ヴィナ、決死の特攻

 メッカ上空を通り過ぎる時、ヘリコプター内のイスラム教徒達が一斉に地べたに座り込み始めた。ヴィナはそれがイスラム教の礼拝の作法だと気付いた。何度見てもこの光景には驚かされる。同じことを毎日、それも一日に何回も繰り返すこのイスラム教徒の伝統は祖国民アワ・マジェスティでなくても奇異に感じるだろう。ヴィナは礼拝をやってみたいと思ったことはなかったが、その場に居合わせ、何か今まで感じたことのない気分になることは自覚していた。

 イスラム勢力特別担当班が聖戦ジハードと呼んでいる2Lとの争いは、三〇〇年以上続いている。当初は自爆テロが基本だったが、祖国アワ・マジェスティのイスラム勢力特別担当班が実権を握ってからは時限爆弾を仕掛けるだけのテロに変えさせられた。昔は一部の過激派による犯行でしかなかったテロが、2Lのイェルサレム爆破を境に中東に住んでいたイスラム教徒とイスラエル国民のユダヤ人達によって支持され、自爆テロをやめたことでさらに多くの人から正当性が認められるようになった。それはヴィナが祖国アワ・マジェスティで経験した団結力をはるかに上回る熱気に包まれており、自分もその中に入りたいとヴィナは思った。

「ヴィナ、俺達はネオペターバーグに着陸する」

 導師イムラーンがヴィナに報告する。イスカンダルからアレクセイがネオペターバーグに向かっていることを聞き出したらしい。ボスに見限られ、捨て駒として敵地に残されたイスカンダルも災難だ。ローガンは、そのスパイがイスカンダルであるとこちらが気付き、脅迫し情報を吐かせるとわかっていただろうに、何故自らスパイがいることを自供したのだろうか。

 まさかイスカンダルと同じく、アレクセイも捨てデコイということなのか。

「わかりました。私は……」

「アレキサンダー・ワン大佐を追え」

 導師イムラーンが、ヴィナが言い切らない内に指示する。二手に分かれて行動した方がいいことは明白だった。アンサからの通信で、アレクセイを内政調査局の局員が追跡・尾行し、2Lにいるローガンについてはマルティンの部下が調査するとの連絡が入った。イスカンダルがアレクセイに関する情報しか吐かない以上、イスラム勢力特別担当班はアレクセイの調査に集中するべきだ。ヴィナはアレクセイが捨てデコイという予感を捨て切れなかったが、現段階ではアレキサンダー・ワンが捨てデコイである可能性の方が高いことを承知していた。了解しました、と言ったヴィナは物思いに戻っていった。

 宗教心とは何だろう。祖国アワ・マジェスティにも『建国神話』という文学作品があるが、それは本物の神話ではない。祖国アワ・マジェスティ建国の歴史を語っているだけだ。統治コンピュータアワ・マジェスティという機械が人間をまとめ上げている国で、科学的な証明のされていないスピリチュアルなものの存在が肯定されるはずもなく、ヴィナも含め全ての祖国民アワ・マジェスティは、神や精霊のことを、話には聞いていても信じてはいない。自爆テロとは異なるが、祖国民アワ・マジェスティの多くが前回の戦争で命を落とした。統治コンピュータアワ・マジェスティは祖国(アワ・マジェスティ)の理念である運命共同主義に従って、祖国アワ・マジェスティのために戦って死んだ人達は国家存亡の危機を救った英雄であるため、その死は無駄ではないと説明している。ヴィナもそう思う。だが、死を肯定する行為ではあるが、これは宗教心とは違うものなのだろう。

 ふと、顔を上げたヴィナは床に倒れているイスカンダルを数秒見つめた後、席を立って三度、通信室に足を踏み入れた。


  *


 北京についた伊藤は現場責任者の男に状況を聞き、新たな指示を出した。北方新国と大北京の国境付近に駆り出す人員と武器の確保は進んでいるらしい。人型兵器もいくつか到着している。伊藤は、武器の売買に関わったアレキサンダー・ワン大佐に礼を言うよう現場責任者に言い、プレハブ小屋の作戦本部に入っていった。

 作戦本部には別ルートで合流した諜報課ヤタガラスの工作員不知火がいた。ヒューマノイドの遠隔操作式人型兵器に意識を取り込まれ、ヒューマノイドのまま任務を続行している一人だった。手足を切断したくらいでは死なず、何度でも付け替え可能な不知火に伊藤は無謀な命令を下すことがしばしばあった。

