうか……さっき偶然会って」
「ならいいですけれども」
私の言葉をどう解釈したのか、ダグが言った。
「もしそんなに仲がよいわけじゃないなら、近づかないほうがいいですよ。……敵の多い人ですからね」
「……敵……?」
「まぁ、向こうは『敵』だなんて思ってやしないだろうけど」
そこまで言って、ダグははっとした顔をして……困ったように言葉を続けた。
「シズさんはまだここに来て、間もないですから……ギルドって処は大まかに分けて、二種類の人間がいる処です。一つは、俺達みたいに金が稼げればそれだけでいいって人間。そして」
ダグが、口調を抑えて言う。
「──ギルドの思想を最大の理想と信じている人間」
「……ギルドの思想?」
「『汝、人道を踏破する者、其はギルドなり』……正しいと信じた事の為なら、人の道を外した手段をもってしても目的を達しようとします」
「……」
「まぁ、戦後の混乱時にはそのくらいでなければ、世界をまとめる事はできなかったんでしょうけど」
それはさておいて、とダグは続けた。
「そんな集団において、そこの部屋にいる人は、一種のアンチテーゼをもってるみたいで……思想を統一して、理想に近づこうと考えている人間にはまぁ、目の仇ってやつですね」
「……ダグは?」
私は、ダグに聞き返した。
「俺……ですか? 俺はまぁ、金が稼げればそれでいいので」
「それは、ちがうよ」
私はダグに尋ね直した。
「だって、お金は手段だよね? ……で、その先に自分の家族の事があったり、自分のやりたい事があるんじゃないの?」
ダグは一瞬呆気にとられたような顔をして……笑い出した。
何か今日はよく笑われる日だな……そんなに変なのかな。
「……何か敵わないなぁ、シズさんには」
「変……だった? 今の」
「いえ。……マーティンの奴がうらやましいですよ、俺は」
ただ、とダグは重ねて釘をさすように言った。
「シズさんは本当に気をつけて下さいね。世の中、俺みたく紳士な奴ばっかじゃないですから」
それじゃ、と話している間に最寄の港まで送ってくれたダグは、手を振って自分の待機場所へ戻っていった。
──私は小さく溜息をついた。
この先の長い道のりを予想して。
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