GRACE

伊豆 可未名

第一章 開戦前

2L大統領の決断

 しんと静まり返った室内に漂う冷気が、2L大統領イクサック・ウェインバーグの、ホットラインの通話ボタンを押す手に張り付く。大統領執務室の広すぎる空間の中央よりやや奥に備え付けられた執務机に左肘をつき、その手は盗聴を防ぐための高性能マイク付きヘッドフォンを支えている。ウェインバーグ大統領の背後には、端が焼け落ち、ところどころに燃えた跡のある汚い星条旗が額に入れられて飾られている。元はホワイトハウスの庭で風に靡いていたアメリカ合衆国国旗、これこそが本物の2L国旗だ。国内で流通しているわざと焼け跡に似せた加工がしてある2L国旗はレプリカでしかない。アメリカ合衆国が2Lと名前を変えた歴史そのものを表すその国旗を背に、ウェインバーグ大統領はヘッドフォン内に響く呼び鈴に耳を傾けた。

「こちら諜報課ヤタガラスです」

 初めから相手が誰か承知していたのであろう声が、日本語ではなく英語で応答する。

「私だ。2L大統領のイクサック・ウェインバーグ」

「ご決断されたのですね」

「そうだ」

「それでは、使いの者を寄越します」

 会話はそれだけだった。電話口の諜報課ヤタガラスの方から通話を切り、ウェインバーグ大統領の耳には元の静寂が戻った。緊張から解放されたウェインバーグ大統領は先程まで肌寒さを覚えていたにも関わらず、手から汗が噴き出ていることに気付いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る