「不知火、国境へ行って、大北京側が用意した歩兵と武器の数が報告書の数と一致しているかどうか確認してもらえないか、大至急」

 不知火は顔色一つ変えず返事をし、プレハブ小屋を出た。


  *


「クルドさん、ちょっといいですか」

「何だい、アンサちゃん」

 クルドは画面から目を離さずに返事をする。

「私の部下から、ヴィナさんが大北京の駐在大使をやっていた頃の部下を呼んで大北京国境に行こうとしているらしいと連絡が入りました」

「アレキサンダー・ワン大佐を探しに行くんじゃないのかな。俺の部下がやってるからいらないと思うんだけど」

 アンサはもう一度メールの内容を確認しながら言った。

「爆薬を持てるだけ持ってこいって言ってるらしいんですよ」

「何それ」

 クルドが画面から目を離してアンサを見る。アンサは自分の目の前の液晶画面を指さしてクルドに伝える。クルドは表示された文面を見て深刻な表情になる。

「爆薬なんか何に使うつもりなんだろう」

「様子がおかしいと思いますよね」

 レイがクルドとアンサの様子に気付き、話しかける。

「どうしたんですか、二人して顔突き合わせて」

 クルドが説明した。

「ヴィナがアレキサンダー・ワン大佐の捜索に大北京に来ると言ってるんだが、爆薬を用意するように自分の部下に命じてる」

「捜している人を殺すってことですか」

「わからない」

 クルドは少し黙って考える素振りをする。

「イスラム勢力特別担当班から頼まれたのかな」

 アンサが思いつきで言う。

「イスラム勢力の戦い方はテロが基本ですが、この場合指示してるのはヴィナさんですし、そうじゃないかもしれないですね」

 レイがアンサの思いつきをあっさり否定する。

「ちょっと、ヴィナを呼んでくれないかな」

 誰に向かって言っているのかとレイとアンサがクルドを見る。クルドはイスラム勢力特別担当班のヘリコプターと繋がっているようで、さっきのはヴィナを呼び出す言葉だった。

「どうしたの、クルド。アンサは何してるの」

 ヴィナはクルドが話したいと言ってきたので、極力明るい声で無線に出た。

「部下に爆薬を持ってくるように頼んだらしいが、何するつもりなんだ、お前」

 ヴィナは予期していた質問に、予め考えていた返答をした。

「私にもできたのよ、祖国アワ・マジェスティのためにできる最大のことが」

 クルドが気の抜けた声を出している。

祖国アワ・マジェスティのためにいつも働いてるじゃないか」

「それじゃ足りないの」

 ヴィナはクルドが言い終わる前に言った。

祖国アワ・マジェスティは私達のために最善を尽くしてくれている。だから私も祖国アワ・マジェスティのために全力を尽くすの」

 ヴィナらしくない返事だった。クルドは嫌な予感がしてここにハヌルを呼び出すように小声でアンサに伝えた。アンサが部屋を出ていくのを見届け、クルドは続けた。

「何だかわからないが気をつけろよ。もう大北京国境には人型兵器がうろついてる」

「大丈夫よ、そんなの」

 クルドがヴィナとの通信を切ると、マルティンが横目でクルドを見ながら訊く。

「ヴィナは何て言ってたんだ」

「わからない。祖国アワ・マジェスティのために全力を尽くすとか言ってた」

 ハヌルが到着すると、クルドはイスラム教について質問した。ヴィナが爆弾テロを起こすためのノウハウを知っているとは思えない。周到な準備を必要とし、この一大事に思いつきで実行できる類のものでもない。もし、準備も何もなしにテロが起こせるとしたら、それは自爆テロだ。変装で大北京の田舎の人の振りをして近づき、アレキサンダー・ワン大佐を巻き添えに爆死するかもしれない。

「アレキサンダー・ワン大佐を殺してしまっていいのかな」

 アンサが呟く。戦闘中の事故ということで片づけることもできるが、アレキサンダー・ワン大佐の場合は身元が不明であるためそう易々と殺すわけにもいかないはずだ。

「ヴィナは暗号無線を持ってる。それでアレキサンダー・ワン大佐の自白を俺達に聞かせた上で、爆殺する可能性は充分ありうる話だ」

「今大北京にいるアレキサンダー・ワン大佐が、アンサやヴィナの知っている人であろうとなかろうと、敵側に武器を売った時点で俺達の敵であることは確定しているわけだ。問答無用で殺すことだってできないわけじゃない」

