真理と織牙の平和な日常
旅客用潜水艇の乗り心地は最悪だった。大型な潜水艦空母と違い、小さな揺れでも三半規管を激しく揺すぶった。真理は操縦するパイロットが下手なのだと思ったが、織牙は気にしていない様子だった。
「やっぱり、子どもは女の子がいいと思うんだ」
真理が言いきらない内に織牙が反論する。
「女は育てるのが大変だから嫌だって言ってるじゃないか」
真理も勢いづいて言い返す。
「治安の悪いところならそうかもしれないけど、私達の元で育てるなら大丈夫だよ。それより、男の子だったら、私みたいになるんじゃないかって不安だ」
織牙は真理の作り物の胸と小綺麗にしているが男性っぽさを残した顔を見た。髪は任務中の怪我の手術の時切ったが、肩までの長さになった。仕事中は後ろで一本に結っているが、プライベートタイムには軽く巻いている。目立ってしまう筋肉は少し脂肪で覆うことで隠しているのが服の上からもわかる。遠目からは女性に見えるが、細部をよく見ると男性だ。
「それこそ杞憂だと思わないのか。お前のそれは先天性でもないんだし、遺伝なんかしないよ」
真理は自分が見られていることに気付くが、織牙の視線なら不快ではなかった。
「私が育てることで影響されることだってあるかもしれない」
「もしそうなっても手本が目の前にいるんだから人生を踏み外したりしないよ」
織牙は異常と思われる程真理に優しい。軍事課の新入社員研修の時からの仲だが、織牙が真理を見捨てたことは一度もない。真理は織牙に感謝していた。だが、自分の息子にも同じように接してくれる人間が現れてくれるかどうかはわからない。
「女の子なら強くて賢い子に育つと思うんだけど」
そう言う真理の言葉に織牙は足を組み替えて座り直しつつ言い返した。小学校低学年の身長を上回る長い織牙の足は日本人にしてはやや白すぎる。
「身長一九〇センチメートルの女が生きていくのがどれだけ大変か、お前はちっともわかってない」
「それだって手本がいるんだから問題じゃない」
織牙は隣同士に座った時、真理の顔が眼前にあることにいつも安心感を覚えた。織牙はアリトシが樺太を占領した時からアリトシの下層民として汚れ仕事をさせられてきたロシア系棄民の血を引いている。下層社会で育てられたことと、女の癖に身長が高すぎることが織牙の長年のコンプレックスだった。名家出身で同じく身長が一九〇センチメートルを超える真理がそんな自分を受け入れてくれたことが嬉しかった。
機内アナウンスのスピーカーから雑音が聞こえてきて、続いてもうすぐ到着だというアナウンスがなされた。真理と織牙は会話を中断し、荷物の整理に移った。
真理と織牙の向かう先は南日本の統治下にある新潟県の産婦人科専門の病院だ。港からバスに乗り三〇分程走ると、女性が好みそうな、清潔感があり洒落たデザインの建物が見えてきた。
「山本織牙さんと伊豆真理さんですね。ⅰPS細胞を使った体外授精をご希望されるということでよろしいですか」
金髪長身で、日本人とは思えない容姿の女性の医師が診察に当たった。
「母体となる織牙さんの健康状態についてお聞きします」
医師は決まったやり方に合わせて機械的にいくつか織牙に質問していく。普段、女性扱いされることのない織牙が冷静に答えている隣で、真理は二人の会話に入っていけずそわそわしていた。
「さっきから隣で気持ち悪いな。何だよ」
堪りかねた織牙が真理を一喝する。
「わからないな、と思って」
「お気持ちは察しますが、真理さんも恥ずかしがらずに気になったことがあったら言ってくださいね」
医師も真理に気を遣ってか、重ねて言う。
「私は不適切な発言や個人情報の漏洩になるようなことは言わないように作られていますから、ご安心ください」
真理と織牙は「作られている」ではなく「指導されている」ではないか、と一瞬耳を疑った。医師は真理と織牙の無言の質問に答えて、立ち上がってミニスカートを軽くめくり上げた。
医師の太ももには「HARUKA 作:完田了」と小さい文字でタトゥーが入っていた。
「私は医療に関わる知識と技術をプログラミングされた医療用ヒューマノイドです。生身の人間ではありません。ですから、機械に個人情報を入力するように、正直に心身の状態を話してくださいね」
真理と織牙は医師が人間でなかったことよりも、スカートを目の前でめくられたことに驚愕した。今回はいいとして、普通の男性の夫を連れた患者に伝える時はどうするのだろうか。
医師の問診と血液検査を済ませると、真理と織牙はタクシーを拾ってある場所に向かった。再び海が見え始めると、潮風に慣れた体が無意識に反応して気分が落ち着いた。雪が片付けられて道路の隅に小さくまとめられている。世界的に気温が上昇しても、新潟には雪が降るのだと二人は初めて知った。
目的の住所でタクシーを止めてもらい清算を済ませていると、雪が踏みしめられる足音が近づいてきた。織牙が気付いて顔を上げる。
「織牙、真理、よく来た」
雪景色に溶け込んだ銀色の人型兵器が話しかけた。全長二メートルで、手足と胴体からなるそれは大北京製のパワードスーツを着た人間を思わせる。
