私達の過去と未来

 アリトシTVからの戦場生中継が途絶えてから何時間経っただろう。普段の放送に戻った番組編成は、アリトシのあらゆる部署で働く人達の取材や、近日開催されるオーケストラ公演の宣伝ばかりになり、真理と織牙は次第に興味をなくしていった。

 背筋を伸ばして姿勢正しくベンチに座る真理の膝に、織牙は顔を乗せて、真理の膝頭を撫でていた。

「なあ、真理。私達は軍人だからいつ死んでもおかしくないけど、そうじゃなくても人はいずれ死ぬ。私が先に死んだら、真理はどうする」

 真理は右手で織牙の髪を梳きながら答えた。

「その時のために、子どもを残すんじゃないかな」

「子どもか」

 織牙の髪は真っ黒で、細いが芯がしっかりしている。生まれてからずっと耳が隠れるくらいの長さより伸ばしたことがないらしい。染めたりパーマをかけたりしたことのない髪は市松人形のように整っている。織牙が口を開く。呼気が太腿にかかってくすぐったかった。

「子どもが生まれたらどうなるだろうな。私は軍事課をやめるのかな。専業主婦になって、子どもと毎日一緒にいて、たまの会議と事務仕事のために出勤する真理を見送って、出迎えて、乙姫アトランティスの中でずっと平和に暮らすのかな」

「織牙がそうしたいならすればいい。もう嫌な思いをして戦わなくていいし、一人ぼっちで寂しい思いもしなくていい」

「真理がその代わりに危険な目に遭ってもか」

真理は織牙の髪を梳く手を止めた。織牙が真理の左腿を強く掴んでいるのがわかった。

「私は真理が大好きだ。真理が男でも女でもどっちでもいい。ずっと一緒にいてほしい」

 真理は織牙の髪に指を絡めた。

「私も織牙が好きだよ」

 ほんの少し、沈黙が生じた。

「じゃあ……」

 織牙は何かを言いかけて黙った。そして決心し直したように、今度は声を低くして言った。

「真理は、金山のことはどんな風に好きだったんだ」

 真理の指から織牙の髪がさらさらとすり抜けていく。真理は指を一ミリも動かさなかった。

「どんな風にって、どういうこと」

「金山とでも子どもが欲しいと思ったか」

「死んでしまった人のことを言っても仕方がないよ」

「またそうやって逃げるんだ」

「逃げてない」

「逃げてるよ」

 織牙は上体を起こして真理の横顔を見つめた。真理はその目を避ける。

「金山のこと、好きだったって正直に言ってほしい。自分が殺したからとか、男だったからとか、関係ない。好きだったっていう気持ちまで忘れたら、真理はずっと苦しいだけだ」

 金山蜜を殺したのは真理だ。一時は好意を抱いた部下がスパイであると知って殺害した。元男である真理が、男である金山とうまくいくわけがないと、真理本人が諦めた結果だった。

 織牙が続ける。

「金山とどうなりたかったんだ。ここには私達しかいないから正直に話せ。私とするようなことをしたかったのか、それとももっと別の感情があったのか、はっきりさせてくれよ」

「私は疾しい気持ちで金山のことが好きだったわけじゃない」

 真理が織牙の声に被せるように言った。真理が泣き出すので織牙は面食らった。真理が泣いたのは、金山を殺した時と持田が死んだ時だけだった。

「どうしてだかわからないけど好きだった。どうしようもなく好きだった。だから余計に怖かった。金山が私のことを好きだと言った時、私は、彼を破滅させるさせることになるんじゃないかと思ったんだ。殺すしかなかったんだ」

 織牙は真理に抱きつき、頭を撫でてやった。初めて真理が自分の気持ちを言葉にしたことが嬉しかった。この瞬間を絶対逃してはならないと思った。

白鯨モービィディックから落ちた時金山が私を助けたと聞いて、本当は嬉しかったんだ。意識がなかったことが悔しかったくらいだ。目が合っただけで緊張するのに、こんなに好きなのに、あいつは男で、私も男だったんだ。たとえ好きだと言われても、そのためにスパイをやめると言われても、私には信じられなかった。いつかは裏切られると思ったら、殺すしかなかった」

 真理が織牙の背中に手を回して抱き締めた。今までで一番強い力だと思った。ぼろぼろ零れてくる涙が袖を濡らして温かい。

「織牙のことも好きだ。大好きだ。初めからずっと一緒にいてくれたのに、私はずっと気付かなかった。心配していてくれたのに、私は間違ってばかりだった。織牙がいなかったら私は何もできない」

「真理は私の初めての友達だ。大事にしないわけがないだろ」

「じゃあもう無茶なことしないで。家で静かにしててよ」

「私も同じことを思っているとは思わないのか。真理が仕事中に死んだら嫌だ」

 真理は織牙の胸の中で肩を震わせている。

「真理が危ないところへ行くのなら私も行く。知らないところでいつの間にか死んだりしないように、私が守る。もしどうしても死ぬしかないのなら、私も一緒に死ぬ」

「私は死なない」

 真理が弱々しい声で言う。

「ずっと一緒にいられるようにする。子どもが生まれて、大人になるまでずっと。孫が生まれてからもずっと」

 真理の言葉に満足した織牙はもう一度真理の上体を引き寄せて強く抱いた。

「ああ。それには、私がちゃんと元気な子を産まなきゃいけないんだけどな」

 織牙は真理の頭を数回撫でて、目線を上にやった。監視カメラに気付いたのはその時だった。

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