 マルティンとクルドが口々に持論を展開する。

「どちらにしても、ヴィナさんが危険なことをしようとしていることだけは確かなんですよね。だったら、誰かが行って止めてあげるべきです」

 ハヌルが言う。レイ、アンサ、マルティン、クルド、ハヌルが目を合わせて互いの顔色を確認する。クルドがゆっくりと口を開き、言った。

「俺が行ってもいいかな」

「でもクルドさん、アリトシの動向の方は……」

アンサが言いかけるとクルドが立ち上がり、戸口の前まで行く。スーツの上着を着てぴしっと撫で付けると、照れ隠しに頬をかきながら言った。

「血縁ではないけど、ヴィナは俺の妹みたいなもんなんだ。外交調査局に入る前の特殊技能者養成学校の学生だった頃から一緒にいた。あいつは、仕事はできるんだが無茶するタイプだったから、俺がいつも見張っててやらなきゃいけなかった」

 アンサはマルティンに引き留めてくれないかと視線を送ったが、マルティンが言った言葉はアンサの考えとは真逆だった。

「特殊技能者養成学校の時からのヴィナの友人はお前だけじゃない。いい報せがあるから手土産に持って行け。俺の部下が2Lでローガンの動向を掴んだ。やつは2Lからのアリトシの軍事費のほとんどを出資しているユダヤ人資本家の一人だ」

 クルドは2Lの発音でサンクスとマルティンに言うと、走って出て行った。


  *


 祖国アワ・マジェスティの土はとても固いと思った。今まで砂漠にいたからそう思うのかもしれない。祖国アワ・マジェスティが建国されるずっと前は永久凍土と呼ばれていたらしいが、今はいつでも草木が生え、強くはないが日光に照らされ、豊かな自然を育んでいる。

 もうすぐ夜が近づく。ヴィナは夜空にアマテラス・コンステラチオの作った人工衛星の光を探した。

 イスラム勢力特別担当班と分かれたヴィナは祖国アワ・マジェスティに初めて入国したハリマと共にかつての自分の部下の到着を待った。凍えるハリマに自分のヒジャーブを与え、寒さに体を慣らそうとその場で軽くジョギングした。

 モーター音が聞こえ、部下達が到着したことがわかった。小型の車はジョギングしているヴィナに気付くが傍を通り過ぎてハリマの前で止まった。

 車の中でヴィナは準備を整えた。身長が高く茶髪でヨーロッパ系の民族の特徴がはっきり出てしまっているヴィナが大北京の農民に変装するには時間と手間を要した。ハリマが昔からのやり方で綿製の下着の上に爆弾を取り付け、ボロボロの衣服でそれを隠すと、ヴィナの準備は整った。固いものが腹回りを覆っているのが重苦しい。物理的な重さもだが、それだけではなかった。

 ヴィナは祈りのやり方を教えてほしいとハリマに頼んだ。ハリマはイスラム教徒ではないのだから自分の好きなやり方でやればいいと言った。ヴィナは揺れる車の中で目を閉じ、崇高なものを想像しようとした。メッカのカーバ神殿でもイェルサレムの嘆きの壁でも西ヨーロッパの各地にある大聖堂でもないものでなければダメだ。かといって、統治コンピュータアワ・マジェスティでもいけない。

「何を想像したらいいのかしら」

 ハリマが笑顔で言った。

「あなたのご両親はどう」

 ヴィナは首を横に振った。ヴィナは生まれてすぐ教育機関に預けられた。両親の顔を知らない。教育は実親ではなく教育のプロがやると決まっている祖国アワ・マジェスティでは一般的なことだった。

「じゃあ大切な人」

 ヴィナは自分の知り合ったことのある祖国民アワ・マジェスティの顔を一人ずつ思い出した。教育機関で世話になった乳母、大北京の大使館で働いた先輩や後輩、そしてイスラム勢力特別担当班で自分に大切なことを教えてくれた導師イムラーン。最後に思い出すのは今も要塞フロイデンベルクで働いているマルティンやクルド。

 ヴィナは目を開けると、車を運転している部下達が自分の様子がおかしいことに気付いていないか不安になった。疑っている様子もなく、運転席と助手席に収まっているのが見えた。いつも命令を忠実に聞いてくれる彼らが余計な心配をすることはない。助手席から声が聞こえる。

「ボス、もうすぐ着きます」

「ありがとう」

 ヴィナはハリマに目で合図をした。車が止まり、ヴィナだけが車を降りた。ヴィナは部下に何事もなかった振りをして帰れと言い、前方に見えるアリトシの人型兵器の集まっている場所に向けて歩いた。