人型兵器の後ろに小さい人影が見えた。織牙が声をかける。
「サク、久しぶりだ」
サクと呼ばれた女性は年季の入った半纏を羽織っている。彼女だけ標準サイズの一六〇センチメートル台だが、四人で並ぶと極小サイズに見える。
「ロンの装甲を少し変えたのがわかるかしら」
「そうなのか。ああ、たしかに新しい金属の光沢がある」
清算を済ませた真理が返事をする。ロンというのがこの人型兵器の名前だ。
サクは真理と織牙を部屋に招き入れると紅茶を振る舞った。今日の紅茶は純日本産の琥珀というブランドのものらしい。
真理と織牙は早速病院であった出来事について話した。
「南日本ではヒューマノイドの医者や看護師はもう普通の光景になってるのよ。でも、人間の医療従事者が存在しないわけじゃない。ヒューマノイドの仕事は簡単な診察と手術の助手、それから新人の教育といったところかしらね」
サクが南日本のヒューマノイド事情について話す。それを受けて真理が言う。
「私達は日頃からロボットを操縦しているが、あんな風に自分の意思で行動するロボットを見たのは初めてだ。どういう構造になってるのか、知らないか」
サクはロンを例に出して説明した。
「ロンは元々人間だけど、今はロボットの体で生存しているでしょ」
ロンは大北京で生まれた人間だった。大北京がアリトシに占領され、彼は伊藤国久の計画した遠隔操作式人型兵器のテストパイロットとなる。脳から発する電気信号で人型兵器を操作する試験中に事故で意識が人型兵器の中に取り込まれてしまったのだった。肉体はその時のショックで死亡した。廃棄されたロンの人型兵器を、同じくテストパイロットだったサクが拾って私物化したのだ。
「ロンの機械のどこの部分が脳の役割を果たしているのか、私もまだ解明できていないけど、彼が自分の意思で行動していることに違和感はない。だけど、人間がどこにも介入していないただのヒューマノイドが自分の意思で行動できることには違和感がある」
真理と織牙は頷いた。
「私には逆に思えるのよね」
サクが言うと、真理は自分の感覚を説明しようとした。
「ヒューマノイドはロボットなんだろ。あんな風に人間と同じように行動できるようにするにはどんなことをすればいいんだ」
「簡単な話、ヒューマノイドは人間と同じように作られているから人間と同じように行動できるんだってば。でも、ロンは指示を送る肉体から切り離されても動けるようには作られていない。それなのにエネルギーを補充すれば活動し続けていられるのはどうしてよ」
遠隔操作式人型兵器が作られてから、ロンと同じ事故で意識が取り残された人間が続出した。その原因はいまだ解明されていない。意識を持った遠隔操作式人型兵器はそのまま使用が継続され、パイロットの肉体に被害が出ていない遠隔操作式人型兵器は使用を中止、凍結されている。伊藤が引き続き解明に取り組んでいるが、見込みはない。
サクがヒューマノイドの説明を続ける。
「ヒューマノイドは人と同じ構造で作られているの。脳みそがあって、四肢があって、二足歩行で。そして、唯一無二の個性もある。全てのヒューマノイドには固有名詞があって、二つとして同じ心身を持っているものは存在しない。用途に合わせた最大限の知識や技術はどのヒューマノイドも持っているけど、身体的特徴や生活環境によって形成されたそのヒューマノイド固有の性格があり、一個の人間としてほとんど変わりない行動を取り、考えることができるの」
ヒューマノイドは完成してすぐに実用できるわけではない。自分を正しく認識し、人間の隣で社会生活を送れるように訓練しなければならないのだ。ヒューマノイドが自分を認識する過程は人間の子どもが自己を認識する過程と似ている。他者との関係性から自分の特徴を把握し、自分がどんな存在で何をするべきかを学び取る。ヒューマノイド一つ一つに異なる身体的特徴を加えることは、自己認識の過程で必要だからだ。
「ヒューマノイドが、自分は人間の手助けをするための存在なのだと認識するのは最後。それが理解できて初めて実用できる」
「ヒューマノイドは中身が金属でできているだけで、人間と変わらないということか。そしたら、反乱を起こされたりしないのか、遠隔操作式人型兵器がやったみたいに」
真理の危惧するところはサクも想定済みだったようだ。
「それは心配ない。ヒューマノイドを奴隷のように使っているわけではなくて、仲良く共存しているから。それに、ヒューマノイドは遠隔操作式人型兵器のように強靭にはできていないから戦おうと考えることもない」
「私も気になることがあったんだけど」
織牙がサクと真理の会話に入ろうとした。
「私の問診をしたヒューマノイドはハルカって名前だったが、どう見ても白人の容姿だった。何でなんだ」
「それは製作者の趣味じゃないかしら」
ロンが気を利かせてノートパソコンでヒューマノイドの製作者の情報が載っているホームページを検索して表示した。
