統治コンピュータ、停止
昨夜は、ヴィナの安全が確保されたと聞いた後、
太陽の光が砂に遮られて薄暗く要塞(フロイデンベルク)を照らしている。目の前に手を翳す必要のない明るさだった。雲一つない晴天の日も、
遠くで花火が打ち上がる音がした。真昼間のそれもこんな非常事に場違いだと思ったハヌルは、すぐにその推測が間違いであると知った。
警報が響き渡る。耳の中を満たす警報に重なって、先程花火と間違えたずんと思い衝撃音がさらに数回聞こえる。尻餅をついたハヌルは柵に身を潜めて砂嵐の向こうに目を凝らした。
音が聞こえても何も見えなかった状況が一変し、黒い影がぬっと姿を現した。敵襲だ、死ぬ、の二語で思考が固まった。目を閉じ、頭を抱えて伏せた。地震が起きているのを全身で感じながら全てが収まるのを待った。誰かがメインシステムの部屋の扉から出てくる。ハヌルはわずかに顔を上げると既にその人はハヌルの後ろに回っており、ハヌルを抱き上げ、部屋の中に戻った。
「ハヌルさん、大丈夫ですか」
揺れの収まった
「それより、攻撃が……」
アンサがハヌルに抱きつき、言った。
「電磁波ミサイルだから人体に影響はないよ」
部屋にいたアンサとマルティン、レイの説明によると、アリトシから
「迎撃ミサイルをすぐに撃ちましたが、一発だけ外れて、要塞(フロイデンベルク)の真横に着弾しました。お蔭で
暗号無線も電話も使えないらしい。
「僕らはネオペターバーグに行きます。ハヌルさんは他の人達と一緒にトルキニアに疎開してください。IDカードを持ち歩いていれば
一緒に行く、という言葉は声にならなかった。はい、とだけ返事をしたハヌルは荷物を取りに宿泊部屋に戻り、疎開する人達の列に加わった。
*
統治コンピュータが機能を停止した後、ネオペターバーグでは激しい戦闘が始まった。更地の向こうの陸軍基地で待機していた軍隊が統治コンピュータの命令なしの独断で出動したのだ。コントロールを取り戻した人型兵器と歩兵で応戦するも、人型兵器は小さい標的に攻撃することが不得意で、そもそも戦う気のない大北京国民の歩兵達は逃げ惑うだけで、相手にならなかった。
だが、伊藤の目からはアリトシ側が劣勢を強いられている原因が他にもあるように見えた。アリトシTVが伊藤のためだけに撮影しているヘリコプターからの映像では、北方新国の軍隊が組織的な動きをしていることがわかる。よく訓練された軍隊だと言ってしまえばそれまでなのだが、何か裏がある気がする。
よく見ると、北方新国の軍隊は何個かの塊を作ってそれを基準に行動しているらしいことがわかる。その塊の中心から発せられるビーム砲が人型兵器の足を焼き、前進を妨げている。
「固まっている敵軍の一つをアップにしてもらえませんか」
伊藤が言うと映像が少しずつアップになり、解像度が低くなる。ビーム砲を発射している機械は真っ白の筒で、縦の長さが二メートル程ありそうだった。この機械を担いでいる兵隊が筒をじっと見つめ、何か言っている。周囲の兵隊達は彼の言ったことに耳を傾けているらしい。
この機械に何か仕掛けがあるのだろうか。伊藤は不知火を呼び出した。
「すみません、今そちらに向かってしまっています」
伊藤から国境に戻れと連絡が来た時には既に車がクロエによってジャックされ、国境に向けて走らされていた。不知火はクロエが戦闘に特化していると聞かされていながら、つい小柄な女だと思って油断したことを恥じた。だが、状況が変わった今、こうして国境に近づいていたことはむしろ好都合だった。
「統治コンピュータより先に調べてもらいたいものがある」
伊藤の説明を一緒に聞いていた完田了はにやと笑っただけだった。
*
「逃げるのか、アレキサンダー・ワン」
ジープに乗り込もうとするアレキサンダー・ワン大佐を引き留めたのは少年の声だった。後ろを振り返り、少年の姿を認めたアレキサンダー・ワン大佐は遊び相手になってやろうと両手を挙げた。運転席では仲間の一人がエンジンをかけていつでも出発できるようにしている。
