講和会議

 ユニオンジャックをプリントされたジェット機が上空を滑空していく音を聞きながら、伊藤は車を降りて北方新国の領土に立った。

「伊藤国久さんですね。初めまして。僕は北方新国で統治コンピュータ研究を任されている、南日本の完零です」

 到着早々日本語で挨拶されたことに驚いた伊藤は、逆光でよく見えない相手を、顔の上に手を翳しながら見やった。

「零じゃん、何してるの」

 後ろから聞こえた声に完零と伊藤の双方が反応した。別の車で来ていた完田了が完零を凝視している。

「了さんじゃないですか」

 完零も驚きの表情で完田を見つめる。

「何ですか、二人して。知り合いだったんですか」

 伊藤も加わり、三人で顔を見つめ合う。北方新国の軍隊員の一人が三人の間に割って入り、基地の中に案内した。

 カン・レイの祖父で統治コンピュータアワ・マジェスティを開発したカン・シュウは上海出身だった。漢民族の父親と日本民族の母親との間に長男として生まれたカン・シュウは、本名を完柊と書く。母親の家系が代々継いでいる日系企業の跡取りとなったシュウの父親が名前を日本語読みに変えたため、かんと呼ばれている。

 シュウは家出をし、建国途中だった祖国アワ・マジェスティに移民すると、アルファベットでカン・シュウと名乗るようになった。ドーラ・コンフィチュールと結婚したシュウとの間に長男ディランが誕生し、その子どもがレイだ。レイと名付けた人はシュウで、その時に零という字を当てている。

 シュウの父親が継いだ日系企業は、父亡き後、シュウの弟が継ぐことになった。南日本に移民したシュウの弟は、日本によく馴染むよう、姓名を完から完田に変えた。その後、シュウの息子ディランもレイを連れて南日本に移民した。白人とのハーフだったカン・ディランは日本人と同化しようとはせず、完ディランという名前で日本国籍を取得した。レイは漢字で完零と名乗ることになった。

 こうして同じ家系から完田と完、二つの分派が出来た。南日本に住んでいた完田家と完家は親交を深め、完田了とカン・レイも正月に会うなど、互いの近況を知る機会を設けていた。カン・レイが祖国アワ・マジェスティに行ってからは、これが初めての対面だ。

「フロイデンベルクの統治コンピュータは壊れてしまって使えないので、今新しいものを作ってもらっています。フロイデンベルクの統治コンピュータのメインシステムが壊れてからは、北東の街ファイレンノーヴァの内政調査局の子機がメインシステムの代わりをしているらしいです。フロイデンベルクの統治コンピュータも基本は同じのはずなので、新しいものをセッティングし直せばメインシステムとして使えるのではないかと予測しています」

 伊藤と完田了は完零に案内されてネオペターバーグ陸軍基地の統治コンピュータの子機を見学させてもらっている。何十年も解明できていないものを他国の技術者に数分見せたところで問題はない、というのが理由だった。伊藤と完田了も同意見で、統治コンピュータの外見だけ見せてもらっただけではそれがどのようなシステムで国を統治しているのかわからなかった。

「統治コンピュータの研究に他国の技術者が加わってくれたら、僕も助かるんですけどね」

 伊藤は完零の意見に率直な感想を抱いた。

「世界が全くの平和であったらそれも実現するでしょうが、アリトシがある限り、無理でしょうね」

 完零は笑って、言った。

「フロイデンベルクはバベルの塔っていう渾名があるんです。統治コンピュータを通して多人種多民族が一つになって生活する。できれば統治コンピュータには無事でいて、僕らアワ・マジェスティをずっと纏め上げていてほしいですね」


  *


 クロエは、伸びをしたり腕を振ったりして体を動かしていると、不知火がじろじろこちらを見ていることに気付いた。

「何だよ、こっち見るな」

 不知火は不思議そうに言う。

「大丈夫なのか、腕を付け替えたばかりなのに、動き回って」

 クロエは鼻で笑った。

「大丈夫だよ。お前もやったことあるだろ。こうやって動かして体に馴染ませるんだよ」

 不知火はまだ手足を切断する程の怪我を負ったことがなかった。取り外しをしたことはあるが、それと全く新しい腕を付け直すことは別なのだろう。

「新しいパーツはまだ冷たいから動かして暖めてやるんだ。全体と温度が大体同じになったら付け替え完了」

「そうか」

 不知火はクロエがラジオ体操のような動きをしているのをじろじろ見ていた。

「了様が、戦ってる時に上書きしろって言っただろ。あれ、いつのもことなんだ」

 クロエは動きながら話す。

「了様はヒューマノイドだったとしてもアタシらを人間のように扱ってくださる。了様の好みの服を着せて、了様が行く場所にはいつもついて来させて。それで、もしアタシらが事故にあったり、故障したりして、最後に上書きした直後からの記憶が吹っ飛んだら、了様はものすごく悲しむ。普通に仕事用で使われてるヒューマノイドならほんの少しの間の記憶が吹っ飛んでも誰からも心配してもらえないよ」

「そうか」

 不知火は、こんな時にどんな相槌を打てばいいのか考えた。ヒューマノイドと雑談をするなど、一体誰が想像できるだろう。

「でも、アタシらはいくらでも再生可能だからそれができるんだよ」

 クロエは自分の全記憶が詰まっているというICチップのバックアップを指で摘まんでいる。不知火はクロエが何を言おうとしているのか、探った。

「お前は死ぬんだろ、その体が破損したら」

 背筋が凍った。死ぬ、という発音が不知火の意識下で反芻される。どういう原理で意識が遠隔操作式人型兵器に乗り移ったのかわからない以上、意識を別の媒体に移植することは不可能だった。コンピュータシステムで人間に近い思考を再現しているだけのクロエ達ヒューマノイドと、不知火が別物であると決定づける事実だ。遠隔操作式人型兵器である自分の体が大破し活動停止したら、自分の意識は永久に失われる。

「元々俺の仕事はいつ死んでもおかしくないものだ。今更死ぬだの何だの喚くことはない」

 クロエは壁に手をついて背中を伸ばした。

「ま、大切にしろよ。それはどんなに私達が発達しても持つことはできない特権なんだからさ」

 クロエのいう特権というものが具体的に何なのか訊くことはできなかった。暇を持て余した北方新国の兵隊達が不知火とクロエを外へ連れ出して体力勝負を持ちかけてきたからだ。多勢に無勢でも、武器が使えなくても、クロエがいれば楽勝だろう、と不知火は高を括った。

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