 アレキサンダー・ワン大佐がどこにいるか訊き、自分も兵隊に加えてほしいと言う。心身を痛めつけて兵力を増強するパワードスーツを開発したアレキサンダー・ワンなら、今回も田舎の農民を訓練なしに兵隊に仕立て上げる方法を見つけて実践しているだろう。自ら兵隊になりたいと言っている人間を断るわけがない。アレキサンダー・ワンが出てきたら顔をまず確認する。昔に見た顔と同じかどうか。どちらでも同じことだが、真相がわからずに死ぬのは納得できない。暗号無線のメールでアレキサンダー・ワンの正体を要塞フロイデンベルクに伝え、爆弾のスイッチを押す。メールの文面はアレキサンダー・ワンが同一人物の場合と名前を借りた別人の場合の両パターン作ってある。どちらかの送信ボタンを押すだけでよかった。

 肩に爆弾の重みがのしかかり背中全体に痛みが走る。少し爆薬の量が多かったかもしれない。だが、汗だくで現れたら遠くからはるばる兵隊になりに来たのだと思われて好印象かもしれない。汗で化粧が剥がれなければいいが、ヴィナにはもうどうすることもできなかった。

 足が震え始めたのがわかった。一歩踏み出す度に闇が迫ってくるような気がした。もうすっかり暗くなった辺りは長年のゲリラ戦で更地となった国境付近で、大勢の祖国民アワ・マジェスティが死んだ場所だ。ここで私も死ぬことができる。今まで戦争だから仕方ないと割り切ってきた沢山の命の報いとして、私は大北京の大犯罪者を巻き込んでここで死ぬ。

 ヴィナはその場に座り込んだ。爆弾の重みにこれ以上耐えられなかった。プラスチックの留め金を探すが暗くて見えず、指は自分の胸の辺りを彷徨うばかりだった。息が荒くなり、じれったい指先の動きを速めたところで留め金が手に触れるわけでもなく、爆弾を外すこともできないと諦めたヴィナは地面に手をついて激しく嗚咽した。

 爆弾を外したい。重くて息苦しい。呪縛から逃れたい。幽霊も神も信じていないのに、爆弾に死者の魂が乗り移ってヴィナに圧し掛かってくるかのようだった。土を掴んで投げても、横向きに寝転がっても、足をばたつかせても爆弾が取れるはずもなく、罠にかかった小動物のようにヴィナはその場で泣き声とも叫び声ともつかない声を上げた。

 自分が空しい叫びを上げているのがわかった。自分の意思で死のうとここまで来たのに、いざとなると怖くて仕方がなかった。全身の震えが止まらない。下手に動けば起爆スイッチを押してしまいかねないと頭では理解しても、生存本能からくるものを止めることはできなかった。横這いになり、数時間前に口に入れた食べ物を吐き出すと、一緒に目から涙も出てきた。鳥肌が立ち、手足を伸ばして力んでいると、自分とは違う声に気付いた。耳を傾けた時、脇腹に柔らかいものを感じてヴィナは飛び退いた。

「大丈夫か、ヴィナ」

 顔が見えない誰かが横向きになったヴィナの背中に膝をあてて固定し、脇腹に手を当てた。かちゃりと音がして胸と背中を圧迫していた爆弾が外された。

 その人は爆弾を遠くに放り投げるとヴィナを正座させて、強く抱きしめた。

「よく頑張った、ヴィナ」

 背中をぽんぽんと叩かれ、ヴィナは何だかわからず身を固くした。

「誰よ、アンタ」

 やっと出した声を聞いてその人はポケットから懐中電灯を取り出し、顔を照らした。

「お前、汚い顔してるなあ」

 クルドがにやにやして言う。ヴィナはいつも自分を小馬鹿にする相手だと気付いて突き放した。

「何なのよアンタ、私の邪魔しないで」

「なあに言ってるんだ、さっきまで死にたくないって大騒ぎだった癖に」

 ヴィナは自分の脇腹を擦った。さっきまでの恐怖が嘘のように体が軽い。

「悪かったわね」

 クルドが立ち上がる。アレキサンダー・ワンの捜索にはクルドの部下も参加するから、一緒に来いと言った。

「何だったら、テントまでおぶってやってもいいぜ」

「そんなことしなくていい」

 ヴィナは自分の足で歩くと言って、立ち上がった。先を歩くクルドの背中が、暗闇に慣れた目で感じ取れたが、いつもより少し大きく見えた気がした。

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