「逃げようとしたって無駄だぞ」
少年はジープの進行方向に顎をしゃくった。ジープの前方約三メートルのところに同じくらいの背丈の少年がおり、大きすぎる銃を構えて立っている。
「何の真似だね、君達」
アレキサンダー・ワン大佐は少年達の自尊心をわざと傷つける言い方をした。冷静さを失った子どもは隙だらけだ。銃を撃つ覚悟もしていない彼らを出し抜いて逃走することは朝飯前だ。
「お前、俺の姉ちゃんを廃人にしようとしたアレキサンダー・ワン大佐とは別人なんだろ。どうしてその名前を名乗る」
アレキサンダー・ワン大佐は少年の肩に掛かっているものが何であるかを認めた。自爆テロ用の鍵のつけられた爆弾だ。起爆スイッチが外されているため使えないが、少年はそのことに気付いていないのだろう。
「坊やが何を知っているのか私は知らない。しかし、君の考えていることと私とは何も関係がないことを私は知っている」
「わけのわからないことを言うな」
少年は片手で持った銃をきつく握りしめる。
仲間がアレキサンダー・ワン大佐に時間がないことを伝える。北方新国とアリトシの乱戦が始まったらすぐにトンズラするつもりだった。歩兵と武器を集めた報酬を独占して、武器が不良品で歩兵がただの農民であることがバレる前に姿をくらます。大北京の亡霊の名を騙ったことはアリトシの作戦責任者の信用を得るための嘘だ。それがこんな事態を招くとは予想していなかった。面白い出会いだが、今はそれどころじゃない。
「私のことを知ったところで、君達には何の得もない」
「いいから教えろって言ってるだろ」
少年が前に足を踏み出した瞬間、後ろから叫び声が聞こえ、少年が意識をそちらへ移した。
アレキサンダー・ワン大佐は体をジープの助手席に押し込め、仲間が強くアクセルを踏み込んだ。バックで少年達から遠ざかる。何発か銃声が聞こえたがジープには当たらなかった。
遠ざかる少年達を何人もの大人が取り囲んでいる姿が最後に見えた。
*
ネオペターバーグに駐留していた軍隊員達はすぐさま
新型兵器アーミーアンツの見た目は大型の白い筒だ。電源を入れるまでそれが何のためのものなのかわかる人はいない。アーミーアンツはビーム砲の他に、自動で戦況を把握して担いでいる人に指示を送る機能がついている。全てのアーミーアンツは独自の回線で繋がっており、全体を通して戦況をより正確に判断することができる。その機能は
軍隊員の中でも一際体の大きい者達がアーミーアンツを担いで戦場を走り回る専門の軍隊員だ。彼らを中心にいくつも小隊を組み、アーミーアンツからの指示を聞いて全軍隊員が動く。
「前進だ、前進」
アーミーアンツ班が一斉に叫ぶ。軍隊員達は命令を繰り返して全体に伝えていく。アーミーアンツからビーム砲が発射される時だけ止まり、それ以外はずっと進み続けるだけだ。
*
トルキニアに到着しても、そこに懐かしい故郷の姿はなかった。
トルキニアで最大のコンサートホールに集められた物資は内政調査局によって管理され、
ハヌルがふらふらと道を歩いていると、大通りに何台も車が止められていて、男達が慌ただしくどこかへ行く準備をしているのが見えた。
「どこへ行くのですか」
荷物を載せている男にハヌルは声をかけた。
「ネオペターバーグだ。
男は前回の戦争で一時的に徴兵された経験があると語った。ガリアヌーヴェルで南方ゲリラと戦ったらしい。徴兵が解かれてからは定職につかず、様々な職業訓練を受けては途中でやめ、を繰り返していたらしい。
「俺が役に立つのは戦場だけだ。今、そこに行かないでいつ行くんだよ」
ハヌルは勝手な行動を取るべきではないと言った。しかし、他の男達も同じようなものだ、と男は言って、車に乗り込み、行ってしまった。
「もうやめて……」
車のモーター音に紛れて、ハヌルの声は届かなかった。
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