第四章 攻撃開始

”Welcome to Our Majesty”

 寝室を出ると、早朝にも関わらず不知火が既に廊下で伊藤を待ち構えており、報告をした。歩兵と武器の数は報告よりも少なく、報酬を水増ししようとしていることがわかった。初めからそれを見越して多めに要求していた伊藤は充分な数は揃ったと割り切り、不知火に休むように言った。

「俺は充電をするだけで済みますので、平気です」

 不知火の返事は素っ気ないものだった。

 ヒューマノイドの遠隔操作式人型兵器になる前から不知火は人肌を感じさせない性格だった。諜報課ヤタガラスの職員特有の近寄りがたさを身に纏っている。それはトップに君臨する飯島にも見られる特徴で、伊藤はそれが苦手だった。

 伊豆少将と山本少尉が拘束されたことは聞いていた。春川大将の脅しが効いて一時的な極秘での拘束のみとなったが、それがなかったら人柱にされていたかもしれない。二人には悪いが、面会にも行かずに乙姫アトランティスを出て行ってしまった。世界一安全な場所に拘束されているのだからこちらが気にすることもないだろう。

 伊藤の問題はいつ攻撃を始めるか、だった。世界中にアリトシの軍隊を張り込ませたはいいが、既に二回も北方新国への航空機の侵入を許している。一度目のステルス戦闘機にも驚かされたが、二度目のヘリコプターが核汚染地域上空を通過してきたと聞いた時、敵をアホかと思った。放射性物質に直接触れなければ被曝線量が安全基準値を超えないのかもしれないが、無謀にも程がある。

北方新国が伊藤の想像できる範囲を超えていることはそれだけではない。国家元首である統治コンピュータだ。どのようなシステムでコンピュータが政治を執り行っているのかわかったものではない。彦星ミルキーウェイ部隊がアリトシ・北方新国共同極東駐屯所を襲った時も北方新国の軍隊はすぐに国内まで撤退したし、国境にこうして人型兵器が集結しても行動を起こそうとしない。統治コンピュータは一体何を考えているのだろう。準備をしなくても勝てると思っているのだろうか。

「今日正午、人型兵器一機で大北京国境を越えます。その後ろを歩兵二千人で固めてください。相手の出方を見ます。出動する人型兵器は何でもいい。パイロット共々準備が整っている機体をそちらで選んでください」

 伊藤は作戦会議室に集まった面々に指示する。軍事技術顧問の命令に口答えできるものはいない。各人が自分のするべきことに意識を移し、部下に命令するなり、部屋を出ていくなりしている。

 伊藤は壁に掛けられた液晶画面の電源を入れ、アリトシTVの生中継に見入った。全世界同時生中継のアリトシTVはアリトシの花形部署軍事課の仕事ぶりの取材をすることを任されている。戦場の光景を撮影し、アリトシの雄姿を全世界に知らしめ、それに賛同した視聴者達が軍事費のための出資をする。広報課はいかにアリトシの軍事課が素晴らしい戦いをしたかを報道しなければならず、そのためなら事実を歪曲することもある。

 現在の大北京国境の映像が流されている。ヘリコプターから撮っているらしい。待機中の人型兵器が並んでいる足元に設計メカニックデザイン課から派遣されている整備士や野次馬が見える。地面の上だけを歩くようにできている人型兵器は海上での戦闘が常のアリトシではマイナーだ。伊藤も陸用の人型兵器を設計メカニックデザインしたことがない。今回出動するらしい陸用人型兵器火砕流ヴェスヴィオは人型兵器が作られ始めた最初期の機体だ。

 画面が切り替わり、パイロットのインタビューが始まった。四〇代のベテランパイロットだ。夏目和樹という名前が顔の横に表示されている。北京上陸作戦の折、故持田映太中佐の水陸両用人型兵器荒海ポセイドンと春川大将の水空陸用人型兵器明王ジュピターに混ざって功績を上げたらしいことが話されている。伊藤はあの作戦下で、自分の設計メカニックデザインした水空両用人型兵器が墜落しパイロットが死亡したと聞いたこともあり、作戦名を聞く度胃が重くなる。その人型兵器のパイロットは伊豆少将の思い人で朝鮮半島の未来社のスパイだった。確か金山蜜という名前だったと思う。伊豆少将はその件以来、男と女の狭間を彷徨ったが、伊藤の知ったことではなかった。

 先に占領した北京に比べ、ソウルは復興を着々と進めている。それは占領統治の指揮を執った伊豆少将の采配によるものだ。部下殺害容疑で逮捕されなければ北京占領統治にも関わっていただろう。そしたら伊藤は今頃暖房の効いた豪奢な建物の作戦本部で中国茶でも啜っていたかもしれない。

 正午、作戦決行の合図を送った伊藤は、アリトシTVからの中継の他に、現地に派遣した不知火から眼球部分に取り付けられたカメラで撮影された映像を直接受信して様子を見ていた。不知火の目の高さから見た映像では火砕流ヴェスヴィオの大きさがよくわかった。全長は五〇メートル強といったところか。伊藤は入社したばかりの頃、佐伯東城がガンダムみたいな巨大ロボットが作りたいんだと言って同期の新入社員達の失笑を買っていたことを思い出した。佐伯が当時好きだと語っていた人型兵器の中に火砕流ヴェスヴィオもあった気がする。佐伯はデザインの才能に恵まれず戦艦の設計メカニックデザインを担当するようになったが、伊藤は出世のため幹部の目を引くようなデザイン性と機能性に優れた人型兵器を作る方に傾倒していった。大北京でパワードスーツに度肝を抜かれた伊藤が遠隔操作式人型兵器の案を説明した時、佐伯はまたモダニズム時代の日本アニメを持ち出した。攻殻機動隊という名前だったと思う。残念ながらあのような汎用性のある人型兵器は作れなかったが、まだ諦めてはいない。そのために北方新国に勝利して、予算を引っ張ってこられる状況を作らなければならない。