完田了というその男の職業はフリーのロボット開発者だった。実績の欄には医療用ヒューマノイドや家事ヒューマノイドなどの開発・実用化が主に書かれ、サンプルで載っている写真のヒューマノイドはどれも容姿端麗な女性の姿をしていた。
「オタク趣味だな」
真理が呟く。
「アリトシの人型兵器もオタク趣味的なところがあるから一概にバカにはできないが、これはまたすごいな」
織牙も同意した。
どの実績も似たり寄ったりで、女性型のヒューマノイドの画像に見飽きた頃、織牙は「アリトシ」という単語を見つけてその項目を開いた。
そこには完田了がデザイン、製作した人形が遠隔操作式人型兵器の特定のセクションで使用されることが決まったという内容が書かれていた。人形の画像もあるが、軍人のような容姿の男性であるだけで、ヒューマノイドと同じだった。
「遠隔操作式人型兵器にも関わってるのか、この人は」
真理が溜息交じりに言った。
「こんなものに人間の意識が乗り移ったら、本当に人間なのかヒューマノイドなのかわからなくなるな」
織牙は遠隔操作式人型兵器が凍結された後のことが載ってないか探したが、見つからなかった。
「南日本の国民がアリトシの兵器開発に加担していただなんて」
自称平和維持活動家のサクは真理と織牙とは感じ方が違うようだった。
「紅茶が冷める」
ロンが液晶画面に見入る三人に言った。織牙はもう少し完田了について調べたかったが、真理とサクが画面から目を離してカップを口に近づける動作に合わせて前屈みになっていた体勢を戻した。
「赤ちゃんはいつ作るの」
サクが出し抜けに訊く。真理が咽る。
「その言い方はやめて」
「いちいち反応するなよ」
言いながら、織牙は顔には出さなかったが、サクみたいなかわいくて小さいヒューマノイドを遠隔操作して真理に向かって同じことを言ってみたいと妄想していた。
「ごめんね、科学的な観点で話してるつもりだったから、つい」
「科学者なんか嫌い」
真理がなんか言っているが、織牙は、たまに一緒に飲みに行く仲の
「血液検査の結果が出て、状態が良好だと判断されたらすぐだそうだ。だから、二週間とかからないと思う」
真理の代わりに織牙が答える。
「そうなの、じゃあ生まれるのはクリスマス・イブかしらね」
「うまく着床してくれたら、そうだけど」
サクと織牙が会話を弾ませる隣で、真理は居た堪れないといった様子で残り少なくなった紅茶に口をつけていた。ロンがどう思っているのか織牙は気になり、ちらと窺ったが、なんとも思っていないようだった。
織牙は真理に、帰ろうか、と訊いた。真理は二つ返事で承諾した。勝手に気まずくなりすぎだろうと思ったが、織牙は挙動不審な真理が面白かったので放っておいた。
近くの浜辺に旅客用潜水艇を呼び出して真理と織牙はサクとロンに見送られる中、海底に帰った。
「なんだか妙な気分だよ」
潜水艇がすっぽり海に浸かってサクとロンの姿が見えなくなってしばらくして、真理が言った。
「子どもができるだなんて」
「自分が欲しいって言ったんだろ」
間髪入れずに織牙はツッコミを入れてしまったが、もっと間を取った方がよかったかと直後に思い直した。織牙はサクのコテージにいる内からずっと我慢していた笑いを堪え切れなくなって笑ってしまった。
「な、何。何で笑ってるの」
「ごめん、でもなんか、真理が面白いんだもん」
「笑わないでよ。真剣なんだよ、これでも」
「真剣すぎるからだよ」
真理は織牙が腹を抱えて笑っているのを見て、自分も釣られて笑ってしまった。
「笑ったの、久しぶりだな」
織牙の言う通りだった。2Lと戦争状態になってからは特に笑う機会が少なくなった。お互い仕事に追われていたし、いつ死ぬかわからない状況だった。こんな風に二人で笑うことができるのは企業戦国時代が終わったからだ。真理の目には、織牙が心底幸せそうに映った。普通の男ではないが一緒に生活する相手ができて、これまでの苦労が一気に報われたように見えた。
その幸せも長くは続かない。真理は笑いながら思い出していた。先日の会議で北方新国と戦争することが知らされた。軍人である以上、戦場に送り出されることを考えなければならない。また戦争すると知ったら、織牙はどんな顔をするだろうか、それだけが心配だった。サクと出会い、平和に対する思いが芽生えた織牙なら、相手を負かすためには戦いたくないと言い出すかもしれない。
「真理、私今日の夕食は焼き肉がいい」
「がっつり食べるんだな」
「血を採られたからいっぱい食べて血液増やしたい」
「そんな大きい体から三〇〇cc抜かれたくらいで変わるの」
「なんだと、もう一遍言ってみろ」
「ごめんごめん冗談だよ」
スピーカーからパイロットの声が聞こえてくる。
「お二人さん、お熱いのはいいんですが、潜水艇が揺れるんでもう少し大人しくしててもらえますか」
「そんなに騒いでないだろっ」
二人同時にパイロットに言い返した。スピーカーからパイロットの笑い声が聞こえてきた。
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