 それだけか、と訊く声が頭の中で聞こえた気がした。川越が負傷したことで自分が余裕を失っていることに気付いていないわけではない。ベッドで上半身を起こして本を読んでいた川越の姿を思い出す。年上の女性に興味はないと思っていたのに、遠隔操作式人型兵器の事故の処理に追われていた時、近くにいて背中を支えてくれた川越にいつしか好意を抱くようになっていた。マザコンだとか熟女趣味だとか言う同僚もいる。だけどそれに何の意味があるだろう。自分を大事に思ってくれるなら、愛想がいいだけの若い女より余程必要な存在なのではないのか。川越がいなくなったら自分は元の出世欲でしか生きられない男になってしまう。地位を手に入れた今はもっと悲惨かもしれない。そうなっては困る。川越に怪我を負わせたイスラム勢力は許せない。

 電源が入り、火砕流ヴェスヴィオは手足を動かし準備運動を始めた。アリトシTVと不知火両方のカメラが別々の角度で離れたところから撮影している。後ろに歩兵がきっちり並んでいる景色も映っている。火砕流ヴェスヴィオが一歩足を踏み出した。初めはゆっくりと、後から人間の歩く速度と同じ早さで足を動かす。一歩一歩が大きいため、歩兵達は走る破目になった。それを見た火砕流ヴェスヴィオのパイロットが歩く速度を緩める。何かが起こるはずだと息を飲む一同を背に、火砕流ヴェスヴィオと歩兵達は前進し続ける。アップにし切れなくなったアリトシTVのカメラが火砕流ヴェスヴィオを捉え切れる寸前のところまで見送る。不知火も火砕流ヴェスヴィオを追いかけて国境を目指す。待っても何も現れない状況に北方新国は攻撃意思がないのかと疑うリポーターの声が聞こえてきた。火砕流ヴェスヴィオが突然動きを止めたのは国境を越えて三〇歩進んだ時だった。

 何が起きた。伊藤は不知火に無線で訊いた。不知火はわからないと言って走った。映像の揺れが激しく伊藤は目を逸らした。作戦本部長にも質問するが、返ってきた答えが伊藤を安心させることはなかった。

「統治コンピュータに火砕流ヴェスヴィオのシステムがハッキングされたようです」

 手動で出入口を開けて出てきたパイロットが報告したらしいことが映像からわかった。アリトシTVは一旦中継を打ち切り、代替番組に切り替えた。不知火からの映像が、不知火が火砕流ヴェスヴィオの中に入っていく過程を映していた。不知火が操縦席パイロットルームに入ると、椅子の前の液晶画面に”Welcome to Our Majesty”( 「祖国アワ・マジェスティへようこそ」)という表示が出ているのが確認された。やられた、と伊藤は思った。

「不知火、火砕流ヴェスヴィオがいつ動き出すかわからない。早くそこから出ろ」

 伊藤は火砕流ヴェスヴィオから離れるようにその場にいる全員に指示し、様子を見た。統治コンピュータが人型兵器のシステムにハッキングできるとは知らなかった。これではこちらの攻撃はほぼ防がれたようなものだ。

「電磁波ミサイルの用意をしてくれ。統治コンピュータを無力化する」

 伊藤の指示で現場は動き始めた。

「伊藤さん、聞いてくれ」

 不知火が無線で応答を願う。伊藤は自分の中にも巻き起こっている不安を押し隠して答えた。

「どうした」

「電磁波ミサイルを投入するのはもっと後の方がいい」

 伊藤がどういう意味かと訊くと、不知火は言った。

「統治コンピュータは俺もハッキングしようとした。でもできなかった。遠隔操作式人型兵器かヒューマイドなら統治コンピュータのサイバー攻撃を避けることができるのかもしれない」

「本当なのか」

 不知火は意識に障害を感じた瞬間があったが何事もなかったと話した。だが、どうしてハッキングに成功しなかったまでは自分でもわからないという。

「いや、待て。君が感じたものが本当に統治コンピュータによるハッキングかどうかわからない。根拠もなく遠隔操作式人型兵器を召集するわけにはいかない」

「それを証明できる人がいないわけじゃない」

 不知火は伊藤の想像を超える返答を寄越した。

「ヒューマノイドを作った完田了ならわかるかもしれない」

 不知火は自分が一っ走り南日本まで行って完田了を北京に連れてくると言い出した。無茶苦茶な計画だったが、伊藤はそれに賭けるしかなかった。

「電磁波ミサイルの準備が整うまで五時間。南日本まで行って帰ってくるのに最低八時間かかると思うが……」

「俺ならその半分で充分です」

 不知火が自信あり気に言うので、五時間以上は待たないと言い渡した伊藤は不知火が映像の送信を切ったところまで見届け、時計を見た。

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